第5話第5回 基礎となる技術その4・主語が異なる文章の追加、終わりに

【7】基礎となる技術その4・主語が異なる文章の追加


 最後に紹介する技術は「主語が異なる文章の追加」です。これは小説執筆以外ではまず使わないので、作文や読書感想文などの学校で教わる文章の書き方を知っていても覚える事はできません。

 具体例を見ていきましょう。まず、この技術を使っていない文章からです。


(例16)

 僕は道を歩いていた。

 僕は自動販売機で缶ジュースを買った。

 僕は目的地の河川敷に到着した。


 この文章でも意味は十分伝わりますが、「僕」という主語を連続で使用しているため、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に反しています。

 そこで、「僕」以外の主語を持つ文章を追加することによって、「僕」を主語とする文章が続かないようにします。


(例17)

 僕は道を歩いていた。

 真夏日の正午はうだるように暑い。

 身体から汗が噴き出してくる。

 僕は自動販売機で缶ジュースを買った。

 冷たい飲料水が喉奥に流れ込むと、歩き続ける気力が湧いてくる。

 止まりかけていた僕の脚が、再び動き出した。

 アスファルトから陽炎が立ち上っている。

 僕は目的地の河川敷に到着した。


 どうでしょう? (例16)の1行目と2行目の間に、「真夏日の正午」を主語とする文章と「汗」を主語とする文章が追加され、2行目と3行目の間に「冷たい飲料水」と「歩き続ける気力」を主語とする文章、「止まりかけていた僕の脚」を主語とする文章、「陽炎」を主語とする文章が追加された結果、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に則った文章に変わっています。


 ちなみに、既にお解りいただけていると思いますが、(例16)と(例17)の文意ほとんど一緒です。ただ、「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則を守るためだけに、「僕」以外の文章を、まるで情景描写のように書いているのです。


 このような文章を書くためには、まず必要性とか意味性で文章を書くという考え方を捨てる必要があります。必要性で考えてしまうと(例16)の文章でも、全く問題がないことになってしまうからです。


 大切なのは「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則を守るために、不必要な文章でも追加することによって同じ単語、同じフレーズの繰り返しを避けるという考え方です。そして、この考え方がなければ小説向けの文章を書く能力が向上することはありません。


 この方法は、技術的にはこれまで紹介してきた他の方法以上のものは無く、ただその考え方、もしくは価値観のみが問われます。つまり、心のどこかで同じ単語が続いてもいいやと思っていたり、「意味のない文章は書きたくない」と思っていると、身につきづらい方法なのです。


【8】終わりに


 以上で、小説向き文章の原則と4つの基礎技術についての解説を終わります。


 「省略」と「文末の変更」は出来て当たり前の技術、「代名詞、類語、換称、換喩など、いわゆる「言い換え」の使用」と「主語が異なる文章の追加」ができれば平均以上の文章力である事がご理解いただけたと思います。


 小説向け文章を書くための技術は、この他にもたくさんあるでしょうが、基礎となるのはこの4つで、その背景には「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則があることをおさらいしておきます。


 ただし、これらを十全に使いこなせれば、超絶技巧の文章家になれるかというと、そういうわけではなく、実はこれよりも一段上の技術があります。


 それは【4】で予告をしていた通り、「一つの文章内に三人以上、あるいは三つ以上の主体を登場させ、矛盾無く書けるという技術です。


 具体例を見てみましょう。


(例18)

 アンナがピアノの練習をしている間に、ジェシーは家を出て買い物に向かい、スーパーマーケットの駐車場にいたデヴィッドから声を掛けられた。


 恐らく(例18)の文章を読んだ人の大半が「何でこれが高度な技術なの?」と思ったはずです。しかし、一つの文章に三人以上のキャラクターを登場させ、それを矛盾無く書ける作家というのは、実はほんの一握りです。


 そこで、今度は失敗例を見てみましょう。


(例19)

 モハンダス・ガンジーはロンドンへの留学を経て南アフリカで弁護士となり帰国後に独立運動を率いるようになるが、ヒンドゥー教徒の立場からインド国内におけるカースト制度を擁護し、不可触民(ダリット)への選挙権付与に強硬に反対してダリット出身で独立後に初代首相となったジャワハルラール・ネルー(一八八九~一九六四)の下で初代司法大臣となったビームラーオ・アンベードカル(一八九一~一九五六)と激しく対立した。


 この文章を読むとネルーが不可触民出身に見えますが、実はアンベードカルの方が同階級の出身者です。書き手が一つの文章に三人の登場人物を入れた結果混乱を起こしたため、このような間違いが起きています。


 【4】でも説明したように、同様の失敗は一つの文章内に二人以上、あるいは二つ以上の主体を登場させた時にも起きるのですが、三人以上になるといきなり頻度が上がります。


 もしも、本稿を読んでいらっしゃる方で、(例18)のような文章が自由に書けるならば、その方は「文章が上手い」と自称して良いと思います。また、一つの文章に三人以上の人物を出して、矛盾無く書く技術に関しては、本稿では説明しません。ご自身でよく考えて答えを出してみて下さい。


 その代わり、最後に文章執筆を練習するためのコツをお教えします。


 それは、小説を最後まで書いた上で、文章を読み直して修正するというものです。修正は複数回行った方がより優れた文章になります。


 たとえばロシア文学を代表する作家のレフ・トルストイ(一八二八~一九二〇)は、大作『戦争と平和』を脱稿するまで七回の改稿を行っています。


 スポーツや楽器演奏などの芸事と異なり、文章執筆は公開するまで何度失敗しても良いという特性があります。むしろ、長編小説を一つの誤字脱字もなく書き上げる方が難しく、ノーミスクリアは非現実的な要求です。


 そこで、ミスがたくさんあっても手早く作品を完成させ、余った時間で誤字脱字や文章が破綻していないかなどを調べていき、文章の質を上げていくのが確実な方法だとされます。


 私が見た範囲でも、改稿を嫌がる作家は、ほぼ例外なく平均以上の文章力を有していませんでした。小説執筆をする際には、是非とも完成した自作を何度も見直して、修正をしていく癖を身につけることをお勧めしておきます。


(完)

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小説向き文章の原則と基礎技術 鳥山仁 @toriyamazine

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