第4話第4回 基礎となる技術その3・代名詞、類語、換称、換喩など、いわゆる「言い換え」の使用(後編)
前述のシミュレーションは極端に単純化されたものなので、実際に存在する作品を正確に分析したのとは結果が異なるでしょう。しかし、長編小説執筆における換称の重要性は理解していただけると思います……と言いたいところですが、ここで読解力の問題が顔を出します。
この技術を成立させるためには、書き手はもちろん読み手も、人名、代名詞、換称が同一人物を指し示す単語である事を理解していなければなりません。人名と代名詞が同一人物を指し示す単語である事を理解する事はできても、換称までは理解できない人は、この技術を使いこなして文章が書けないか、あるいは読めないのです。
つまり、生得的、もしくは幼少期の教育によって差がついた読解力の違いによって、換称を使った表現を多用するかどうかを否定的に評価するか、あるいは肯定的に評価するかが決まってきます。
言うまでもないことですが「分かり易さ」を重視する作家や読者は、換称に対して否定的と言うよりも、そもそも文章技法として多用することはありません。
また、このタイプがよく言い出すのが「文章を書くのに重要なのは隠喩(メタファー)」という謎理論で、私自身が何度も聞いていますが、全く理屈が分かりません。
恐らく、隠喩という単語に「隠」という単語が使われているので、何らかの意味を「隠している」に違いないという連想から、神秘的なイメージを抱いているようなのですが、小説執筆における隠喩表現というのは、そのほとんどが直喩の省略形に過ぎません。
これも具体例を挙げましょう。
(例13)
スティープは岩のように頑丈な身体をしていた。
(例14)
スティーブは岩だ。
言うまでもないことですが(例13)で使われているのが直喩、(例14)で使われているのが隠喩です。こうやって並べてみれば、隠喩が直喩の省略形、しかも不完全なので意味がよく分からない省略形なのがお解りいただけると思います。
単語の並びなどでイメージを想起させようと試みる詩作の一種であるならともかく、このようなぼんやりとした文章を書き連ねていく小説は、読みづらくて大半の読者が苦痛を感じるだけでしょう。
長編小説を書く際に、これよりもはるかに重要な修辞学(レトリック)上のテクニックが「換喩(かんゆ)」です。換喩は修辞学で紹介される技法の中でも、直喩や隠喩と比べると知名度が低いのですが、小説向き文章との相性は抜群です。
ところが、この換喩の定義は修辞学でも厳密なものではありません。例えばウィキペディアでは「概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる、比喩の一種」と解説しており、「上位概念を下位概念で、または逆に下位概念を上位概念で言い換える」提喩(ていゆ)を含む場合がある、と解説していますが、これらの定義は非論理的で曖昧だと言わざるを得ません。
そこで、本稿では換喩と提喩を同一のテクニックとして扱い、その技法を「集合とそこに含まれる要素を同一のものとして扱う表現技法」と定義します。
たとえば、食事という集合があったとしたら、その要素には、ご飯、パン、ラーメン、パスタなど、様々な料理が含まれるわけですが、その中からご飯を取り出して、「食事」を「ご飯」と言い換えるのが、換喩あるいは提喩の基本技術です。
この他にも、人間という集合から頭という要素を抜き出して「頭数が必要だ」と言ったり、同じように手という要素を抜き出して「人手が足りない」と言ったりするという例を挙げられます。
従って、「ハンナ」というキャラクターを「上背のある女性」と言い換える、すなわち換称も場合によっては換喩に含まれることになります。
換喩は専門の辞典が存在せず(類語辞典には一部が掲載されています)、またその多くが慣用句に含まれているため、作家や読者の語彙が豊富でないと、書けないし意味も分からないという難易度が高い技術です。
この傾向は、慣用句に頼らず小説内で換喩表現を行うと、より顕著になります。
具体例を見ていきましょう。
(例15)
僕は邦夫の顔を凝視した。
男性なのにおかっぱ頭なのが外見上の特徴だが、それ以外に目立った部分はない。
「どうかしたの?」
彼は不安そうな面持ちになると、こちらに声を掛けてきた。
黙って観察していたのが気になったようだ。
「いや、別に」
僕はおかっぱ頭にそう答えると、作り笑いを浮かべてみせた。
どうでしょうか? この例では、まず2行目で「邦夫がおかっぱ頭である」ことを書き、7行目で「邦夫」という人名の代わりに「おかっぱ頭」という換喩表現を用いることで、より「可能な限り同じ表現を使わない、あるいは間隔を空けて使う」という小説向き文章の原則に沿った文章を書いています。
しかし、このような文章を書くためには、まず換喩を読者が理解できるように、前提条件を提示するための文章、(例15)では2行目の部分を意図的に書く必要があります。つまり、頭の中のイメージを思い浮かべ、それをなんとなく書くという方法では難しいのです。
これは(例12)のケースでも同様ですが、換喩の方がより顕著です。そこで換喩表現をする場合のコツを説明しておきます。
それは、まず作者が「換喩を使う」という意図を明確に持ち、執筆中に換喩表現が使えそうなシーンが出てきたら、イメージよりも構成を優先して換喩を成立させるというものです。この辺になってくると、本当に文章力が無ければ書けないので、本稿を読んですぐに真似しようとしても難しいと思われます。
これは換称も同様で、換称を書くという意図を持って換称を書いていく事が要諦となります。たとえば、文章上であるキャラクターを表記する際に、「キャラクターの名前→代名詞→換称」の順番に書くと決めてしまい、それに合わせて文章を書くつもりで無ければ換称を使うことは難しいでしょう。
従って、換称や換喩が書けなくても落ち込む必要はありません。省略や文末の変化を自由に使いこなせていれば、平均的な文章力はあります。
ただし、だからこそ「二つの文章を一つに繋ぐことによって、主語を省略する」という方法と同様に、換称や換喩を多用しているかどうかをチェックすることによって、書き手に水準以上の文章執筆能力があるかどうかを判断することが出来ます。
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