ティシュトリアの戦士

 大陸を旅する者が異国の民と交わすのは、いつの頃からか「共通語」と呼ばれるようになったいにしえの言葉だ。

 七王国で独自に形成された「古語こご」と違い、大陸に存在する数多あまたの言語と相通じる要素を多分に含み、習得が比較的容易なことから、現在では大陸のほぼ全ての国で公用語に定められている。

 その起源は、聖なる天竜ラスエルが聖女ウシュリアを『魂の伴侶』として見出すより遥か昔の、神話の時代にさかのぼると伝えられている。



***



 まるで、自らの出自をかたくなに拒むかの如く、ギイが故郷ティシュトリアの言葉を口にするなど滅多にないことだった。


 そんな物珍しさもあって、レイスヴァーンは辺りの気配をうかがいながら、耳慣れぬ言葉で女戦士に話し掛けるギイの声に耳を傾けていた。が、不意に女の声が険しさを増した気がして、年上の友のそばに駆け寄った。

「よう、レイス、ようやく力が抜けたか。なら、さっさと嬢ちゃんのところへ戻ってやれ。お前、あの子を必ず守ると誓ったんだろうが」

 いつものおどけた口調でそう言いながら、ギイは剣の柄に手を掛けて身構える若者の肩に手を置いた。

「心配いらんよ。こいつらがティシュトリア王都軍に属しているのは確かだ。『古語』を使うってことは、近衛このえ騎兵か、それ以上の身分だな」

 そう耳元でささやいて、ギイはレイスヴァーンの肩をぽんと叩くと、女戦士に視線を戻して愛想笑いを浮かべた。

「悪く思わんでくれよ、お嬢さん。『捧げもの』の子らを警護する身としちゃあ、得体の知れんやからを簡単に信じるわけにもいかんのさ。ティシュトリア語を解する人さらいや奴隷商人なんぞ、この大陸には掃いて捨てるほど居るんでなあ……そんなわけで、俺のつたない『古語』で申し訳ないが、少し確かめさせてもらったよ」


 緊張の欠片かけらもない声色とは裏腹な傭兵の言葉に、女が冷ややかに微笑み返す。

「なるほど。護衛としての真摯な姿勢は賞賛に値する。で、傭兵、お前は我らをどう見る?」

「助けてもらっておいて悪いんだが、かなり胡散うさん臭い。古ティシュトリア語を流暢に操るところは高位の貴族らしくもあるんだが、術師の存在を嫌う『東の武装大国』に、妖獣狩人の家系は存在せんのだよなあ……何より、たった二人きりで妖獣を狩るような無謀さを、奴らは持ち合わせちゃいない」

 いぶかしげに目を細めると、ギイは女戦士の背後に寄り添う大柄な男を見遣みやった。が、挑むように一歩前に進み出た女に視線をさえぎられて、気まずそうに肩をすくめた。

「そう言うお前はどうだ、傭兵? 粗削りではあるが意思の疎通には事欠かぬ『古語』を操る輩は、王都軍の近衛騎兵と相場が決まっている。脱走兵ならば、厳罰を以って……」

「なあ、お嬢さん。あんた、脱走兵の家族の処刑に立ち会ったことはあるか?」

 不意を突く問い掛けに、女戦士の空色の瞳が大きく見開かれる。


 ギイは歪んだ笑みを浮かべて腕組みをすると、戸惑いを隠せぬ女戦士から視線を逸らして緑の天蓋てんがいを仰ぎ見た。

「年老いた親から、生まれたばかりの赤ん坊まで、そいつの血に繋がる者は全て、見せしめとして殺されるんだ。家畜のようにくびきをかけられ、ぼろぼろになるまで刑場を引きり回され、喉を掻き斬られて苦しみあえぎながらな……平民出身の新兵の初仕事が、その処刑なんだよ。そんな風に手を血に染めれば、逃げ出そうなんて考える奴はいなくなる。家族を養うために志願兵となった奴は、脱走するより自死を選ぶのさ」

 のらりくらりとした声に、苛立ちの響きがにじむ。 

「俺も、食うに困って王都軍に志願した口でなあ。人よりちょっとばかし剣の筋が良いってんで、勝手に『近衛騎兵』なんてものにされちまったが……色々仕込まれて散々人殺しをさせられた挙句、いざ、戦う意欲をがれて使い物にならなくなった途端に、お払い箱さ」


