4-3 涙飯

 翌朝、貸し工場に自家発電機ジェネレーターがやって来た。


 戦車のような巨体をしたそれは、レッカー車に積まれてやって来て、貸し工場の入り口近くに設置された。

 一ヶ月更新のリースで、月15万バーツの支払いだった。元の工場の毎月の電気代が平均で8万バーツだったので、明らかに経費オーバーである。もちろん自家発電機は「燃料」を食う。まだ稼働させていないので、一日あたりどれほどの燃料が必要なのか予測もできない。


 一日、こいつを稼働させて仕事できても、どんだけが出るかわからんな————、平田は脳内の電卓を叩きながらそんなことを考えていると、ため息だけが何度も漏れた。


 ——社長、アパートの確保はできました。こっから車で十分ほどの場所に三ヶ所に分けて十室仮契約しておきました。保証料として家賃一ヶ月分の先払いが必要でしたので、預かってます現金から出しておきました。


 そう言って、大代が「出金伝票」へのサインを求めてきた。


 ——おお、そうか、ご苦労さん。ところで……いま、うちには幾らの現金が残っている?

 ——2000万バーツほどでしょうか……


 その額は、平時なら十分な運転資金の額であったが、この先、どれだけ余分な経費が飛んでいくか予想もできないので、安心できる状態ではなかった。


 ——そうか……、早く、仕事せんと、ヤバいな………

 ——今朝、ポンサックマネージャーから私に連絡あって、明日こっちに合流できるそうですが、此処までの移動手段を確保して欲しいということでした。今のところ彼含めて十七人が、来れるということでした


 ——おお、十七人か、それだけ居れば、なんとか仕事になるな

 ——はい、ただ、やっぱりあの問題だけはまだ解決の目処が……

 ——ん? 検査機か?


 仮操業の場所も、電気も人も確保できた。

 しかし、「検査機」が無いと、物を作っても売り物にならない——。


 かと言って、あの状態の工場内から運び出すのは危険極まりない作業で、運び出せたとしても、200kgものブツを運ぶボートを手配しなければならない。


 ——頭が痛いなーっ。金の掛かる話ばっかりだ………


 平田の苦悩の表情を見て大代は何も言葉が出て来なかった。自分も経理を預かる立場であるから、資金繰りの見通しは出来た。其れゆえ、これ以上余計な金を使いたくないという平田の気持ちが痛いほど分かった。


 少しばかり明るさが見えて前向きになりかけていた平田はまたしても沈んでいく自分の心根を引き止める術がなかった。


 ——おはようございます


 前原が、ミズキを伴ってやって来た。まだ松葉杖をついている、


 ——おい、どうやって来たんだ、その足で

 ——ミズキが車を運転して……


 前原はバツの悪そうな表情で渋々その問いに答えた。もしも事故でも起こしたら誰が責任を取れるんだッ!——と、叱りつけるのが当たり前なのだが、ぐっと堪えた。


 ——ミズキさん、お気持ちは有難いんですが、もしものことがあったら、私は、ご両親になんと言ってお詫びしていいのか分かりません。今後はこういうことは控えて下さいね

 ——すみません。軽率なこととは分かっていましたけど、健二さんがどうしても行くといって鍵握るもんですから……つい……

 ——君も君だ……気持ちは嬉しいが、それは社会人として失格だぞ

 ——はい。すみません。ただ、うちのアパートもほんとヤバくなってて、車を動かすことしか頭になくて……


 ——ん、わかった。今日のとこは、何も無かったから結果オーライで目を瞑る。今後は気を付けるようにな


 平田は、そんな風に経営者としての言葉を吐いてはみたものの、本当のところは前原の心意気に感謝していた。


 ——社長、腹減りませんか? ミズキがおにぎり作って来てくれました。新潟産のコシヒカリですよ!、味噌汁もありますから


 ミズキは日本を出て来る際に、20kgもあるコメ袋をスーツケースに詰めて持って来たらしい。

 貸し工場のフロアーにビニールシートを敷いて車座になって昼飯にした。


 ——美味いなぁー、やっぱり日本人はこれに限るなー


 梅干しの入った握り飯と味噌汁だけの昼飯であったが、何よりのご馳走であり、どんな栄養ドリンクにも勝る元気をくれた。


 ——炊飯器とコメと味噌、それに漬物も、ホテルに持って来ましたから、当分大丈夫ですよ、社長っ


 前原は平田がタイ飯が全然ダメであることを知っていたので、ミズキに言って作らせたらしい。


 ——ありがとうな、ミズキさん。ほんと、美味いよ、美味い……ッ


 不覚にも、声が詰まった。

 昨晩の飯のことが蘇ったのだろう、味噌汁の味が、平田の涙腺を緩めたのかもしれない———。

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