応援コメント

第31話 『第四十五話 かなしみの向こう側に』」への応援コメント

  • 何ぞ、この予告!?
    期待しちゃうじゃないですかw

    作者からの返信

    「フブキ編」はかなり前からネタを仕込んでいたので、当時はやっと書けるぜって感じでしたw


  • 編集済

    すいません、俺、すっごい神経質な方で。どうか「ウザいな〜この応援コメ主」と思わないでください。

    誰かが上手に説明してくれることを期待して、「俺の国語力」がおかしい、足りてないかもしれないんですが、読んでて「引っかかった文章表現」を上げることをお許しください。(削除してもらって構わないので)

    せっかく楽しく面白く読んでて、そういうのが出た途端に、そこばかり気になるのは弊害、現場では編集者さんとか校正する人とかが、サクッと簡単に変えちゃうのかもしれませんが。(ウェブ・雑誌の取材記事ならそうです(まー適当になおしといてwみたいな)、文学作品の現場はそんな訳にいかないか)



    彼らは心の底からあと数話で終わってしまう贔屓の番組に名残を惜しんでいた。

    「贔屓の番組に名残を惜しんでいた。」

    ここですが、

    「(贔屓の)番組の終了を名残惜しんでいた。」

    とか?

    贔屓をカッコに入れたのは、「の」が2度続く違和感なんですが……

    「贔屓の番組の終了の名残を惜しんでいた。」
    にすると、一体、「の」が何回出てくるの!となってしまうし。

    「番組終了」の名残を惜しむ

    「名残を惜しむの直前」が「の」じゃないとどこか違和感感じる、というか。

    コメ、話し言葉そのままで書くと、分かりにくいですよね、すいません。

    「贔屓の番組に名残を惜しむ」名残を惜しむ、その対象は「番組」じゃなく、「番組の終了」。名残を惜しむのは渚と夏希。

    「終わってしまう」というのが先に来ていて、また「終了」と書くのは、ちょっと意味、重なるのかな、とも思います。

    彼らは心の底からあと数話で終わってしまう贔屓の番組に名残を惜しんでいた。
    =>
    彼らは心の底からあと数話で贔屓の番組が終了することを残念に思っていた。




    こうなると弱いですよね。できたら「名残を惜しむ」という表現を使いたい。

    =>彼らは心の底からあと数話で贔屓の番組が終了することを残念に思い、その名残を惜しんでいた。

    でもいい感じかな?でも文体の調子が変わってしまう。句点で途切れると、「シュッとしたスタイリッシュな感じ」ではなくなる。合わなくなるんですよね、文の調子が。

    「名残を惜しむ」という言葉って、「番組終了について名残を惜しんでいた」ならいけるのかもしれませんが、「贔屓の番組に」と「に」がくることに違和感がある気がします。助詞の「に」かな?誰かきっとうまく説明してくれる人がいる。やはり名残を惜しむのは「番組が終わることについて」。

    スッとした文で「名残を惜しむ」を使って、何か書けないか。そんなことを思わせる一文。

    それとも自分の国語力の不足かな?なんで「に」にこんなに自分が引っかかったのかわからないです。「番組に名残を惜しむ」と見た時に「終わってしまう贔屓の番組」「に」だから、それでいいんじゃないか、と思うんですが、ベストがわかりません。

    贔屓の番組の番組終了の名残を惜しむ

    これだと「の」が続き、番組と番組終了も重なってしまう。

    誰か教えてください……元の文に感じた俺の違和感自体が間違いでしょうか。そうかも。

    〜〜

    ものすごく物語がプロのような出来だから、そういう「ちょっとした所」が引っかかってくるのだと思う。むしろ、俺が書くもののように、最初から文法がめちゃくちゃだと、指摘するも何も、「全てがおかしい」から。(俺は、このコメからもわかるように、口語過ぎて「物語の体裁をとってない文」を書いてます。まあ、ラインの会話とか日記とかを、適当に書くのと同じ感じで。自分は読み返すこともせず、適当に書き散らしたものを載せているくせに、人のところで細かい。すいません。)

