気弱な足取り

平方和

気弱な足取り

 そういえばさっきのバンドエイドは何だったんだ、と思い出した。改札へ降りるエスカレーターの前に落ちていた。ステップを確かめる視線に入って来たのだ。初めて見た様な気がしなかったのが、疑問点だった。どこか他のエスカレーターの前にも、やはり落ちていたのだったろうか。答えを見つけるより早く車両が滑り込んで来た。

 通勤の長めの乗車時間だけが、今の生活に許された娯楽の時間なのだ。ぼくは些細な疑問を頭から追い出して、本を開いた。往きに四十ページ、帰りに四十ページ。だから一冊を読み了えるにも数日を要した。けれどそれが、今の生活でのせいぜいのペースだった。

 昨夜、オフィスを出る時、坂上へとパトカーと救急車が走って行った。ビルのエントランスを閉じるガードマンと、何でしょうね、などと言葉を交わした。その出来事を確認するのは、翌日の朝刊を読み終える時まで待たなければならなかった。全ての情報はそんな風で、即時には獲得出来ない。

 仕事は毎日、夜分に至る。最早そんな事に、どんな抵抗もしなくなっていた。ぼくのプライベートは売り渡してしまったのだ。今は、いつまで続くかも判らない連続したプロジェクトを、片端からこなして行くばかりだった。

 ミーティングのある曜日は早めに出なければならない。もうその曜日が巡って来てしまった。先週押しつけられたあの無理難題を、さんざんやりくりして漸く片付けたばかりだと言うのに、もう次のミーティングなのだ。一息で一週間を過ごしてしまった。

 これはもう麻薬の様なものなのかも知れない。頭の中の回路のどこかで、時間の枠組みを大きく掴んでしまっている。自分の意識をその単位のテーブルに乗せているのだ。

 活字を追う視線の動きは、既に意識的なものではなくなっている。従って読み込みを必要とする描写をイメージに解凍してはいない。悲しいかなこれは、読書とは言えない状態だった。半分眠っているのは否定出来ない。

 それでいて通過して行く駅は、ちゃんと確認出来ているのだ。とは言っても文字による情報の処理は手許の本にだけ向けられている。駅の確認は、専ら壁面の色彩でだけ為されていた。

 一冊の本を、読む事の為に手にする機会は、実は生涯にそう幾度もない。内容に興味を持てる心理状態であるという事。それは、めぐり会いの要素が多いのだ。それを無為にしてしまう事に、悔いが残る。きちんと読みたいのだ。

 けれどそれが叶わない程に、今のぼくは多忙だった。片端から片づけ続ければ、この多忙さもやがて蕩尽出来るものなのだろうか。


 眠気は午後のひと時にも押し寄せる。机に片肘を着いて、ぼくは意識のスイッチを、切れるに任せる。身体を支える回路との接続が断たれる瞬間の辺りに、何か非常に郷愁をそそられる区域があるのだ。

「間違いかも知れないけれど」

 と、ぼくは語っていた。喉が潤いを失って滑らかな発声がし難い時に、こってりとした濃さの珈琲が呑みたくなるのだ、と言葉を継いでいた。珈琲カップを持ち、傍らで耳を傾けているのは、髪の長い女だ。早い日暮れに部屋には闇が拡がり始めていた。

 一重の両目は眦がやや上がっている。だから見つめられると、何か挑まれている様な気分になってしまう。自分の裡に引きつけている不幸を、誰にも触れさせまいとしているのだ。

 今まで幾度も離れた。けれどこの都会で、また互いを見つけ出してしまうのだ。その邂逅はぼくにとっては、二度も三度も同じ処を回った末の事だった。生きるスピードが違っていた。ぼくの速度ではどうしても彼女を振り落としてしまうのだ。

 どんなにステップを軽くした処で、所詮彼女にこのスピードが出せる筈もなく、やがてはぼくが先にこの世を去るのだろう。だからぼくは振り落とした彼女を振り返る事はしない。けれどそれでも、彼女はぼくを見つけて呉れるのだ。いつか来る最後の別れまでの日々を「傍らに居たい」と言って。

