2-8 戦場
さすがに、皆の動きも鈍くなってきていたが、作業は順調に進んでいるようにみえた。
そこで、平田は従業員にバイクを借用して工業団地の入り口付近の様子を見に走った。途中、何社か慌ただしく設備機械を運び出しているのを目にした。
怒号が飛び交っていた——。
トラックや乗用車が入り口付近で団子状態に連なっていた。バイクで来たのは正解であった。その列の隙間を縫うようにして正門を抜け、幹線道路に出るところまで来て、眼前の現実に目を疑った。
すでに側道は30cmほど冠水しており、下り本線(タイ東北部に向かう車線)も真ん中の二車線目まで冠水が進んでいた。
行き交う車やバイクは大きく水しぶきをあげながら、速度を抑えての通行を強いられていた。
朝見た時は大人しかったやつらは、隠していた牙を剝いてその進軍のスピードをあげていた。
はっきり肉眼でもわかるほど、水流に勢いがあることが観て取れた。
——(マズイ……夕方どころか、もう限界が迫ってるぞッ)
平田は急ぎバイクをUターンさせ、工場へと駆け戻った。
——どうでしたか? 表の具合は
平田の姿をを見つけ前原が問うて来た。
——もう、限界に近いぞッ。このままだと首尾よく積み込めても、こっから脱出できるかどうかわからんような状態だ
——とにかく急ぎましょう、まだ運営事務所からの避難指示は出ていませんッ!
——うん、ただ、女子社員だけでも先に帰そう、危険だ
——わかりました、そう指示します。
日本人三名とタイ人男子社員を残して、十数名の女子社員は工場を後にして行った。中には夫婦で働いているものも居たので、自分も残ると言い張ったが夫である男子社員に説得され、渋々帰っていった者もいた。
それはさながら、戦場の最前線に夫一人を残して避難する妻の姿のようで、平田の胸は痛んだ——。
それから、どれほど時間が過ぎたであろうか、既に太陽は西の空に傾きつつあった。
トレーラーの運転手の一人が悲痛な表情で言って寄越した。
——あと、三十分で勘弁してくれッ! もう出ないと途中で立ち往生ってことになっちまうッ!!
平田は腕時計に視線を落とすと、それは午後四時半を指そうとしていた。同時に残る機械の台数を数えると、あと6台残っていた。
——わかった。この先はフォークリフト3台で一斉に作業を進めようッ!
既に工場内はかなりのスペースが出来ていて、フォークリフト3台が一度に出入りできる状態にあった。
3台ずつ2回、1回辺り15分の作業スピード————。
それはもう、途中で機械を落とすことも十分考えられる、危険な作業であったが、もはや考え躊躇している場合ではなかった。
真っ先に、前原が動き出し、その後を大代が追った。
その時——。
平田は、見てはいけない物を見てしまった。
「精密工作機械」とは別に、「超音波探傷機」と呼ばれる、完成品を検査する際に使う検査機が2台、まだ品質管理室に鎮座したままだったのだ。
一台1500万もする代物だった。
——どうする? 機械を優先するか、検査機を先にか?
「精密工作機械」で生産が出来ても「検査」して出荷に必要なデーターシートを添付出来なければ、出荷作業ができないのだ。
またしても迫る時間の中での究極の選択であった————。
平田は、外で待機するもう一台のフォークリフトの運転手に指示をした。検査機は諦めることにした。しかし、ただ水没するのを指を咥えて見ているわけにはいかず、一台あたり200kg程度のその検査機ならば、作業台の上に乗せておくことは可能だろうと思ったのだ。
現場にはちょっとした作業用に天板も鉄製の頑強な作業台があったので、そこに乗せておけば運が良ければ助かるんじゃないかと考えたのだ。
作業台の高さは床面から1,3mほどある。工場外のアスファルト面と工場内床面とには50cmほどの高低差があるので、ギリギリ1.8mくらいの水深までならなんとか耐えられるのではにかという計算だった。
——運が良ければ……
戦場での指揮官の判断が、運頼みでいいものか——と、自嘲の苦笑いをこぼさずにいられない平田であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます