獣の王

「目覚めぬのか……いつからだ?」


 赤毛の傭兵の射るような視線も意に介さず、フェイドラは荷台の上で眠り続けるシルルースを見据えて眉をひそめた。

「レイスヴァーン、だったな。その子を守護するはおのれだけ、などと思い上がるなよ。『精霊の落とし子』の護衛を気取るならば、目に見えぬものを感じ取るすべを身に付けよ」

 思わぬ言葉に、緑色の瞳が見開かれる。

「なぜ……彼女が『落とし子』だと」 

 フェイドラはシルルースから視線を外すと、柔らかな微笑みをふわりと浮かべて中空を仰ぎ見た。

「満ちているのだよ。小さな愛し子を救おうとする彼らの声が……それはもう、わずらわしいほどに」


 あたかも愛する者へ語り掛けるかのような声が、森の深奥しんおうに響き渡る。

 彼方の静寂しじまから、何か大きな影がこちらに向かって動き出すのを感じて、レイスヴァーンは剣の柄に手を掛けて眼を凝らした。

「だが、精霊達の声に、良からぬものが紛れ込んでいる……『つのの王』よ。あなたも、あの『声』をお聞きになったのか」

 森の木立に向き直ったフェイドラが、胸に手を当ててこうべを垂れる。傍らに控えるセサルも、片膝を折って足元に視線を落とし、手にしていた大鎌を雪の上に横たえた。


 束の間、森が息をひそめた。



 一瞬の後、緑の深淵を掻き分けて、赤褐色の獣が姿を現した。

 じれた大きな角を冠の如く頭上に抱き、豊かな毛並みを持つ巨大な角山羊マーコールが、金色の瞳で値踏みするかのようにレイスヴァーンを凝視する。が、すぐに視線を逸らし、街道の端をゆっくりと歩き始めた。 

 不思議なことに、獣が一歩踏み出すごとに、凍てついた空気が温かみを帯び、騒めく木々が新緑の輝きを取り戻していく。森を包み込んでいた雪は瞬く間に溶け出して、雪解けの水が大地を潤し、顔を覗かせたばかりの下草が驚くほどの速さで生い茂り始めた。辺りは、あっという間に緑の絨毯で覆い尽くされた。


 異様な存在感を放つ獣の出現と共に、周囲の景色が凄まじい変貌を遂げていく。

 「捧げもの」の子らが悲鳴を上げ、驚き立ち尽くしていた傭兵達は我に返って武器を握り直すと、戦々恐々と周りを見回し始めた……




 喧騒からぽつりと離れた荷馬車の傍らで、長身の傭兵と異国の女戦士が睨み合うのを前に、ウィアは途方に暮れていた。

 先ほどから何やら不可解な言葉を口にする女の狙いが、どうやら自分の腕の中で眠っている少女らしいと理解したものの、どうして良いのやら皆目見当がつかず、無性に腹が立った。

 荷台を背にして立つレイスヴァーンが、女戦士の視線をさえぎる盾となってくれている。それが余計にもどかしくて、自分にも何か出来るはずだと思い直すと、シルルースに覆いかぶさって出来るだけ身を縮こまらせた。

「ねえ、お願いだから、早く目を覚ましてよ。ひとりじゃ、心細いったらないわよお」

 祈るようにささやくと、ぎゅうっと少女を抱きしめる。


「なんだあ? 一体、何の騒ぎだ?」

 間延びした声が聞こえた途端、ウィアは喜びと安堵で飛び上がりそうになった。

「ギイ! ああ、もう……何がどうなってるのか教えて欲しいのは、こっちの方よ!」

 剣帯に片手を軽く掛けたまま、ギイはレイスヴァーンが守っているのとは反対側から荷台に近づいて、ウィアの顔を覗き込むなり、ひょいっと片眉を吊り上げた。

「あの女、何なのよ! いきなりレイスに因縁つけるものだから、気が気じゃないったら……それに、見てよ! 何なのよ、あの馬鹿でかい生き物はっ! この森、一体、どうなっちゃってるのよお!」

 早口でまくし立てるウィアと、困ったように立ち尽くすギイのすぐそばで、虚空がぐにゃりと歪んだ。

 そこに漆黒の穴がぽっかりと口を開け、白い竜がひょこっと顔を出す。次の瞬間、するりと穴をくぐり抜けて、大きな身体に似つかぬ素早さで、ふわりと雪の上に降り立った。

「うっひゃあ! 何!? 今度は何なのよお!」 


 年頃の娘が『うっひゃあ』とは、なんとも色気のない……とギイは心の中で呆れながらも、目を真ん丸にして口元を引きらせるウィアの姿が余りにも可笑しくて、こらえ切れずに声を上げて笑い始めた。

