終わらぬ夢

一視信乃

寝ても見ゆ 寝でも見えけり 大方は うつせみの世ぞ 夢にはありける

 また同じ夢を見た。

 汗みずくで目を覚ます。


「どうしたの、あなた」


 あやも分かぬ闇の中、きぬれの音がして、隣に寝ていた妻が声をかけてくる。


「夢を見たんだ。またいつもの、弟の夢を」


 ちょうど一回り年の離れた、腹違いのわたしの弟。

 人懐こい笑みを浮かべた彼が、私をくびり殺そうとする夢を。

 首筋に触れるひんやりとした指先や、皮膚にふっつりと食い込む爪の感覚が、今もうっすら残っているような気がする。


「よほど私を、恨んでいるのだろうな」


 当たり前だ。

 恨まれて当然のことをした。

 直接手を下したわけではない。

 だが、私のめいが彼を追い詰め、結果、彼は自害したのだ。

 よほど憎くてたまらぬのだろう。

 あれからもう十年近くも経つというのに、あの女好きの弟が、女人ではなく、この愚兄の元へ通い詰めるとは。

 まあ、女好きに関しては、私も人のことはいえぬだろうが。

 ふとしたことに血の繋がりを感じ、より胸が苦しくなる。


「疲れているのよ。ちょっと待って。よく眠れるよう、今、薬を用意するから」


 妻が起き出し、ぼっと明かりが灯ると、追い払われた闇が、部屋の隅に黒々とる。

 それをぼんやり眺めつつ、渡された薬を口に含むと、不意に闇がうごめいて、人の形となった。

 見覚えのある小柄な青年が、何かを訴えるように口を開く。


「――っ」


 驚きのあまり手が滑り、わんが寝床へ転がった。

 湯冷ましが夜具に染み込んでゆくが、激しくせ返る私には、それに構う余裕などない。

 妻の実家から送られてきたがたみょうやくとやらも、すべて吹き出してしまう。


「あなたっ、大丈夫」


 温かな妻の手が、優しく背中をさすってくれる。


「今、そこに、あいつがっ」


 あえぎながら指差す先に、彼はもういない。

 ただ闇が広がるばかりだ。

 近頃はこうしてうつつにも、ちょっとした陰翳いんえいの中にまで、立ちあらわれることもあるが、その姿は夢よりもはかなく、他愛ない日常に溶け込むかのように、瞬く間に消え失せてしまう。