「ティシュトリアの戦士ならば……!」

 こらえきれずに声を上げた女戦士に、ギイが冷めた視線を向ける。 

「人をあやめたことを後悔するより、王族に仕える騎兵として取り立てられたことを誇りに思うべきではないか」

 高位の貴族らしい高潔な言葉に、ギイは込み上げるわらいを必死に嚙み殺した。

「いやあ、そりゃ、富める者の考え方だよなあ。貧しい農民にとっちゃあ『誇り』なんぞ腹の足しにもなりゃしない。餓えた女子供のために人殺しの片棒を担ぐしかなかった奴に問うべき言葉じゃない」

 男の有無を言わせぬ気迫に、女戦士が苦しげに顔を引きらせる。

「……傭兵、お前、何処の生まれだ?」

「西のスラウェリン村さ」

 ひゅうっと息を呑んで、女戦士は背後に佇む狩人をちらりと垣間見ると、恐ろしく神妙な眼差しをギイに向けた。

「もしや……数十年前、狩人と妖獣の戦いに巻き込まれたと言う、あの、スラウェリンか?」

「ほお、嬉しいねえ。国境沿いの小さな寒村の名を覚えている奴がまだ居たとは。しかも、高貴な家柄の姫君ときた」


 それまで静かに様子を伺っていた妖獣狩人が、女戦士の前に進み出て、小脇に抱えていた大鎌をぐるりと回して両手で構え直した。

 ギイは傍らで素早く剣を引き抜いたレイスヴァーンを片手で制すると、不満気に眉をひそめる若者に「大丈夫だ」と目配せする。

「お嬢さん、あんた、簡素な身なりをしちゃいるが、王都軍の騎兵にしちゃあ品が良すぎるんだよ。そっちの狩人の兄ちゃんは、どう見てもティシュトリアの民には見えんしなあ……敵国の捕虜が、高位の貴族に隷従することで生き長らえたってところか」 

 鋭いうなり声と共に異国の言葉で何事か告げる男をいさめるように、女戦士のしなやかな手が狩人の背中にそっと触れた。

「構うな、セサル。血の巡りが良い男だ、斬り捨てるには惜しい……傭兵、お前、名は何という?」

「人に名を聞く時は、自分から名乗るもんだと教わらなかったのか、お嬢さん?」

 気の抜けたような声にそぐわぬ言葉に、女戦士は大きく肩で息をすると、すっとあごを上げて姿勢を正し、澄み切った瞳で真っ直ぐギイを見つめた。

「フェイドラだ。この男はセサル。ティシュトリア王都軍付きの妖獣狩人で、私の護衛でもある」


 「あんた自身は何者なんだ?」と言いたげに、ギイは片眉をひょいっと吊り上げると、隣で警戒を解こうとしない若者にちらりと視線を向けた。

「ギイと呼んでくれ。こっちの無愛想な美丈夫はレイスヴァーン」

 赤い髪の傭兵が、少し呆れたような吐息をこぼす。

「で、お嬢さん、ティシュトリア王都軍の狩人が、禁忌の森で何をしていたんだ? 『たまたま通り掛かった』ってわけじゃあなかろう?」

「まったく……さとい男だな」

 フェイドラが呆れたように表情を緩めるのを目にして、セサルはゆっくりとあるじの背後に退しりぞいた。

「昨夜、何やら『悪しきもの』が西からせまっている、と王城付きの術師どもが騒ぎ出してな」

 女戦士の言葉に、ギイとレイスヴァーンが思わず顔を見合わせた。


 シルルースが『邪悪なもの』の気配に怯えて『箱』の馬車から逃げ出したアルコヴァルの砦は、ティシュトリアの西方に当たる。その砦の野営地で、殺された娘をとむらうべく燃された炎が荒れ狂う火柱となって人々を震え上がらせたのも、昨夜のことだ。 


「しばらく様子見をしている間に、奴らの使い魔が落ち着きをなくして暴れ始めた。呪詛を喰い千切って逃げ出すものまで現れた」

 フェイドラは頭上から舞い降りる銀色の輝きに手を差し伸べててのひらで受け止めると、元は結界だった小さな欠片かけらに視線を落とした。

「王都軍の騎兵と妖獣狩人が、逃亡した獣らをティシュトリアの『西の砦』に追い詰めたのだが、奴らの様子が尋常でないことに狩人達が気づいた……そうだな、セサル?」

 名を呼ばれて、男は「御意」とうなずいた。

「我ら妖獣狩人の呼び掛けにもこたえず、おびえ切っていた。何かを恐れ、それから逃れようと足掻いているように見えた」 


 不意に、レイスヴァーンが後方を振り返った。気遣わしげな視線の先で、馬車の荷台から黄金色の髪の娘が身を乗り出している。

「レイスよ。そんなに嬢ちゃんが気になるなら、戻ってやっちゃあどうだ? ウィアもかなり苛立っているようだしなあ」

 決まり悪そうに唇を噛んだ若者が、小さく頷く。それに応えるように、ギイは片手で「行け」と合図を送ると、唇を吊り上げて不敵な笑みを浮かべながら、女戦士とその護衛を牽制するように一歩前に出た。