「いや……悪いな……しかし、妖獣一匹におびえ切っちまうなんぞ、お前さんらしくもない」

「たかがって……妖獣よ! 食べられちゃうじゃないのっ! ちょっと、ギイ、笑ってないで早く何とかしなさいよお! あんた、護衛なんでしょ!」

「はて、そうだったかなあ」

 あごに手を当てて考え込む振りをしながら、ギイはいつもと違う娘の様子を明らかに楽しんでいる。


 ちらりと二人を振り返ったレイスヴァーンが、吐息と共に冷めた視線を年上の友に投げ掛けた。

「ギイ、それくらいにしてやれ。この状況じゃあ、誰だって混乱する」

 ギイは少しだけ肩をすくめると、鼻先をこすり付けてくる妖獣のごつごつとした鼻梁びりょうをゆっくりと撫で始めた。

「ディーネよ、間違ってもこの娘を喰うんじゃないぞ。腹の中で暴れられて痛い目に遭うのは、お前さんだって嫌だろう?」

 白い竜はぶるぶると身を震わせると、きゅるきゅるっと情けない鳴き声を上げた。

「ちょっと! それ、どういう意味よ!」

「おお、怖い怖い。鼻っ柱の強い人間の女には用心するんだぞ、ディーネ。気弱な男なんぞ取って食われちまう」

「ギイってば! 黙って聞いてれば……!」

 男の横っ面をひっぱたく勢いで立ち上がろうとしたものの、シルルースを抱きしめたままでは思うように身動きがとれず、ウィアは悔しさで涙が出そうになるのをぐっとこらえながら、少女をぎゅうっと抱え直した。


 愛らしい顔を歪めて唇を噛む娘の仕草が妙につやっぽくて、さしものギイも思わず見惚れてしまった。が、すぐに気を取り直し、「あるじのところへ行きな」と白い竜を押しやって、赤毛の若者に視線を向ける。

「レイスににらみを利かせているお嬢さんと、その脇の、やたらと上背のある男だがな……ティシュトリア王都軍の妖獣狩人だそうだ」

「妖獣狩人? あんな華奢な女の人が?」

「正確には、高位の姫君とその護衛ってとこだな……人は見かけによらんって言うだろう? お前さんが良い例だろうが」

 ウィアは言葉に詰まってうつむくと、唇をぎりりと噛み締めた。黄金色の髪がするりと流れ落ちる。


 少し揶揄からかい過ぎたか……と、さすがに気まずさを覚えて、ギイはおもむろに荷台の上に飛び乗ると、ウィアの前にどっかりと座り込んだ。

 そっと腕を伸ばし、娘の顔を覆っている髪を掻き上げてやると、小刻みに震える頭の上に大きな手をぽんとのせる。

「妖獣狩人だろうが、傭兵だろうが、得体の知れんものを相手にすりゃあ、恐怖で身がすくむし逃げ出したくもなる。なのに、お前さんときたら」

 ごつごつとした手が、娘の髪をくしゃりと撫でた。

「そうやって、ずっと嬢ちゃんを守っていたんだよなあ……偉いぞ、ウィア」


 潤んだ琥珀色の瞳が、驚いたようにこちらを見上げている。

 ギイは薄笑いを浮かべて片目をつむってみせると、娘の頰を伝い落ちる涙に気づかぬ振りをして、ゆっくりとレイスヴァーンの背中に視線を移した。




 「魔の系譜」ならば、たとえ妖魔であろうと獲物とみなして襲いかかるはずの狩人が、巨大な獣を前に、躊躇ためらいもなく武器を置き、ひざまずく。

 一度でも妖獣狩人に教えを受けた者なら、それが尋常ならざることだと容易に察しがつく。少なくとも、が「魔の系譜」でないことは確かだ……そう思い至って、レイスヴァーンは剣から手を離すと、女戦士の前で足を止めた獣と、それをひるむことなく見つめ返すフェイドラに視線をえた。


『我が森を狩場にすることは禁じたはずだが』

 低く威厳のある声が森の空気を震わせる。

 それが獣が放った『声』だと気付いて、レイスヴァーンはごくりと息を呑んだ。が、シルルースの『声』に心を縛り上げられた時ほどの焦燥感はない。

 ちらりと後方に目をると、荷台の上の二人が顔を引きらせてこちらを凝視している。どうやら幻聴ではないらしい。精霊に語り掛ける人の子が居るのだから、人の子に語りかける獣が居ても不思議はない……そんな風に納得する自分に呆れ果てた。あの少女と出逢って以来、調子を狂わせられてばかりいる。

