第3話 この屋台、盛況につき。

公園から15分ほど歩いた通りの小脇に、佐伯の行きつけの屋台はあった。

昔懐かしの木造の屋台である。

軒には赤い提灯が1つ灯っていて、その一角だけ昭和の時代に取り残されたような錯覚に陥る。

「おやっさーん」

佐伯は暖簾を押し上げて、中で新聞を読んでいたおやっさんに声をかけた。

「なんだ、ボウズ。もう来たのか」

おやっさんは新聞から顔をあげて、ニカッと歯を見せて笑った。

褐色の肌と白髪を後方になで付けた筋肉質な初老の男性である。

性格も顔も男前で、気の良い近所のおっちゃん的存在として屋台常連の客に親しまれていた。

「なに言ってるんですか」

「嬢ちゃんと一緒なんだろう?さっき電話が掛かってきたぞ」

「は?」

おやっさんの言葉に後ろを振り向く。

大人しくついてきていた黒桂(つづら)は、それは爽やかな顔でニコニコと笑っていた。

そう言えば、公園からの道中でどこかに電話を掛けていたな、と佐伯はぼんやりと思い出した。

呆然と立ち尽くす佐伯の横を通りすぎ、黒桂はおやっさんの真正面、真ん中の席を陣取った。

「おやっさん、お久しぶり」

「おう、嬢ちゃん。久しぶりだな」

当然のように挨拶を交わす2人に佐伯はついていけなかった。

「な、な、な?……なんっ?」

言葉も出なかった。

「ボウズは知らなかったのか?」

「ええ。驚かせてあげたくて」

ペロッと舌を出して肩を竦めた黒桂。

さすが美人。そんな仕草も絵になる。

いや、そんなことはどうでもいい。

おやっさんはおやっさんで「やっぱりなあ」と豪快に笑っている。

「おやっさ、えっ……な?……つづっ……?」

「まあ座れや、ボウズ。話はそれからだ」

おやっさんは日本酒を徳利についで、黒桂と佐伯の前に置いた。

「今日は良いのが入ってるんだ。お前らラッキーだぞ」

そう言って茶色い一升瓶を片手に揺らす。

ラベルを見ると「獺祭」の2文字が眩しく輝いていた。

あの幻の酒か!

佐伯と黒桂はゴクリと喉をならした。




「あぁ、これよね、これ!まったりと優しい飲み口、華やかな香りが口内を満たして……とっても美味しい」

「スッキリとした口当たりで何合でもいける。とにかく旨い!」

2人は恍惚とした表情を浮かべながら、えげつない速度で酒を食らっていく。

おやっさんは頬杖をついて見守っていたが、ふと「しっかし、ボウズと嬢ちゃんがなあ……妙な因果もあるもんだ」と沁々呟いた。

だが、その呟きは酒に夢中な2人には聞こえなかったようだ。

「「おやっさん、おかわり!」」

息のピタリと合った2人の掛け合いに苦笑をもらしつつ、おやっさんは一升瓶を黒桂と佐伯の猪口に傾けた。

「……おいおいおい。もう無くなっちまったじゃねえか」

「えっもう!?」

「まだ呑み足りない……」

ものの数十分で空になった一升瓶。

分かりやすく肩を落とす2人に、おやっさんは盛大にため息をついた。

「しょうがねえ」

「「獺祭?!」」

「ねえよ!ったく、俺の分まで呑みやがって。……ほれ、山田錦だ」

ドンッとカウンターに置かれた一升瓶に佐伯はさっそく手を伸ばした。

「ボウズは酒のことになると全く遠慮ってもんを知らないな」

美味しそうに猪口に口づける佐伯を見て、おやっさんが笑った。

「佐伯さんいけるクチね」

猪口を傾けながら、黒桂が微笑んだ。

少し頬が赤らんでるからか、妖艶な雰囲気を纏っている。

「そうだそうだ。お前らザルなんだから、いっちょ呑み比べでもしながら話し合っとけ。俺の懐も潤う。っと、客か。じゃ、楽しめよ」

そう言って屋台の端っこに座ったサラリーマンの客の方へオーダーを取りに行った。

「「……」」

「まあ、呑みましょうか」

「そうね」

おやっさんの作った絶品の卵焼きを肴にちびちびと酒をなめる。

酒のピリッとした辛みと上品な味付けのの卵焼き、相性バツグンだ。

いくらでも食べられる。

「そう言えば、黒桂さんも屋台の常連だったんですね」

佐伯は思い出したように呟いた。

「そうそう。最初は興味本意で入ったのよ。いい雰囲気の屋台があるじゃない!って。一人で酒屋をはしごしてた時にね。そしたらドンピシャ。おやっさんはいい人だし、お酒のセンスも料理の腕も絶品でしょ?まさに一目ボレだったわ。あなたは?」

「僕?僕はおやっさんが近所に住んでいて、幼い頃からお世話になっていたんです。それで、就職した際にここを教えてもらって」

「それで通ってるわけね」

「ええ」

「……タメで話し合わない?」

「え?」

「せっかく、こうやって一緒にお酒飲んでるんだし、ね?」

「あ、ああ!はい。そうですね」

「あ、また」

「……!」

佐伯と黒桂は暫しの沈黙の後に笑いあった。

「いけませんね。癖が抜けなくて……」

その時、2人は同時に右に顔を向けた。

近くから喧騒が聞こえてきたのだ。

サイレンは未だ聞こえないが、なにか大きな事件が起こっているようだ。

人影は見えないのに結構な人が騒いでいるのが聞き取れる。

「おやっさん!」

「なんだ?」

「あっちは何があるの?」

黒桂は喧騒が聞こえてくる方向を指し示した。

「あっちか?突き当たりを曲がったとこに堤防があるぞ」

「堤防?」

黒桂は少し考え込むように首を傾げて、口角を上げた。

……嫌な予感がする。

「ちょっ……黒桂さん?」

「ちょっと行ってくるわ!」

「おう!やっぱりか!行ってこい!」

パッと顔を上げた黒桂の瞳は獺祭のラベルの如く輝いていた。

「ほら、行くわよ、佐伯さん!」

黒桂は佐伯の左手首をガシっと掴み上げて、屋台を出ていく。

「え、ちょっ行かない!行かない……!」

黒桂に引きずられるようにして屋台を離れていく佐伯を、おやっさんは眩い白い歯を見せて豪快に送り出した。

「事が終わったら飲み直しに来いよ!」

「ええ!行ってきます!」

「なんでええええええ……????」

喧騒が響く夜に、一人の男性の悲痛な叫び声も響き渡った。

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社外活動につき。 古野あき @haru-aki

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