3-4 冷酷

 平田は、いよいよじっとしていられなくなり、前原と大代の二人を自分の部屋に呼んだ。


 ——今後、どうするか話し合いたい。遠慮なく意見を聞かせてくれ


 大代は、前原の横顔を伺いながらも口を開いた。

 ——休んでいる間、お客さんからの電話にほとほと困りました。いつ、いつなんだ、ばかりで……

 ——いつ、生産再開できるか、だな?

 ——ええ、彼らは被災してない南部の工業団地の人間ですから、わからないんですよ、我々の現状が

 ——うむ……、俺んとこにも毎日のように問い合わせが入ってくるよ。まっ彼らもそれが仕事だからな……それでも、なんかやりきれないもんは、あるよな

 ——ええ、ですけど、早急に手を打たないと「転注」されますね、確実に。日本も「東日本大震災」の影響がまだまだ残っていて、こっちの生産拠点は代替生産を強いられているそうですから……ますます、生産ノルマが高くなってるって感じですね


 前原も大代に続いて意見を寄越した。


 ——いずれにせよ、見極めるしかないですね。工場の水がいつ頃引くのか。もし、長引きそうなら、安全な場所で工場を探して仮操業をすることも考えないと、いつまでも誤魔化しがきかなくなってきてますね

 ——大代くん、今、うちの工業団地はどうなってる?

 ——水位は増えてません、どうやらピークは過ぎたようです。でも、明らかに水位が下がってきているってことでもない……そんな感じですかね。出来るなら、一度現場に入って確認したんですけどね……

 ——高速道路は通じているのか? 降りてからも進める状態なのかな

 ——いや、まだ北行きは通行止めのままです。その先も同じく1mも車では進めない状態だとか


 三人とも、そこで押し黙ってしまった。工場に近付けず肝心の見極めが出来ない以上、打つ手がなかった。結局、その日の会合はこれといった前向きな策も見つからず、散会となった。


 二人をエレベーターまで見送る際に、前原が右足を庇いながら少し引きずって歩いているのに気づいた。


 ——足、どうかしたのか?

 ——ああ、いや、あの日、工場内で作業してる時でしょうかね、クギかネジみたいなもんを踏んづけてしまったようです。安全靴履いてなかったんで……あの時はテンション上がってたんで、全然気が付かなかったんです


 ——大丈夫なのか? 破傷風とかなると厄介だぞ? 病院に行っとけよ

 ——大丈夫ですよ、すぐ赤チン塗って消毒しましたから……あははは、赤チン、ってなんか古いっすね……


 その前原の笑い顔に流されてしまって、強く病院に行くことを命じなかったことを、平田はまもなく大きく後悔することになった。


 それから、二日後の深夜、前原が断末魔の叫びに似た声で助けを請う電話を寄越した。


 ——社長っ……動けません……っ 熱と足の痛みで……


 平田は携帯電話と財布だけを握って部屋を飛び出し、前原のアパートへとタクシーを飛ばした。

 ノックすることもなく部屋のドアを開けると、ベッドルームに横たわる前原が平田の顔を見て安堵したのか、かすかに笑みを返して寄越した。


 前原は40度近い高熱にうなされ、右足は倍くらいに腫れ上がっていた。ぶるぶると悪寒に震え、唇は青紫に変色し、すぐに病院に搬送しなければ、どうにかなってしまうんじゃないかと思えた。

 平田は自力で立てない前原を背負って、タクシーが拾える表通りまで走った。


 日本人の「サミティベート病院」へとタクシーを走らせ、出迎えた看護師とストレッチャーに前原を預け、処置室に入るのを見送って、ひとつ大きく息を吐いた。

 スリムとは言え、前原の体躯は60kg以上はあるだろう。それを背負って走った平田は、悲鳴を上げる腰を庇うように、待合室のソファーに深々と身を投げ出した。


 平田の日本人の二人の部下は、大代が“角”で、前原は“飛車”だろうか。平田は大事な片腕の前原を欠いて、この先の難関に立ち向かわなければならなくなった。


 飛車落ちか————。*(1)


 神は、どこまでも平田には冷酷であった。


 ————————————————

【脚注】

 *(1)「飛車落ち」:「飛車」とは、将棋の駒の名称で、「王」に次いで重要な駒とされ、戦闘能力随一の駒。

 将棋の対戦で、格上の者が、格下(弱い者)と指す場合に、自陣の「飛車」を外して(落として)戦うことを「飛車落ち」と言う。

「飛車」は一般的にそれを取られたら負けと言われるほど重要な駒であり、攻め駒の大将のような駒である。

 ——へぼ将棋、王より飛車を可愛がり

 と、言われるほど、「飛車」は大事にされ、愛される駒である。


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