1-9 対策
心そこにあらずの土、日連休を終えると、平田は月曜の朝早々に緊急会議を開いた。
十月十日(月曜日)、タイは朝から雲ひとつない快晴であった——。
——昨日、「KMスチール」の柏木くんから電話があって、工場が被災したので避難するということだったよ。ポンサック、君の家はアユタヤだったよな? 状況はどうなんだ?
ポンサックは創業時から居るタイ人マネージャーで少しばかりの日本語が話せる。日本の本社工場に一年ほど研修で来ていた時に勉強したらしい。
——わたしの家も、もう危ないです。実は休暇を頂いて田舎に家族を避難させようと考えてました。家の周りはもう、30cmくらい冠水してます。
——おいおい、それは大変じゃないか、会社に来てる場合じゃないだろ?
——取り敢えず、昨日、家族はバスで私の実家に避難させました。け
ど、私は家が心配なんで残るつもりでいるんですが……
——そうか、君が居てくれることは心強いが、融通は利かせるからいつでも言ってくれっ
普段は鷹揚なタイ人もその表情は硬く、疲れが滲んでいた。ポンサックはローンを組んで新築の家を買ったばかりだったのだ。
——大代くん、君の見解はどうかな? タイの事情には詳しいだろう?
大代は少しばかり驚いたのか、華奢な両の肩をビクッとさせて平田に向き直った。
——正直、今年の洪水は例年とはその原因も規模も違う感じです。タイでは例年、雨季の末期が近づくと、北部山岳地帯の裾野やイサーン地方(タイ東北部)では規模の差はあれ、大なり小なり洪水は発生しています。
しかし、今年の洪水は……おそらく何十年に一度起こるかどうかのものだと言われてます
——うむぅ……で、その原因の違いと言うのは、なんなんだ?
——はい、まず、台風がベトナムに上陸して大量の雨を降らせたのが事の発端です。アジア名で“ノックテン”と命名された台風です。それで七月の三十一日から大規模な鉄砲水が発生して、タイ東北部の多くの県で大規模な洪水が発生し、十数名の死者を出しています。それに連動してタイ中部高地の県にも、ヨム川とナーン川からあふれ出た水で洪水が広がって、それらの水が一斉にチャオプラヤ川下流に向かって流れ出した……というのが第一段階です。
——第一段階? その次はなんだ?
——その次は九月末から十月始めにインドシナ半島に三つの台風が連続して上陸したんですが、この時に降らせた雨がタイ北部にある二つの大きなダムの貯水量を限界にまで押し上げたんです。それを政府は下流への被害が拡大することを知りながら、放水せざるを得なくなった……、というのが今回の例年とは違う大きな理由のひとつだと、タイ人識者の間では共通の認識になっています。
——ほぉー、それは……ある意味、人災だと?
——さぁ、私にはそう思えますが、誰もそれを根拠立てして立証できませんし、殊更にそれを認めてしまえば政府の責任問題にもなるんで、箝口令が敷かれているのかもしれません。
大代はポンサックに向き直って、その辺りどうなの?——という顔で無言の問いかけをしてみせた。
——ダムの貯水量の監視体制とか、放水量に問題があったというのは我々タイ人の間でも密かに言われてますけど……
結局、責任の所在は日本人が言うところの「タマムシ色」に処理されてしまって、うやむやのまま——というのが実際のとこらしい。
——とにかく我々は今、打てる最善の策を考えないといけない。その辺りで前原くん、なんか対策案はあるかな?
——今、出来ることと言えば、取り敢えず、土嚢を作って備えることでしょうか、どれくらいの水が来るのか想像もつきませんが、工場建屋周辺を二重、三重に土嚢を積むということで、いかがでしょうか?
——ん、わかった。大代くんとポンサックは手分けして土嚢の手配を頼
むよ、それと……万が一のために、小型の自家発電機と水汲みポンプも手配しておいてくれ。
土嚢や、水汲みポンプがどの程度役立つかは疑問であったが、今現在できる最大限のことをやるだけであった。
ただでさえ、生産工数が足りない状況の中、土嚢作りに従業員を駆り出していいものかと思いながらも、生産設備が水没してしまっては元も子もないと思い直し、席を立って自らを叱咤するように片頬を平手でパシリと叩いた。
その日が来る前の、
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