 


 物言いたげに身じろぎするセサルの頭を、女戦士のしなやかな指先が軽く小突くようにして抑え込む。

 渋々と言った様子で再びうつむいた狩人の髪にするりと指を滑らせながら、フェイドラは涼やかな笑みを浮かべて獣を見上げた。

「正気を失った『魔の系譜』を野放しにするわけには行かぬだろう? 私の護衛があの妖獣を切り捨てなければ、今頃は『捧げもの』の子らだけでなく、森の獣達も犠牲となっていた」

『「魔の系譜」を狂気に駆り立てるほどの気配に、我が森に棲まうものもおびえ切っている。禍々まがまがしい呪詛を練りこんだ武器を振り回す狩人までもが姿を現せば、尚のこと』

「角の王よ!」

 動くな、と言わんばかりに頭に置かれていた細い指先をわずらわしそうに払い除けると、セサルは静かに身を起こし、懇願するような眼差しを獣に向けた。

「お詫び申し上げる。あの妖獣を仕留め次第、早々に森を離れるつもりでいたが、向こう見ずなあるじの言動を止められず……」

「黙れ、セサル。『捧げもの』の子が良からぬものに囚われているのだ。見過ごすわけにはいかぬ」

「姫よ。慈悲の心半分、好奇心半分で無用な干渉をなさるのはお控え頂きたい。あなたが直々じきじきに動かずとも、めいを下せば済むこともある。この件は、術師達に任せて……」

「ならば、お前に命じる。あの少女を救ってみせよ」

 セサルが、あからさまに渋り切った顔をする。

「またそうやって、無理を通そうとなさる」

「なんだ、出来ぬのか? 口ほどにもない。狩人の本分にあらず、とでも言いた気だが、ならば、この私にしか出来ぬこともあると認めてはどうだ?」

「狩人の本分以前に、私にはあなたをお守りする責務がある」

「案ずるな。ちゃんと守られてやっている」

 ふん、と鼻先で笑う女主人に、セサルの表情が一層険しさを増した。


『我が森でのいさかいも禁じたはずだ』

 二人の様子を黙って眺めていた角山羊が、低い唸り声を上げた。

 一瞬、フェイドラは気まずそうに視線を泳がせたものの、少し不貞腐れた顔で隣に佇ずむ狩人の上衣をぎゅうっと握りしめた。

「角の王よ、諍いなどとは心外な。この男があまりにも融通が利かぬものだから……」

 ちらりと様子を伺うような目つきで見上げるフェイドラを、セサルが無言のまま見つめ返す。やがて、狩人はゆっくりと視線を逸らすと、あるじの小さな背中にそっと大きな手を添えた。

 二人の馴れ合いなど気にも留めず、角の王は再び金色の瞳をレイスヴァーンに向けた。

『人の子よ、「愛し子」をわれゆだねよ。お前にその子は救えぬ』


 獣の声が、言いようのない不快な響きとなって心の奥底にじわじわと忍び込んでくる。レイスヴァーンは身体中の毛が逆立つのを感じながらも、歯を食いしばって角の王を見返すと、魂を縛り上げようとする『声』にあらがい続けた。

「……あいにく、つまらん脅しに屈するほどやわじゃないんだ」 

 喉の奥から絞り出された声に、獣の耳が、ぴくりと動く。

「得体の知れないものに、あの子を奪われてたまるものか……何があっても、必ず守ると約束したんだ」


 赤毛の傭兵の気配が殺気を帯びるのを感じて、セサルは素早く大鎌を掴み上げた。が、フェイドラに行く手をさえぎられて、怪訝な表情を浮かべたまま、悠然と歩き出した獣の姿を目で追った。

 角の王はレイスヴァーンの前でぴたりと歩みを止めると、しばしの間、行き交う風の音に耳を傾けていた。やがて、先程とは打って変わった穏やかな声が空気を揺らした。

『精霊達が噂していた……「愛し子」が良からぬものの「声」に惑わされて目覚めぬ、と。「愛し子」をずっと守っていたのが、よ、お前だということも』


 