 どうして此処に居るのだろう。かつて彼女と過ごした街のあの古びた部屋にぼくは居た。此処に居るというのに、此処に違和感を持っている。土地勘のダイレクトリンクライブラリが失われてしまった様だ。

 スイッチを入れた蛍光灯が遅く点くので、ここはまだ時代の遅い「今」になってはいない場所なのだ。二十代の頃の蛍光灯は、こんな点き方をするのが当り前だった。ゆっくりと輝度を増す部屋で、ぼくは彼女と向き合っていた。

 その秋は残暑などという煮えきらない真似をせず、早々と凍える程の気温に到達してしまった。蛍光灯の点灯が遅いと感じたのは、そんな気候になってからだった。ぼくの部屋には殆ど家具がなく、日差しの残した気温を絡め取っておく場所がなかった。

 ひと夏の間、出番を失くしていた電気ポットに、久し振りで電源を繋いだ。ぼくらは湯を沸かし、インスタントの珈琲を作って暖を取ったのだ。


 珈琲サーバーには穴が空いてしまった。割れてしまった訳ではない。底の片隅に丸い穴を開けてしまったのだ。力一杯ぶつけた訳ではなかった。テーブルの角か、あるいはシンクの底で、軽く打ちつけたに過ぎない。けれどサーバーは欠けた。穴にピッタリと合う丸い破片をひとつ、軽い音と共に落とした。サーバーというものの壊れ方は、大抵がそうだった。

 彼女はそれを自分の非と取って、あちらこちらの雑貨屋で替わりのサーバーを探したらしい。だが珈琲メーカーというものは、各々固有のサーバーを背負っているらしい。穴の空いたサーバーの代用になるものは、どうしても見つけられなかったという。それ以来、ぼくの部屋では豆から珈琲を入れる習慣がなくなった。

 サーバーを割ったのは初めてではなかった。だからぼくは達観していた。

「壊れる時には壊れるもんだよ」

 実際、使い込んだサーバーは、必ずある日些細な衝撃で崩壊するのだ。しかし彼女は、そんな言葉で、自分を納得させる事が出来なかった。自分にある責任を、他人に譲りたくはないらしいのだ。


 打ち合わせを終えた会議室には、上りも下りもしない煙が立ち込めていた。数人の吐き出した種類の違う煙草の煙は、空気中で完全に撹拌され安定してしまったらしい。慌ただしく営業の連中が出ていった後、淀んでしまったのは紫煙ではなく、ぼくら制作チームだった。また無理を押しつけられた。一日は二十四時間しかないと言うのに。パソコンを二台使えば出来るだろう、などとは暴言だった。

 窓際のチェーンを引くとブラインドに隙間が出来、スライスされた西日が勢い良く飛び込んで来た。その明るさに眠りを誘われた。気分だけを夏の午後に運ばれたかの様だった。

 グラビアページには優雅な生活のショットが続いている。夏の午後に、ぼくは雑誌を開いて、部屋に寝転がっていた。開いたページには犬の写真がある。二本の前脚で器用に支えた歯ブラシの穂先に、横様に噛みついている写真に添えられたキャプションは「歯を磨く犬」。

「こいつはヒトの記憶を残しているのかね」

とぼくは、彼女に声を掛けていた。違うよヒトは動物に生まれ変わらない、と彼女は台所から応えた。東洋的な宗教に造詣があるのだ。

「生まれ変わるとしたら身近な動物とは限らないもんね」

 敢えてぼくは、話を一般的なレベルに戻して話を続けた。ジャングルの奥地の動物かも知れない。そんな場所ではヒトに近い生活の知識を携えていても、何の役にも立つまい、と。


 地下鉄の通路で、幼い娘の手を引く母親がいた。娘は白いブラウスと大人びた仕立てのスカートを着せられ、よそ行きの格好だった。母親はこの子供を、女性的なセンスを動員して飾ったのだろう。それは小さな分身を作る事でもあり、母にとって最上の楽しみであるに違いない。

