5-6 回生

 ——ウィーン ウィーン ウィーーン


 次々と、機械の主軸が回る音が平田の耳に届いた。


 一ヶ月以上も聞くことのなかった機械音が仮工場内に響き渡った。


 ——やったッ! やったぞッ!!


 平田は、年甲斐もなく拳を握って派手なガッツポーズをして見せた。

 前原も、大代も、ミズキも……そしてタイ人従業員も、皆が笑顔に包まれた。


 ——よぉーし、これからが本当の勝負だっ!! 何としても間に合わせるぞっ!!


 前原の号令に全てのタイ人従業員が頷いて応えた。

 ミズキは、その前原の勇姿に見惚れ、小さく胸の前で拍手をしている。


 明日から、十一月三十日まで、休みなしの作業に突入することになった。


 平田は、汗に濡れた掌で首を撫でながら、ふぅーっと、大きく息を吐いた。

 まさに、首の皮一枚で繋がった命だった。


 翌日、十一月二十六日(土曜日〕————。


 朝、六時に集まった社員に平田は悲壮な覚悟で訓示した


 ——我が社の命運は、今日からの諸君の奮闘に掛かっている。どうか皆、力を貸してくれっ! 何としてもこの難局を乗り切るんだっ!


 その日より、不眠不休の作業が始まった。平田は、従業員を二班に分け、夜勤、昼勤のシフトを作り、そこに日本人一人ずつを入れ、昼夜問わずフル回転で機械を回した。平田も、出荷梱包を手伝い、自家発電機の燃料を買いに走ったり、冷えたジュースを買いに走ったりと、雑用も厭わず奔走した。


 その間、ミズキの作って来て呉れる日本食の夜勤食と、大代の奥さんが調達してくるタイ飯もまた、皆に力を与えた。


 それはまさに、総力戦だった——。


 驚いたことに、いつもの生産能力の倍以上の効率で物は上がってきた。


 ——(なんというポテンシャルなんだっ!)


 平田は、皆の火事場の馬鹿力にただただ瞠目どうもくしつつも、いつも、こんな風に物が上がれば、会社は儲かって仕方ないだろうな——と、こっそり苦笑いをこぼした。

 それにしても、人手が足りない。

 検査工程、梱包工程が手薄で、ミズキも、大代の奥さんも手伝ってくれたが、日頃慣れていない作業なので時間が掛かった。


そんな時だった。散り散りバラバラになっていた残りの二十三名の従業員が、ぽつりぽつりと合流し、駆けつけて来た。

 田舎の家が被災し、依然として身動きが取れない従業員も数名は居たが、二十八日には八割強の従業員が揃った。


 時系列は遡るが、十月十七日に被災してから、その月の給料は満額支払ったが、翌月からは、自宅待機者には基本給の7割しか支給していない。それはこの大洪水においてタイ政府が時限立法のような形で決めた被災企業向けの救済法だった。*(1)


 従業員が揃ったことで、更に作業はスピードアップし、二十九日の夜には、目標の生産量がほぼ達成された。

 その間、暫時出来上がったものから、「マテックス」社のトラックが昼夜問わずやって来て、T社に納品していた。


 十一月三十日 午前十時過ぎ—————。


平田は、最後の出荷を見届けると、T社の鈴木社長に電話で報告を入れた。


——鈴木社長、たった今、最後のトラックが出ました。今回は、大変なご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした


——いやぁ、お疲れ様でした。平田さんなら何とかして呉れると調達担当には言ったんですが、内心はヒヤヒヤしてましたよ


——火事場の馬鹿力とでも言うんでしょうか、従業員の底力にはびっくりしました。いつもあれくらい働いてくれたらって思いましたよ……


——あはは、でも良かった、ほんとに良かった……私どもも、いくらビジネスとはいえ、家族同然の協力会社さんを切ることになれば、寝覚めが悪いですからね。特に平田さんとこは……

——本当に鈴木社長には感謝してます。日本本社のミスまで巻き込んでしまってお恥ずかしい話ですが、なんとか明日からでの納入体制が出来ましたので、これより先はご安心頂いていいか思います


——あぁ、そうそう、日本では今回の一件以外でもかなりクレームや納期遅れが出ているようですよ。平田さんが居なくなった途端に対応が悪くなったと、影山重役がでしたよ


——そうなんですか……私から、梶原に注意しておきます。申し訳ありません


平田は、影山重役の名を聞いて、日本本社の事とはいえ無視できなかった。

 鈴木社長への電話を切ってすぐ、梶原を呼び出した。



——————————————————

【脚注】

*(1):「被災企業救済時限立法」


 大洪水に被災した会社のタイ人労働者は、通常給料の7割の支給を受け自宅待機するか、自己退職するか選ぶことになる。この場合、会社が通常営業に入っている場合は、二ヶ月の間だけ自宅待機を選ぶことができるが、それを過ぎて尚、出勤しない場合は自己都合による退職と見なされることになっていた。

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