第四章 流浪の果ての安住
4-1 都落
——あ、社長っ! すんませんっ
開口一番、ポンサックは大阪で覚えた日本語で音信不通を詫びて寄越した。声音からして元気そうだったので、少しホッとした。
——実は、仮操業をするために今、動いてるんだが、バンナーで貸し工場を契約したとこなんだ
——そうでしたか……なにも役に立てないで、すんませんです
——いや、それはいいんだが、実は一つ頼みがあるんだ。こっちに来て仕事してもいいという従業員を集めて欲しいんだ。仮住まいのアパートは会社で用意するのと、支度金として一人五千バーツ支給するという条件だ
——わかりました。みんなに連絡とってみます
——で、君んとこは、どうなんだ?
——私は、今、父親の家に避難してきてます。アユタヤの家は水が引くまでは改修工事もできませんし……
——そうか。大変だな…… 元の工場は悲惨なことになってたよ。あっちも戻れるまで水が引いても、色々、手を入れないと仕事できるような状態じゃなかったよ
——私も少し落ち着きましたんで、できるだけたくさん連れてそっちに合流させてもらいます
——おおぉ、そうか。それは助かるよ。やっぱり君が居てくれるのは心強いよ
平田は「復興」に必要なパーツが一つずつ揃っていく手応えを感じていた。
十一月一日(火曜日)————。
バンコクの玄関口である、「ラップラオ」に遂に、水がやって来た。
「マテックス」社が入る商業ビルも一階ロビーが浸水し始めていて、小林からの連絡で、取り敢えず自分たちもパタヤ市街に仮事務所を借りて避難することを伝えてきた。ニュース映像で見る限りでは、数々のオフィスビルに浸水が進んでいて、郊外で見る洪水の光景とは違って、一層の危機感を煽るものだった。
いつまで……、どこまで続くんだ————。
「ラップラオ」の隣は、もうバンコク市内である。前原の住むアパートも「ラップラオ」に近いので、避難させるべきか迷った。
浸水や冠水の程度は恐らく軽微だが、一階駐車場に駐車している車が動けなくなる可能性があったのだ。
仮操業の工場で仕事が始まったとしても、車が使えないでは身動きが取れないことになる。
——ああ、前原くんか、ラップラオまで来たらしいな、やつら
——ええ、うちのアパートから1km先にも水が来始めてます。
——バンナーにホテルでも取るか? 俺も、そっちに移ろうとおもう
——そうですね……車が閉じ込められてしまってからでは遅いですしね
——うむ。あっ、ところで、彼女はもう帰ったのか?
——あぁー、それがですね……
どうやら、前原の彼女は強引に日本の実家を出て来たらしい。
——わかった。バンナーで月極めの賃貸のサービスアパートを二部屋探してくれないか? ホテルでも構わないし……
——了解しました。あのぉー、そんなんで、彼女も一緒でよろしいでしょうか?
——あぁ、君がそれで元気になれるなら、構わんよ
——家出同然で出てきたらしくて、帰るに帰れないって言うもんで
——まぁ、でも、嬉しいんだろ? 来てくれて
——あぁ、まぁ……はい
大代は事務畑なので、現場を任せられる日本人は前原しかいない。それ故に、前原の復帰が待ち遠しかった。
こうして、平田たちはバンコクを追われることになった。
当分は、外泊が続くと考えられ、平田はタイにやって来た時のスーツケースを引っ張り出した。
とうとう都落ちか————。
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