3-3 空港

 毎日、部屋に引き篭もって、タイローカルのテレビニュースとTwitterからの情報収集だけの日々が続いた。

 その間、T社以外の顧客の購買担当から何度も電話が来た。


 T社には、日本の支援が決まってからすぐに、向こう一ヶ月の納品は万全に対応できることと、生産再開に関しても一ヶ月後を目処に対策を検討中であることを報告していた。


 ——いつ、工場再開できますか?


 最初は、被災したことへの慰労の言葉が先に立って、気遣いをしてくれていたが、日が経つうちに彼らの本来の仕事である、「調達」に関する問い合わせの言葉に変わっていった。


 いつになったら?——、そう言われても、こっちは工場が冠水していて、操業したくとも出来ないのだ。彼らが言うには、どこか仮操業できる物件を探して、そこでなんとか再開してはどうかと。


 ——じゃぁ、御社は、資金援助含めてなんか支援していただけるのか?


 そう、無駄とわかっていても敢えて問えば、答えはいつも同じだった。


 いやぁ、それは……ちょっと——と、所詮は他人事になる。

 それは、ビジネスの世界においては当たり前のことだというのは、営業畑を長く歩いて来た平田にはよく承知していたことなのだが、やはりで、心持ちまで僻み根性になっていく。


 ——(冗談抜きで、早く再開しないと、機械の冠水を免れて喜んでいる場合じゃなくなるぞ……)


 平田は、徐々に焦り始めていた。


 十月二十五日(火曜日)———。


遂に、「ドンムアン空港」*(1)が冠水した。


 ニュース映像では、逃げ遅れたのか、諦めて放り出されたのか、ジェット機が二機、滑走路だったと思しき場所でぷかぷかと浮いていた。

「空港」自体が湖と化していた。平田の目には自動車が浮かぶその様よりも、もっと異様に映った。


(どうなってしまうってんだ……この国は)——。


 仮にも以前は、「国際空港」としてタイの玄関口であったその場所をやすやすとの侵略を許してしまって、この国の危機管理ってどうなってんだッ!——。


 平田にはテレビニュースのキャスターの男の少しニヤついた顔が腹立たしく見えた。いや、決してその男は笑っていたわけではない、不幸にもそう見える顔立ちだっただけなのだが……。


「ドムアン空港」が陥落したとなると、バンコク市街への侵攻も時間の問題と考えねばならない。


——いくらなんでも、バンコクまで呑み込むのか? 冗談だろッ!!


 その映像の後に、インラック首相*(2)が船首に陣取って、水兵の帽子まで被って何かを指揮する船隊のが映し出された。

 タイ湾に注ぎ込むチャオプラヤ川に、民間の商用船だろうか、船首を川上に向けて並ぶ数十隻の船の軍団映像である。


——なに、やってんだ? 


 一国の首相を呼ばわりしたくなるほど、呆れたパフォーマンスだった。

 要は、こうだ——。

船のスクリューを全開に回して川上向けて逆走するらしい。それで、川の流れに刺激を与え、上流の川の水量を減らそうという——、らしい。


 平田は、キャスターがニュース原稿を読む半ばで、アホらしくなって、ケタケタと笑いだしてしまった。


——って、飲み屋で見知らぬ日本人駐在員らしき男が零していたのを思い出した。

そんな皮肉とも卑下ともとれる言葉でしか理解できないことがこの国には、という意味らしいのだが……。


 平時なら、笑い事で済むのだが、今の平田には何ともやるせない思いをさせる言葉だった。


 


———————————————

【脚注】

*(1)「ドンムアン空港」

2006年に新バンコク国際空港「スワンナプーム空港」が開港されるまで、長らくアジアのハブ空港として昨日していたタイの「国際空港」である。

バンコク県の北摂に位置し、交通の便もよく、バンコク市内までタクシーで三十分の距離にある。新空港開港後は、その代替空港として機能しながら2011年の大洪水に被災し、翌年の2011年3月まで一時閉鎖された。現在は国内線および、一部LCC航空会社の国際線便が発着している。


*(2)「インラック首相」

タイ王国第36代の首相で、タイで史上初の女性首相。

2011年、タイ貢献党から出馬し当選。兄は第31代首相のタクシン氏で、義兄のソムチャイ氏は第34代の首相である。2014年の軍部によるクーデターで、「コメの買い上げ制度に関し、首相在任中に国に多額の損失を与えた」として職務怠慢容疑で暫定議会が2015年1月23日に弾劾議案が可決され、公民権を5年間停止される。

 その後、2017年、逮捕を恐れ、ドバイに逃亡した。現在も兄、タクシン氏と同じく国際手配中の身である。

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