1-3 旅立
九月に入って、得意先への挨拶や部下への引き継ぎ等で、時間は飛ぶように過ぎていった。
営業課長の飯山は平田がずっと目にかけ育ててきた人材で、今では得意先の信任も厚く後を安心して任せることができるまでに育っていたので、後顧の憂いもなく日本を後にすることができた。
九月十五日、飯山が「関西国際空港」まで送ってくれた。その車中、飯山は最後の泣き言を平田にこぼした。
——常務が居なくなってしまわれると、やっぱりT社の購買部長の影山さんとのパイプが細くなるのが気になります
——大丈夫だ、あのおっさんは、月に一回のゴルフ接待と、焼酎の五、六本でも毎月送っときゃ問題ないさ
——いやぁ、やっぱり T社と取引ができるようになったのは平田常務と影山部長の深い信頼関係があってのことってのは、うちの会社だけじゃなくライバル会社の誰でも知ってることですから……
——ふふ、まぁ、そう言ってくれるなら、その信頼関係をしっかり守って
——はぁ……まぁ、その辺はずっと常務に叩き込まれて来ましたから……
まだ不安そうな表情を浮かべている飯山の肩をポンポンと叩きながら、今日の夕刻にはタイはバンコクに到着してるんだなと、フロントガラス越しに秋晴れの空を見上げて異国の地に想いを馳せた。
大阪関空発十一時のTG(タイ国際航空)便は北ウィングからの出発であった。出発ロビーの喫煙室で煙草を吸っていると携帯電話にメールの着信があった。娘の
『パパ、身体に気を付けて頑張ってきてねー、次帰るのはお正月?』
平田は煙草を口端に咥えたまま、短い返信文を打った。
『ああ、たぶん、正月だな。紗英もイラストレーターの勉強、頑張るんだぞ』
この時、年末年始は穏やかに大阪で新年を迎えられるものだと普通に疑うこともなかった平田であった。
【送信】ボタンを押して携帯電話のフリップを閉じた。
バンコク行きの
平田は小さめのスーツケースを引き喫煙室を出て、売店で週刊誌と単行本を一冊買って機内案内の列に並んだ。
平田には海外で働くことの緊張感や不安などは不思議と湧いて来なかった。それは生来の好奇心の強さが為せるものなのだろう、これから赴任するタイ王国の地で青年のように力強く闊歩し躍動したいと想う平田が居た。
平田敦夫、五十二歳、タイ王国へと旅立った———。
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