    とある人に、「おめー、まさか仕事でもこんな要点つかめねーメール書いてるんじゃあるまいな?」と言われたくらいです。(爆

    俺、重箱の隅をつついて、おら〜と中に入ってる料理をひっくり返すみたいな所があり、申し訳ないです。これも「愛」と思ってください♡

    (お前の愛など要らねえw)

    ハートの絵文字、気持ち悪い。すいません、最近話した女の子が多用するので、真似てみました。

    ちなみに野菜は「傷む」かなあ。文法と違って漢字のミスは簡単だから、ある意味、問題ないですよね。そのために校正の人が居るのだから。

    あと、「ほかごと」は愛知の方言ですね。きっとそうだろうと華麗にスルーするのは、「方言」・「造語」に多い。そしてそういうのは、楽しいですよね。東海の人なんだな、的に、物語見てて、その背景がわかるのは面白い。

    勝手に「自分の中で作ったイメージで人を見てしまう怖さ」。そう思える人というのはすごく誠実で真摯な態度で人と向き合っている人と感じる。

    大抵の人はそこまで繊細に人間関係を考えず、まあ、自分の中に勝手に作った「イメージ」で、相手を断罪しがち。俺はそういう人間関係に苦しんできたというのに、まあ、自分も人に同じことをしているのだな、と苦笑しました。俺はすぐ対象をステレオタイプ化して分析しようとする癖がある。

    そんなに単純じゃないのにね。指摘され、そうだなと思いました。

    俺がこの物語に惹かれた理由というものが、作者さんと短くでも、応援コメでこうやって対話するうちに明らかになって、それがすごく興味深いと思います。俺が書いたコメに対するお返事、コミュニケーションを見て、俺は必ず「自分に引き寄せたコメ」を書いていますが、そのお返事がとてもニュートラル、読者に流されないその「姿勢」・「伝えたいこと・ポリシー」というのがよく見えて、それがすごく凛々しく、「書き手」はそうであるべきだなと感じます。自分を超えたものは書けないのだ、と俺はコメ欄から今回、すごく学んでいます。これは今現在、自分が書いてるものについての反省です。自分が書くものは、ただ駄文の垂れ流しになっている自覚があり、読んでもらっていることについて数人の読者であったとしても、申し訳なく感じてきた。他のちゃんとした「物語」を読んだせいでしょう。

    俺がこの物語に惹かれた理由も、そういう「揺るぎない自分のポリシーの元に読者に真摯に向き合って伝えたいことを伝わるように努力しながら作品制作している作者さん」であるからなのだ、と腑に落ちた感じです。

    「へべれけ」さんというペンネームを見た時に、正直読まないままに去ろうかと一瞬思ったんですが、去らないで良かった。

    「へべれけに酔う?」酒好きの人が、「余技」で適当に書いてるのかな?俺はそんなふうに思ったんですが、現実は全く違った。ここでも俺はペンネームから無意識にステレオタイプ的に何か判断したんですが、それは間違った「読み」だったわけで。「へべれけ」=>「へべれ毛」で、まず一つだけは読んでみよう、ちょうど「毛」という作品があるから、という流れでした。

    俺と同じように、せっかく入り口に立っても、ドアを開けずに立ち去ってしまう人がいるのは惜しい。俺は全力で応援しますよ。

    世に出てください。プロフにこれで食べられるようになったらいいなと思ってます、的なことが書いてあって、そんな人はカクヨムにいっぱい居るけど、手を伸ばせば届きそうだ。作品を読んで、そう思いました。他の人にも読んでもらいたい。それだけの価値がある、と。


    カクヨムには真面目に書いている人が多い。
    俺が書いてるものは人に読ませる文でなく、あくまで日記とその延長だから、そのことを思うと、カクヨムで出すようなものじゃないんですよね。やはりここは、すごい「プロ」の人が、読んでもらうためによく練ったものを出してる場所で、俺は自分が場違いなんだな、とつくづく感じてます。

