終わらぬ夢
一視信乃
寝ても見ゆ 寝でも見えけり 大方は うつせみの世ぞ 夢にはありける
また同じ夢を見た。
汗みずくで目を覚ます。
「どうしたの、あなた」
「夢を見たんだ。またいつもの、弟の夢を」
ちょうど一回り年の離れた、腹違いの
人懐こい笑みを浮かべた彼が、私を
首筋に触れるひんやりとした指先や、皮膚にふっつりと食い込む爪の感覚が、今もうっすら残っているような気がする。
「よほど私を、恨んでいるのだろうな」
当たり前だ。
恨まれて当然のことをした。
直接手を下したわけではない。
だが、私の
よほど憎くて
あれからもう十年近くも経つというのに、あの女好きの弟が、女人ではなく、この愚兄の元へ通い詰めるとは。
まあ、女好きに関しては、私も人のことはいえぬだろうが。
ふとしたことに血の繋がりを感じ、より胸が苦しくなる。
「疲れているのよ。ちょっと待って。よく眠れるよう、今、薬を用意するから」
妻が起き出し、ぼっと明かりが灯ると、追い払われた闇が、部屋の隅に黒々と
それをぼんやり眺めつつ、渡された薬を口に含むと、不意に闇が
見覚えのある小柄な青年が、何かを訴えるように口を開く。
「――っ」
驚きのあまり手が滑り、
湯冷ましが夜具に染み込んでゆくが、激しく
妻の実家から送られてきた
「あなたっ、大丈夫」
温かな妻の手が、優しく背中を
「今、そこに、あいつがっ」
ただ闇が広がるばかりだ。
近頃はこうして
「憑れているのよ、本当に」
もう見てられないと、呟く声が、私の意識を引き戻す。
不遇な時代から、ずっと連れ添ってくれた妻。
私が今のこの地位を築けたのも、みんな彼女のお陰だというのに、昔から随分と心配をかけてしまっているな。
振り返り、すまないというと、彼女は、より悲痛な面持ちとなった。
「もうすぐ、妹
あなたが楽になれるよう、わたくしがきっと、なんとかするから――。
相も変わらず頼もしい妻を、私はひしと掻き抱く。
その身に宿る熱情に触れ、冷たい指を忘れるために。
*
落成供養は
最初に気付いたのは、恐らく馬だ。
乗っていた馬がぴたりと歩みを止めたので、何事かと思っていると、一天
こちらの行く手を
とうとう私を――。
「殺しに来たか、
こちらへ一歩踏み出してくる。
逃げねば殺される。
頭ではわかっているが、
「殿、いかがなさいましたっ」
「殿っ」
他の者には、あれが見えておらぬのだろうか。
立ち止まった私の元へ、家臣たちが駆け寄って来る。
屈強な武者たちに混じり、女人の姿も見えるが、はて、あのようなもの、一行にいたであろうか。
そう思ったとき、またあれが動いた。
驚いた馬が棒立ちとなり、私をその背から振り落とす。
ゆるりと景色が流れ、凄まじい衝撃が全身を襲った。
息が出来ず、頭も真っ白になる。
(兄上ーっ)
最後に聞こえたのは、弟の悲鳴のような声だった。
*
あれから幾日が過ぎたであろうか。
落馬した私は、打ち所が悪かったようで、寝床に横たわったまま、生死の境をさ迷っていた。
付きっきりで介抱してくれる妻には、申し訳ないが、身体は日に日に衰弱してゆき、自分でも、もう長くないだろうことはわかる。
目を開けると、妻がいた。
「苦しいでしょう」
心配をかけぬよう、首を横に振り意思を伝えたが、向こうも同じように首を振った。
「無理はしないで。すぐ楽にしてあげるから。大丈夫。あなたがこれまで築いたものは、全部わたくしたちが守っていくわ」
よく見ると、妻の背後に男がいた。
顔はわからぬが、その手にあるものは、はっきりと見える。
刀身を下に向けた、抜き身の
「今までご苦労様、あなた」
優しい声とともに、白い
真っ直ぐに、私目掛けて――。
*
目を開けると、弟がいた。
哀れむような眼差しで、臥せる私を見下ろしている。
「やはり、こちらへ来てしまったね。俺があれほど、忠告したのに」
「忠告だと」
話すこともままならなかったはずが、普通に声が出た。
身体も自由に動き、起き上がって確かめると、刺された傷も見当たらない。
「そうだよ。
「まさかっ」
「本当だよ。あいつら、薬と偽って毒を飲ませたり、女の
確かに、あれを飲むようになってから、身体が
「大丈夫。この俺だけは兄上のこと、決して見捨てたりしないから。ずうっと陰から見守り続け、何
生前と変わらぬ、人懐こい笑顔。
思えば、私がこいつを排除しようと決めたのも、彼らの報告を聞いたからだ。
もしかして私は、何かを間違えたのであろうか。
誰も信じずにいた
まあ、今となっては、栓無いことだが。
「お前は私を、恨んでいないのか」
「恨むのなら兄上ではなく、兄上や俺を利用した奴らだ。だが今は、余計なことなど考えず、ゆっくり休んで。ここには、俺たちふたりきりだから」
弟の両の手が頬をなぞり、首筋に触れる。
尖った爪の先が、わずかに皮膚に食い込むが、ひんやりした指先が何だか心地いい。
「そうだな、
「いつか兄上が、奴らに
甘い痛みと官能の果てに、私は意識を手放した。
*
また同じ夢を見た。
汗みずくで目を覚ます。
「どうしたの、あなた」
文目も分かぬ闇の中、衣擦れの音がして、隣に寝ていた妻が声をかけてくる。
「夢を見たんだ。またいつもの、弟の夢を」
終わらぬ夢 一視信乃 @prunelle
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