5-3 蜻蛉

 翌日、電気工事会社の作業員がやって来たのは午前十時を過ぎていた。高速道路の渋滞が原因であることが分かっていても、腹立たしかった。

 こっちは、一分たりとも時間を無駄にできないというのに。


 午前中、あれやこれやと、チェックしてみるが、依然として原因がわからない。まさにお手上げ状態だった。

 電気工事会社の日本人責任者は真顔で平田に一つの提案を寄越した。


 ——半数の機械は正常に使えるみたいです。取り敢えず、半数だけでも動かすというのは、いかがでしょうか?


 誰もが考えそうな妥協案であった。そんなことは平田も昨晩ベッドの中で考えていたことだった。しかし、5台では24時間フル稼動しても今月中にT社向けの製品全てを完成することはできないのだ。


 ——そんな中途半ぱなことじゃ、ダメなんだっ! 10台全部動くのが最低条件なんだよ

 ——ふぅ……、困りましたね……


 男は、の悪いクレーマーに掴まったとばかりに臭い息を一つ吐いた。


 こうなれば、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い——、である。この男の脂肪だらけのつらが生理的に受け付けられなくなってしまう。


 全然、困ってねーじゃねーか、てめぇは————と、胸ぐら掴んで一発殴りたくなった。


 ——あのぉー、この機械って、本当にみんななんですかね?


(何を言い出すんだ、こいつは)——。


 機械に貼り付けてある銘板は全て同じ機械メーカのそれであり、外観の古い新しいはあってもネジ一つも変わらぬほど全てがである。


 ——機械のことは素人に毛が生えた程度しかわからんけど、これ、どう見たって同じでしょ?

 ——です、よねー……


 平田がいよいよ拳を強く握ったその時、前原が何かに気づいたように口を開いた。


 ——あっ! ひょっとしたら……

 ——ん? 


 前原は思うとこあって、日本本社の工場長に問い合わせを入れた。そして携帯電話を握りしめたまま平田に向き直った。


 ——この機械……、全部同じじゃないですよ、社長っ!

 ——どういうことだッ?


 前原が言うには、「KUMADA THAILAND」立ち上げ時に、日本の工場で使っていた機械を何台か持ち込んで来たらしく、その機械は今でもで発注された新品の機械に混じって稼動しているというのだ。


 ——とは、いえ同じ機械メーカーの同じ型番の機械だろ? 何が違うって言うんだ

 ——電圧です、タイと日本じゃ電圧規格が違うんですよっ! 

あぁー、なんでそんな簡単なことに気付かなかったんだっ! クソっ!


 例の男が、ほれ見たことか!——、とばかりのしたり顔で平田に視線を寄越して、説明しだした


 ——日本国内の電圧規格は100V(ボルト)で、周波数は東日本で50Hz、西日本で60Hzです。対して、ここタイの電圧規格は220V(ボルト)の50Hzです。ですので……


 平田は、男の次の言葉を制して言った


 ——じゃぁ、昨日、火花を飛ばした機械は、日本から持って来た機械だってことだな? それなら、どうやって元の工場で使ってたんだ?

 ——簡単なことです。配電盤で仕分けされていたはずです。日本規格の機械には間にトランスを挟んで電圧を100V(ボルト)に落として使っていたのでしょう

 ——それなら、間にトランスを挟んで別々に結線すれば使えるってことでいいんだな?

 ——はい、おそらく、それで使えるはずです


 原因らしきものは分かったが、「配電盤」に取り付けるトランス(変圧器)を手配する必要があった。在庫状況を確認させたが、これもまたいつ手に入るかわからないと言う。

 戦時下の物資不足のようなもので、この時、ありとあらゆるものが不足していた。


 ——頼むよ、ありとあらゆるとこ手尽くして探してもらえないか? こっちは待ったなしなんだよっ!

 ——できるだけ、手は尽くしますけど、確約はできませんね


 この男、今は自分が“マウント”を取っているとばかりに、横柄な物言いに変わっていた。

——お願いします

 平田は、ぐっと堪えて頭を下げた。今はこの男に頼るしかなかった。


トランスが手に入るのを待つ間、検査機の運び出しを急ぐことにした。



 翌、十一月二十五日(金曜日)————。


 ポンサックが発砲スチロールの厚板をどこからか調達して来た。機械が回ることは最低必要条件であるが、検査機の運び出しは、絶対必要条件だった。

 タイ人男子従業員十名を引き連れ、平田と前原は元の工場に向かった。



 タイに「乾季」の訪れを知らせる赤銅色の蜻蛉トンボが青い空を背に優雅に飛んでいる。


 ——(今は、目先の問題を一つずつ辛抱強く潰していくしかないな)


 そんな風に翻意して、焦る気持ちを抑える平田であった。


(命までは、取られまい……)——。

タイに来てこの言葉を何度呟いたことだろう。


 今の平田には、開き直ることしかできなかった。



 

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