    もともとカクヨムに登録したのは自分の意思でというわけじゃないから、俺が異質でもそれは当たり前というのはあるんですが、こんなに連続でログインしてる最近、それは珍しいことで、時間が経つにつれ、カクヨム内に良い物語、作者が増えていることについて、嬉しく思ってます。書籍化はまだ現代ファンタジー・ラノベ調ばっかりみたいですが、利用者としては、この受け皿を上手に利用させてもらうに越したことはないですよね。

    この場を提供してる側が思いもよらない、「そういう使われ方」がされるようにサイトが発展していったら、面白いのになとはいつも思います。

    カクヨムは書く人が圧倒的に多いから、他の人の作品を読むというのは、自分の作品の肥やしにしたいという人が多く、それであまり交流というのも発展しない気がします。ファンと書き手という構図さえあまりない。書き手が飽和状態。最近は少しだけマシになったのかもしれないけど。ファンはファンで、それ以上にもそれ以下にもなれないから、やはりカクヨムに必要なのは、「読むプロ」・「読んでアドバイスできるプロ」ではないかと思います。でないと、書きたい人ばかりでも、発展できない。

    俺は「ファン」なので、応援することくらいしかできず、駄文で自分の感想を長く書いてすいません。




    書籍化の話があったのに、流れたんですか!?

    他の人の応援コメでさっき、見ました。

    書籍化されてもおかしくないのに、その理由を思ったら、気になるところは全て直してしまうのが正解な気がします。そんなに「たくさん」ない。

    だいたい2話〜3話の中に、一個くらいの割合だから、直すのも簡単だと思います。

    例えば「つぎ」。「次」にしないのも意味があるんでしょうか。あるかもしれませんよね。今、「ひらがな推し」の時代になってて、逐一、簡単な漢字でもひらがなにするように言われるから。「とき」と「時」とか。

    すごく読みやすいこの物語、それゆえに、アレッ・というところがあると、目立ってしまう。自分の文法力が足りてないせいかもしれず、例えば「早起きは三文の徳」でも、徳なのか得なのか、俺は実は「得」と書いていて、ググると出典的に「徳」の方が微妙に主流だそうで、非常に驚きました。

    まあ、そういう「新しい」ことに出会える楽しさもあり、あとちょっとで読めるから、「寝落ち」するほど、ここを読んでますww

    俺は実はすごくお節介なところがあって、好きな作品だからつい応援コメしてしまう。素人の俺なのに、偉そうにすいません。単行本になったら、必ず買うし、人にも勧めるので、まあそれでチャラに。(できませんかw)

    〜〜

    表題の件は、レビューに書きましたが、絶対に損をしている。

    ものすごくもったいないです。もっとこの物語の良さを引き出す「ほのぼの系」のタイトルがあるような気がします。

    「勃たない濡れない」と書いてしまうと、小・中学生は買えない。小・中学生にタイトルの意味を説明できないのはマイナスだと俺は思う。純粋にもったいない。

    中身は子供でも読めるくらいに、ものすごくいいものだと思うから、まあでも、はっきり「書いちゃってるいろいろな部分」は子供向けではないかもしれないですが。

    なぜ書籍化に行けなかったのか、どこがどうなら違ったのか、そういう議論をすると良い気がします。俺も知りたい。テーマがダメだったのか。もしもそうであれば、ぼんやりに書き直すことも可能ではないか、と。(渚や夏希のの葛藤を見せたとしても、はっきりとした断定を避けるみたいな)


    それでは書きたいことと違ってくるかもしれませんが、読者に想像を預けるやり方をすると、子供でも読めるものになる。例えば友人同士で、ゲイかそうでないかは、長く親しく付き合っても、謎のままというケースは多い。それと同じようにしてしまえば、分かる人には分かるし、わからない人には永遠にわからないことだから。

    そういう謎を残したままにしておけば、どんな人でも読めるものになる。性志向も変わらない人は変わらないかもしれないけれど、例えば軍隊の中じゃ、普通と環境が違うから同性愛が増えるといったように、もう少し「揺らぎ」があるものでもあるから。「自覚のあるなし」を書いてしまってもいいですが、それ、外からじゃわからないですよね。