いるのよ、本当に」


 もう見てられないと、呟く声が、私の意識を引き戻す。

 不遇な時代から、ずっと連れ添ってくれた妻。

 私が今のこの地位を築けたのも、みんな彼女のお陰だというのに、昔から随分と心配をかけてしまっているな。

 振り返り、すまないというと、彼女は、より悲痛な面持ちとなった。


「もうすぐ、妹婿むこが造っていた橋の、落成供養があるわ。そこで妹の冥福を祈るそうだから、あなたの安寧も、ともに祈って貰いましょう」


 あなたが楽になれるよう、わたくしがきっと、なんとかするから――。

 相も変わらず頼もしい妻を、私はひしと掻き抱く。

 その身に宿る熱情に触れ、冷たい指を忘れるために。


        *


 落成供養はつつが無く終わり、屋敷へ戻る途中だった。

 最初に気付いたのは、恐らく馬だ。

 乗っていた馬がぴたりと歩みを止めたので、何事かと思っていると、一天にわかに掻き曇り、そうして生まれた薄闇の中に、彼が、弟が現れた。

 こちらの行く手をさえぎるように、前方に立ち塞がり、鬼のような形相で、何かを叫んでいるように見える。

 とうとう私を――。


「殺しに来たか、ろうっ」


 みょうを呼ぶと、彼が動いた。

 こちらへ一歩踏み出してくる。

 逃げねば殺される。

 頭ではわかっているが、身体からだが強ばり動かない。


「殿、いかがなさいましたっ」

「殿っ」


 他の者には、あれが見えておらぬのだろうか。

 立ち止まった私の元へ、家臣たちが駆け寄って来る。

 屈強な武者たちに混じり、女人の姿も見えるが、はて、あのようなもの、一行にいたであろうか。

 そう思ったとき、またあれが動いた。

 つじかぜのように皆を蹴散らし、こちらへ手を伸ばしてくる。 

 驚いた馬が棒立ちとなり、私をその背から振り落とす。

 ゆるりと景色が流れ、凄まじい衝撃が全身を襲った。

 息が出来ず、頭も真っ白になる。


(兄上ーっ)


 最後に聞こえたのは、弟の悲鳴のような声だった。


        *


 あれから幾日が過ぎたであろうか。

 落馬した私は、打ち所が悪かったようで、寝床に横たわったまま、生死の境をさ迷っていた。

 付きっきりで介抱してくれる妻には、申し訳ないが、身体は日に日に衰弱してゆき、自分でも、もう長くないだろうことはわかる。


 目を開けると、妻がいた。

 ぶたれた赤い目で、せる私を見下ろしている。


「苦しいでしょう」


 心配をかけぬよう、首を横に振り意思を伝えたが、向こうも同じように首を振った。


「無理はしないで。すぐ楽にしてあげるから。大丈夫。あなたがこれまで築いたものは、全部が守っていくわ」


 よく見ると、妻の背後に男がいた。

 顔はわからぬが、その手にあるものは、はっきりと見える。

 刀身を下に向けた、抜き身の太刀たち


「今までご苦労様、あなた」


 優しい声とともに、白いやいばが振り下ろされる。

 真っ直ぐに、私目掛けて――。


        *


 目を開けると、弟がいた。

 哀れむような眼差しで、臥せる私を見下ろしている。


「やはり、へ来てしまったね。俺があれほど、忠告したのに」

「忠告だと」


 話すこともままならなかったはずが、普通に声が出た。

 身体も自由に動き、起き上がって確かめると、刺された傷も見当たらない。


「そうだよ。義姉あね上やその身内や、兎に角、が寄ってたかって兄上のこと、殺そうとしてたから」

「まさかっ」

「本当だよ。あいつら、薬と偽って毒を飲ませたり、女の格好ナリした刺客まで用意してさ」


 確かに、あれを飲むようになってから、身体がだるくなった気もする。


「大丈夫。この俺だけは兄上のこと、決して見捨てたりしないから。ずうっと陰から見守り続け、何べんだって助けてあげる」


 生前と変わらぬ、人懐こい笑顔。

 思えば、私がこいつを排除しようと決めたのも、の報告を聞いたからだ。

 もしかして私は、何かを間違えたのであろうか。

 誰も信じずにいた心算つもりが、人の温もりにほだされ、常に正しく取捨選択してきた心算が、権力に目がくらみ、絶対無くしてはいけないものまで、自ら捨て去ってしまったのでは。

 まあ、今となっては、栓無いことだが。


「お前は私を、恨んでいないのか」

「恨むのなら兄上ではなく、兄上や俺を利用した奴らだ。だが今は、余計なことなど考えず、ゆっくり休んで。ここには、俺たちだから」


 弟の両の手が頬をなぞり、首筋に触れる。

 尖った爪の先が、わずかに皮膚に食い込むが、ひんやりした指先が何だか心地いい。


「そうだな、しばし休むとしよう」

「いつか兄上が、奴らにむくいてくれることを願っているよ」


 に優しく触れる弟の声に酔いしれながら、私はすべてを彼にゆだねる。

 甘い痛みと官能の果てに、私は意識を手放した。


        *


 また同じ夢を見た。

 汗みずくで目を覚ます。


「どうしたの、あなた」


 文目も分かぬ闇の中、衣擦れの音がして、隣に寝ていた妻が声をかけてくる。


「夢を見たんだ。またいつもの、弟の夢を」

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