 母の脇を歩む娘は、けれど仕草の端々で襤褸を出している。スカートのあしらいとしては乱暴な歩みを見せ、時には妙な場所に手を遣る。関心を寄せるのは、放置された塵であったりする。

 女の子の格好に仕立ててはいても、中身は別物だった。子供という別種の動物。汚い物でも平気で、下品な言葉が好きな、オスでもメスでもない生き物なのだ。

 それが長い時間を掛けて変化するのだという事に思い至った。芋、南瓜、酢の物などは大抵の女性の好む食物だ。男性にはこれらは好まれない。今では苦手なこれらの食物を、子供の時には好んでいた事を思い出す。

 生物として未分化だった時期に仮初めに持っていた、母親から引き継いだ女性の味覚。かつてはあったその味覚を、ぼくたちはいつか失くしているのだ。それが変化というものだろう。


「人に尾の痕があるよね」

と彼女は問い掛けた。曇り日の朝だった。湯沸かしポットから注いだ湯は熱すぎた。彼女の入れたインスタントの珈琲は、飲み頃の程を過ごしていた。出勤前の時間では呑みきれなかった。

 あぁ、昔は猿だったからね、と出勤を急ぎつつぼくは応えていた。骨格にだけ残る無用な器官。鯨に足の痕があったよね、と彼女が言うのは、いつか博物館で見た巨大な骨格標本を思い出しての事だろう。

 それなら、と彼女は椅子の上で両膝を抱え乍ら、テーブルの上に拡げた新聞の科学欄を見て言う。恐竜は絶滅せず鳥類に発展的変化を遂げた、という学説の記事だった。

「鳥にもどこかに恐竜の痕はないの」

 骨格上の痕跡という話題は彼女のお気に入りだった。今となればその理由も判る。彼女は自分の抱える痕跡に、愛着さえも抱いていた節があるのだ。

 手にする事を嫌われた熱い珈琲カップは、ふたつ並んでテーブルに放置されていた。台所で彼女はたゆたっていた。そんな彼女に構わずに部屋を出た。扉を閉じると、通路では涼しい風が出迎えて呉れた。空はほんの一重だけ雲に包まれていた。


 全てはそんな風だったのだ。ぼく達の間では、諍いを昇華する事が許されなかった。どちらが悪かったか、を決めるまで話は突き詰められた。そして原因となった「悪意の核」が見つかると、それは彼女の心に大切に残された。「核」はいつでもまた取り出され、新たな諍いの為に供される。ぼくが悪ければぼくを責め、彼女が悪ければ新たな自責を語ろうとする。

 「核」は彼女の裡では確固たる質量を持ったものなのだ、とやがて判った。彼女はその「核」の量感で自分を支えていたのだ。だから彼女はあらゆる問題点を、敢えて未解決に置こうとした。「核」を失うと、自分の姿を支えるよすがさえ失ってしまう、と信じているかの様だった。

 それすらをぼくは、解決しようとしてしまったのだ。だから彼女によってぼくは排斥された。私は悲しみに生きているのだから、と。


 眼前にフィルターがあるかの様な視界となって、思わず目を擦ってみた。しかしぼやけ方は変わらない。それが年齢のせいだと、やはり認めざるを得ない。疲労はこんな作用をする様になるのだ。若い頃には実感も湧かなかった「目のかすみ」という症状。

 帰途を辿る夜分に、街灯の照らす街並みが良く見えていないのは、街灯の光量が足りないのではなかった。全てはぼく自身の体力の問題だった。

 霞んだ視野で辿る街路は、左右から闇が迫ってどこも並木道に見えてしまう。そんな風に闇に騙されてしまえばこの街も、なかなか風情があるというものだ。やはり夜は面白い、と思った。闇に覆われる場所に、思いも寄らない不思議がまだ在るようで、心を躍らせられる。

 街灯の落とす光線こそがこの靄を作るのではないだろうか。全てを冷やすこの闇こそが、やがて雑草の葉の上に宿る水を作るのではないだろうか。見上げれば夜空は曇っていた。それは今朝出掛けた時と、寸分違わない雲の配分だった。扉を開けばテーブルに、ぼくが呑み残した珈琲のカップがある様な気がしていた。