 ――精霊達が、「火竜」がいるって騒いでいたから。


 夜の野営地で聞いたシルルースの声が、心の中で鮮やかに蘇る。あの時、図らずも少女が口にした「火竜」の名が、懐かしい痛みとなってレイスヴァーンの胸を締め付けた。


 「火竜の民」特有の、しなやかで強靭な肉体と際立つ美しさがあだとなり、戦場で捕らえられた母は、戦利品として砦の領主に差し出された。母の血を色濃く受け継いだ容姿は、純血を尊ぶ「南の砦」の一族にあっては忌むべきものでしかなかった。

 領主の子として生まれながら、「汚れた血」が流れる妾腹とさげすまれ、息を殺し、己の出自を呪い続けた幼い日々。

 故郷を離れ、母と同じく傭兵となる道を選んで戦場を渡り歩き、いつしか「血染め」の名で呼ばれるようになっても、レイスヴァーンは己の中に息衝く「火竜」の血の呪いから逃れられずにいた。命を奪い続けることでしか生きられない罪の意識に押し潰されそうになりながら、戦場に立てば激しい血のたぎりに呑まれて狂ったようにやいばを振るう……そんなことを繰り返す自分に嫌気が差した。

 こんな命など終わらせてしまえと、何度願ったことか。

  


 ――ヴァンレイ、私……もう、逃げてばかりは嫌なの。


 あの夜。

 たった一人で荒れ狂う炎と対峙する強さを秘めた少女が、小さな肩を震わせ、大粒の涙をこぼしながら、この腕にしがみついてきた。

 その姿が、あまりにもはかなげで。なぜだか、切ないほどの愛しさを覚えて。

 この子を守るために、もう少しだけ生き長らえるのも悪くない……そう思った。



 レイスヴァーンの心の声に応えるように、深く穏やかな声が響く。

『火竜の子よ、「愛し子」と共に来るが良い。泉まで案内しよう。「森の癒し手」に、その子を委ねるが良い』

「シルルースを……委ねる? ちょっと待ってくれ! 一体、何のことだか……」

 困惑のあまり声を荒げる若者をよそに、角の王はフェイドラを振り返った。

『ティシュトリアの姫よ、共に来るなら止めはせぬ。だが、狩人よ、ここから先、お前のその武器とよろいに込められた呪詛を撒き散らすことは許さぬ』

 セサルは眉間に皺を寄せたまま静かにうなずくと、気遣わしげに女主人を見遣った。フェイドラは声を出さずに、案ずるな、と唇を動かすと、レイスヴァーンを手招きした。

「説明は後だ。あの子を救いたいのだろう? ならば、角の王の言葉に従うべきだ。私も共に行こう」



***



 ウィアは怒りで真っ赤に顔を染めたまま、女戦士を睨みつけた。


 傍らで、なんとかなだめようとするギイの言葉にも耳を貸さず、シルルースを抱え込んで離そうとしない。お手上げだとばかりに肩を竦める友の姿に、レイスヴァーンはやれやれと首を振ると、フェイドラに「悪いが、少し荷台から離れていてくれ」と告げた。

 まるで、追い詰められた獣の如く威嚇いかくを続ける娘の腕の中で、シルルースは何も知らずに眠り続けている。


 力ではかなわないと知りながら、必死で友を守ろうとする娘から力尽くで少女を奪うような真似はしたくなかった。そうならずに済んでくれと願いながら、レイスヴァーンは真剣な眼差しでウィアと向き合った。

「ウィア、頼むからシルルースを渡してくれ」

「嫌よ! レイス、あんた、何考えてるのよ! あんな得体の知れない連中の言いなりになるなんて!」

「シルルースが尋常な状態じゃないのは、お前も気付いているはずだ。癒し手の救いが得られるのなら……」

「森の化け物になんか騙されちゃ駄目よ! この子に必要なのはの治癒師なのよ! 本当にシルルースが心配なら、一刻も早くティシュトリアの王都に向かうべきでしょうが!」


「ならば、丁度良い。治癒師ならば、ここに居るぞ」

 喜々として身を乗り出したフェイドラが、爽やかな笑顔をウィアに向ける。

「こんななりだが、本分はティシュトリア王都軍付きの治癒師でな」

 そう言って、腰帯にくくり付けられた小さな箱をぽんと叩いた。それが、治癒師ならば必ず身につける道具箱だと気付いて、ギイは隣で殺気立つ娘の肩にするりと腕を回すと、耳元で囁いた。

