1-10 悪化
事態は刻一刻と悪化していた。
十月十二日、アユタヤの「ロジャナ工業団地」が完全水没したことが報じられ、この頃から日本でもタイの大洪水のニュースが盛んに報じられようになっていた。
それはそうだろう、日本が誇るあの完成自動車メーカーのH社の主力工場が完全水没したのであるから————。
完成車数百台が、車体の半分を水中に隠してぷかぷかと浮かんでいる映像をバックに、タイだけでなく日本のメディアでもトップニュース扱いで報じていた。
この時の「ロジャナ工業団地」を呑み込んだ洪水の最大水深は3mを超えるものだったと、後々になってわかった。
タイ人マネージャーのポンサックも月曜の夕方に早退してから出社していない。家の一階部分が完全に天井まで浸水したと連絡を寄越して来た以降、連絡はなかった。
——前原っ!、土嚢の調達はまだかっ?
——はい、ようやく昼過ぎに第一便のトラックが来ることになってます。なんせその需要に供給が追いついてないらしくて、トラック一杯の砂の値段も三倍に跳ね上がってます
——なんてこった……
結局、業者も袋詰めする人員が足りず、砂と袋だけを売るようになっていた。
——今日は昼からトラックが着き次第、従業員の半分を交代で土嚢作りに当てる予定です。
——ん、わかった。俺が陣頭指揮するから、君は現場を頼むッ
平田は、前原には現場の生産活動の指揮をとらせるため、自ら土嚢作りの指揮を買って出た。
昼過ぎ、工場前にトラックから無造作に落とされた砂がうず高く積まれた。平田もスコップを持って土嚢作りを手伝った。男子社員がスコップを持ち、女子社員が開けて待つズタ袋へと詰めていった。
夕方五時までかかって、全ての砂を詰め込んだが、全然足りなかった。今日作った分については工場裏に設置して無くなってしまった。工場の周りすべてに積むには少なくともあと二杯のトラックの砂が必要な計算である
——残りはいつ来る?
——業者は明日の夕方に二台のトラックで来ると言ってます。
向かいや、隣の工場でも同じように土嚢作りをやっているが、三軒隣ではブロック塀で工場を取り囲む算段だろうか、砂ではなくコンクリートブロックを大量に調達して来ていた。
——あれも、いいな。うちもやるか、せめて出入り口だけでも
——わかりました、大代さんに手配してもらいます
兎に角出来ることはすべてやるつもりだった。
それほど、事態は悪化していたのだ———。
その日の夜、「ロジャナ工業団地」近くの「ハイテック工業団地」が浸水し始めたという一報を、TwitterのTime-Lineで知った。
「ハイテック工業団地」には顧客の一社が入居している。
——<ハイテックも団地裏から浸水が始まったらしい、明日の夕刻には完全冠水の勢いッ!!>
——<ハイテックの次はバンパインか!?>
次々と、巨大工業団地が陥落していく。
平田は、声に出しては言えなかったが、なんとかそこで踏ん張って欲しいと願った。アユタヤ地区から南下してくると、いよいよ自分たちの入居している工業団地に迫ってくるからだ。
——(頼むッ、そこで止まってくれっ!!)
第一章「沈む古都アユタヤ」(了)
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