1-7 足音

 T社の鈴木MD社長と面談した翌日から、平田は早急に納期遅れ対策の手を次々と打って行った。

 大手求人サイトの3社へ求人広告を出し、工業団地入口の共同掲示板にも求人広告を出させた。そして、NC旋盤を2台、日本のメーカーに無理を言って、一ヶ月の納期で入れさせることにした。 

新規設備発注に関しては本社の熊田には了解は取っていない。

 それは、今回のタイ赴任を受ける条件として、すべて自分の一存で判断させてもらう——というのを、熊谷社長に了解させていたから出来たことであった。


 ——いやぁ、やっぱり平田社長の行動力は凄いっすね。正直言って、ここんとこずっと生きた心地しなかったんですよ

 ——そりゃそうだな。T社を怒らせて注文切られたらどうなるか分かっていたら、そりゃそうなっても仕方ないよ

 ——梶原社長には申し訳ないですけど、「大腸ガン」ですよ

 ——ふふ、それは聞かなかったことにするよ


「KUMADA THAILAND」はタイ人従業員四十名と、日本人駐在員が三名の所帯であった。平田と前原の他にもう一人総務経理を担当する日本人の大代が居たが、この男は現地採用で社員ではなかった。

 淡々と仕事をこなし、定時になれば帰ってしまうという男で、その存在感は薄かったが、タイ人の女性と結婚していたのでタイ語が堪能で、通訳代わりにもなったので前任者の梶原が雇い入れたのである。


 ——大代くん、今晩三人で一杯やらないか?

 ——ああ、今日は、ちょっと用事がありまして……


 平田は、大代の人物像を掴みたくて誘ってみたのだが、前原から聞いていた通り、あっさり定時には帰ってしまった。


 ——いつも、なのか?

 ——はい。こっちが何時間残業してようがお構いなしです。まぁ、採用面接の時に、残業はしません——ってのが約束だったみたいですけど

 ——で、君が見て、使える男なのか?

 ——ああ、総務経理の仕事はタイの法律にも詳しくてミスもないし、何よりタイの事情に精通してますんで、質の高い通訳が出来ますんで、それは代え難い人材だとは思いますけど……

 ——ほぉー、そうか……。じゃ、二人で行くか? どっかいいとこあるか?

 ——ああ、刺身の美味い店があります。焼酎も鹿児島産の芋焼酎を取り揃えてますよ

 ——おお、いいね。

 ——あっ、その前に、これをちょっと見て頂けませんか?


 前原は、パソコンの画面を指差して平田に見せた。

 ——ん? なんだこれは


 それは、水中に沈む工作機械の写真であった。


 ——こっから北に80kmほど行ったとこにある中堅規模の工業団地に入居している日系の金属加工メーカーの写真です。


 ——なんで、機械が、水に……

 ——洪水です。洪水で水没したんですよっ!


 その機械は高さ方向にして2mはあるだろう機械であった。それがすっぽり水没していたのだ。

 ——酷いな、これは

 ——もし、この洪水が此処まで来たら……

 ——そんなことあるのかッ!?

 ——わかりません。わかりませんが……万が一のことも考えていたほうがいいのかな、って思いまして


 平田はもう一度パソコンの画面の写真に見入った。

 日本の有名な工作機械メーカーの機械が砂塵に濁った水中で屍となっていた。おそらく何千万円もする代物だろう。平田の工場にも、日本製の工作機械が二十台以上設備されている。

 ざっと計算しても五億円近くの設備投資額だ。


 それらが一瞬で、かように屍と化したなら————。


 それは、会社の“死”を意味していた。


 


 



 

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