    そうすることにより、書籍化できるなら、そうなる方を「読者の自分」なら望みます。なぜって、集めて手元に置いておきたいくらい気に入ったから。

    釈迦に説法、恐れ入ります。

    ただ、自分が作者なら、「自分が譲れないものは譲らない」でしょう。書籍化などクソ食らえ。自分が描きたいものを書く。

    タイトルにものすごくこだわりがあって、これ以外に考えられない場合もあるんだろうな、と思うんですが、自費とかにいる人じゃなく売る書籍に携わるプロの編集者とかなら、何かミラクルな代替え案とか、売るための戦略とか出してきそうですよね。

    流れを知りませんが、コンテストでいいとこまで行って、落ちたのなら、編集者とか、もっと他の場所にいる人でも、これ読んでみてください、感想ください、書籍化したいとプロにたくさん持ち込んだら、何か分かるんじゃないかな。一言でもアドバイスもらえたとしたら、すごく作品のタメになる。


    そういう「良い人との出会い」があったら、と思わずにいられないです。
    幸運を祈ります。

    〜追記
    自分の書いたものの中にも誤字があり、直しました。
    漢字変換にここまで間違いが多発するのは、ソフトなんかを自国のみで開発してるわけじゃないからか。グローバル化の弊害。このコメントも練ったものでなく、思いついたことを書き散らしててすいません。

    作者からの返信

    応援コメントありがとうございます^^
    まるでお手紙をもらっているような感覚でとても嬉しいです。
    むしろしょうもない返ししかしてないので、かえって申し訳ないような気がしています。

    前回までの返信でもお答えしましたが、自分は誤字脱字誤用が多いタイプの書き手なので、ご指摘は大変に助かっております。自分では気づかない違和感などを仰っていただけると「ああそうか」と素直に感じますので、こういうやりとりはアマチュアならではだと思いますので、感謝しきりでございます。

    自分は文系の出身ではないものですから、そもそも国語の勉強をきちっとしてこなかったというコンプレックスがありますので、その時点ですでに他の作家さんたちから数歩も遅れているんだという認識でこれまでやってきました。

    また岬さんと同じように、愛ある指導をしてくださる創作仲間もいらっしゃいますので、数回のコメントのやりとりで、岬さんも「こっち側のひと」なんだなという意識で言葉を交わしております。

    自分の作品はいつもどこか実験的で、いわゆる「本番の作品・勝負の作品」を書くことから無意識に逃げているのかもしれません。そんな弱腰の態度を看破され、結果として商業作品のレベルではないという判断になったのではないかと自分では思っていますが、どうなんでしょw

    タイトルやモチーフに関してもそう。
    どこか正面から評価されることに恐怖しているのかもしれません。
    あえてトレンドからズラして、ニヒリズムや皮肉主義を気取って「世間にはまだおれの作品は早い」などとうそぶいてはいやしないか、いつも心配になります。本質的に底の浅い人間なんです、自分は。
    だから型にハマることを必要以上に恐れるし、他人に対しても罪悪感を覚えてしまう。それが作風にうまいこと乗っかったのが、本作なのかもしれませんね。
    わりと本作はディープなファンに愛されていますので、そういうところが気に入ってもらえているのかも。

    言葉の「開き」に関しては、確定するまでにかなりの時間が掛かってますね。web小説は基本的に横書きなので、目の動きをある程度考慮して決めているところもあるので、縦書きにしたときにはまた変化するやもしれません。

    またひとつのセンテンスに複数の意味を持たせないように気をつけてはいますが、なかなか全文章をそればかりには出来ないので、おそらく読みつまりや違和感がある行には、そういった不具合があるのだと思います。

    一行43文字、役物のぶら下がりなし(PCで読む際の小文字のビューワー設定)で執筆しているので、スマホやその他のビューワー設定でも印象が変わってしまっている可能性もあります。

    えーと。
    自分でもなにを書いてるのか分かんなくなってきたなww
    ともあれ、岬さんにこの作品を見つけてもらって嬉しいよってことだけはハッキリ言えます。
    本当にありがとう。

  • 来週のフブキ楽しみだー!\(^o^)/

    作者からの返信

     ̄ω ̄)ノ ロケットマンのマスクがはがされると、そこには刈り上げ豚の姿が(やめとけ