 帰り着く部屋に、彼女がいる筈はなかった。けれど今日一日、彼女に語り掛ける言葉を探して過ごしてしまっていた。ぼくも苦しんだという事をどう伝えればいいのだろう。ひとが何かを出来ない事を許せないと、自分が苦しいのだ、という事実。それに気づくまでに半年を要してしまったのだ。

 彼女に比べればぼくなどは、やはり相当に常識的なのだろう。責任や罪障を負えば、いつかそれを解消し、身を軽くしたいと考える。だからこそ彼女の背負っていた見えないバッグに関心を持ち、無理矢理にその中身を知ろうと迫ってしまった。普通の感性で、普通の生活を続けようとすれば、ぼくの行動も当然の帰結ではないだろうか。けれどそれが二人の関係に罅を入れた。

 例えば彼女は同じ職場に長く勤められない。何かのミスを自分で許す事が出来なくて、いつまでも引き擦ってしまう。その事で作業の進行に遅れを取ってしまう。けれど彼女には、それをどうする事も出来ないのだ。

 仕事を失えば、健康保険料さえ滞納せざるを得なかった。ぼくはそれを気遣った。入籍だけでもしてしまえば、保険料はぼくが負担出来るから、と説得した。彼女は迷い、いつまでも結論を出せなかった。

 そんな風に様々な事で、先回りをして安易な結論に着地しようとするぼくに、彼女はやがて従いて来れなくなった。ある日帰宅すると部屋に灯りが無かった。彼女は居なくなっていた。それは積極的な行動ではなかった筈だ。自分を置く場所を失くしたからこその、追いつめられた選択だったのだろう。


 ぼくはまた彼女を振り落してしまったのだ。いつも乍らの性急な行動の仕方を、ぼくは悔いた。だからそれからの長い日々に、ぼくは彼女の影を傍らに住ませ、彼女の心の裡を探り続けて来た。

 ぼくは故郷からとっくに排斥されている。けれどそれを認めようとはせずに生きて来た。それというのもその嚥み下せない故郷こそが、自分自身を支えているからだ。ぼく自身が抱えているものもまた「核」なのではないか。

 それは彼女の抱える「核」と似てはいないか。我が身に引きつけ、噛み砕く事で漸く、彼女の頑なな想いを理解出来る様になった。ここまで来るのに半年を要した。これをこの半年の日々の成果と言ってもいいのだろうか。

 部屋の灯りは、今夜もゆっくりと輝度を増した。濃くしたインスタント珈琲を呑んでいると、どうしてここにいるのだろう、という疑問が兆した。珈琲を呑んでいるというのに強い眠気を感じ、テーブルに片肘をついて脱力しかけた。眠りの入り口のあたりに光の差し込む会議室の様子が見えた様な気がした。


 朝は深い色で描かれている。雲を描いた刷毛は、相当の早さで左から右へと流されたに違いない。秋の空は横に広く構図を取ってある。傘を持つ事を何より嫌うから、どっちつかずの天候は困る。こうしてはっきりと傘を使う必要はない、と判る天気こそが嬉しかった。

 自分ではけっこう慎重であると思っている。電気、ガスはその時々できちんと確認している筈なのだ。けれどこうして駅までの道を数分歩くうちに、電気消したっけ、ガス栓締めたっけ、と不安になる事が多くなった。気弱になる事は、年齢を重ねる事に関わるのだろうか。

 駅の改札へ降りるエスカレーターの前には、バンドエイドが落ちていた。見つけてから、まただ、と思った。いつかの物と同じだったのだろうか、と振り返ってパッケージに目を凝らしたが、頭の位置は既に路面より低くなっていて見る事が出来なかった。

 乗り込む車両はいつもより一本早い。こうして今日またオフィスへと向っている。拠点をこうして繋げられる事に、心強いものを感じていた。それは取りも直さず、今日の生活を明日に繋げる事になるからだった。 (了)

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