「ウィアよ。ありゃ、本物の治癒師だ」

 ぎょっとして身を硬くする娘を、ギイがひょいっと抱き寄せる。途端に、それまでウィアをいきり立たせていたものが、恥じらいと困惑であっという間に吹き飛んでしまった。

 ギイの言葉に頷きながら、フェイドラは満足気に微笑んだ。

「ついでに言えば、先のティシュトリア王の娘でもある。そんなわけで、王都軍にも顔が利く」


 驚きのあまり、口をあんぐりと開けて固まってしまったウィアを片腕に抱いたまま、ギイはもう一方の手で左頬の刀傷をぽりぽりと掻き始めた。

「参ったな……高位の貴族どころか、王族だったとは」

「まあ、そう気にするな。ギイ、だったな。お前達は準備が整い次第、森を抜けて仲間達と合流してくれ……ディーネ!」

 女戦士の傍で、ぐにゃりと歪んだ空間から白い竜ディーネがひょっこりと姿を現した。すぐそばで、妖獣狩人がひざまずいたまま主を見上げている。

「急ぎ伝令を頼むぞ、セサル」

 狩人が小さく頷く。

「王城の術師どもに告げよ。『嘆きの森』から王都へ続く街道の雪を溶かし、『捧げもの』の隊列を迎え入れる準備を整えよ、とな」

「騎兵達については? 森の外れの野営地で、隊列と共に待機させたままだが」

「彼らには隊列の護衛を任せる。子供らを無事に王都まで送り届けよ、と伝えてくれ」

「他には?」

「……ん? 他に何か必要か? ならば常の如く、お前の判断で動いて構わんぞ」

 はあっ、と大きなため息を吐いたセサルが「そうではなくて……」と続ける。

「エレミア様には何と?」

「……ああ、すっかり忘れていた」

 フェイドラは少し面倒臭そうに顔をしかめてみせた。

「そうだな……フェイは癒しを施している故、手が離せぬ、とでも伝えてくれ」

「質問攻めにされる私の身にもなって頂きたい。あなたのこととなると、あの方は……」

「『一国の王のくせに、いまだに姉離れが出来んでどうする』の方が良いか?」

「それでは私の首が飛ぶ」

「ああ、それは困るな。『不甲斐ない姉を案ずるより、国の行く末を案じては如何か』でどうだ? まったく、面倒だな……セサル、いつものように適当にあしらっておいてくれ」

「……簡単に言ってくれる」

「簡単だろう? 事が済み次第、お前は速やかに我が元に戻れ。ただし、狩人の武具は置いてくるんだぞ……こういう時、護衛が妖獣狩人だと余計な手間が掛かる」

「あなたが勝手に護衛にしたんだろうが」

 不機嫌そうにつぶやいて、セサルは白い竜を手招きすると、ぽっかりと虚空に姿を現した暗闇の中に吸い込まれるように姿を消した。



「レイスヴァーン、馬は置いて行け。お前と同じで、血の匂いが染みついている」

 護衛が消え入った辺りの空間を暫く見つめていたフェイドラが、荷台に繋がれている馬の手綱を解こうとしている若者を止めた。

「……馬なしで街道を旅しろと言うのか? 無茶な話だ」

「案ずるな。お前が戻るまでここで待つよう、角の王に命じてもらえば良い。森の守護者は、『獣の王』でもあるのだよ」

 誇らしげなフェイドラの声に、角の王が「仕方ない」とばかりに、ぶるると鼻を鳴らす。

『望み通り、その馬には、ここで静かに待つように命じよう』

 そらな、と目くばせする女戦士の横で、ギイがひらりと荷台から飛び降りた。その腕に、ウィアは名残惜しそうな表情を浮かべたままシルルースを預けると、空っぽになった両のこぶしをぎゅうっと握りしめた。

 フェイドラは黄金色の髪の娘に慈しみの眼差しを向けつつ、傭兵の心の内を探ろうと、さりげなく告げた。

「さて、ギイよ。王都軍の中にはお前を見知っているものがるやもしれん。問題はないか?」


 レイスヴァーンにシルルースを手渡しながら、ギイはくっくっと笑い声を上げた。

「はっきり言っちゃあどうだ? 脱走兵かと聞きたいんだろう?」 

 ああ、やはり、この男は聡いな……と感心しながらも、フェイドラは王族然とした態度を崩さず、優雅に頷き返す。

「正式に軍を離れたんだ、やましいことなど一つもない……この答えで満足されましたかな、姫君?」

 にやりと不敵な笑いを浮かべてティシュトリア風の敬礼をする傭兵に、同様の流儀で答礼する羽目となり、フェイドラは思わず苦笑した。

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