 最後尾の馬車に駆け寄って行く赤毛の傭兵の後ろ姿を目で追いながら、フェイドラは淡々と言葉を続けた。

「『狭間はざま』を通り抜けて姿をくらました奴もいてな。万が一、狂った使い魔が国境を超えてアルコヴァルに侵入したとなれば、我らが先にいくさを仕掛けたと責められても言い逃れは出来ん。とは言え、『角の王』が守る聖域の森にいくさ装束で入り込むことは、ウシュリアの昔より禁じられているからな……騎兵達を森の外に待機させ、セサルと二人で森の中に逃げ込んだ奴らを追っているうちに、お前達に出くわしたのだよ」

「なるほどなあ。で、その『悪しきもの』って奴の正体は?」

 馬車の荷台を覗き込む若者に視線を向けたまま、フェイドラはわずかに表情を曇らせた。

「さてな……術師達を問い詰めねばなるまいよ」



 森の奥から、さわさわと木々を渡る風に乗って獣達の息遣いが運ばれてくる。ようやく落ち着きを取り戻した『捧げもの』の子供達が小さな笑い声を上げ、傭兵達が愛馬に気遣いの言葉をかけ始めると、セサルはあるじの華奢な背中にそっと声を掛けた。

「姫よ、そろそろ王都に戻らねば。禁忌の森に長居しては、またエレミア様が御心配なさる」

「そうだな。は時に考え過ぎるきらいがあるからな」

 フェイドラが少し困ったように眉尻を下げるのを横目に、セサルはひゅうっと指笛を吹いて「ディーネ!」と使い魔の名を呼んだ。


 ぐにゃり、と歪んだ森の木立から、白い翼を持つ美しい毒竜エレンスゲがひょっこりと顔を覗かせた。口の周りを緑色に染め、もぐもぐと葉をんでいた白い竜ディーネが、妖獣狩人の姿を見つけるや否や、きいいっ、と嬉しそうな鳴き声を上げる。

 驚きのあまり叫び出す子供達など気にする素振りも見せずに、ディーネはセサルの前に降り立って長い首をもたげると、ごつごつとした頭をあるじの頰にこすり付け、柔らかな羽毛で覆われた尻尾を女戦士の身体にするりと巻き付けて、くうくうと甘えるような鳴き声を漏らし始めた。まるで子猫のような妖獣の仕草に傭兵達が驚愕の表情を浮かべる中、セサルは白い竜の首筋を優しく撫で続けながら不思議な言葉で語り掛けた。

 しばらくの間、輝く紅玉の瞳をくるりくるりと動かしながらあるじの声に聞き入っていた白い竜が、くうっと小さなうなり声と共に大きな翼を広げて舞い上がり、鋭い鉤爪のついた両脚で横倒しになっていた馬車をつかみ上げると、セサルが指し示した街道脇の木立の中へ、ずるずると引きって行く。


 赤黒く染まった雪の中に埋もれていた傭兵のむくろが露わになった途端、男達が悲壮な叫び声を上げて走り寄った……



 大陸の民から『無骨な荒くれ者』と煙たがられる傭兵達が、無残につぶされた仲間の身体を新雪で丁寧に清め、自らの外衣を脱いで包み込み、魂の祈りの一節を口ずさみながら天を仰ぐ。

 その姿を、フェイドラは憐憫と憧憬の面持ちで見つめていた。が、木々を渡る風の音と男達の祈りの声に混じって、かすかに震えるささやきを耳にしたような気がした。

「セサル、あれが聞こえるか?」

 ひと仕事終えた使い魔にねぎらいの言葉を掛けていた狩人が、怪訝そうに目を細める。

「ふむ……お前が気づかぬとなれば、『魔の系譜』の声ではないのだな」

「姫よ、『角の王』の呼び声でも聞いたか?」

「いや、違う。これは……」

 風が運ぶ不思議な声に導かれて、フェイドラは唐突に歩き始めた。

 あるじが向かう先に赤毛の傭兵の姿があることに気づいて、セサルは戯れ付く白い竜の眼を覗き込んでその場から動かぬよう命じると、「自ら厄介ごとに首を突っ込もうとする悪い癖は、どうにかならんものか」と心の中で毒突きながら、フェイドラの後を追った。



 二人の後ろ姿を唖然と見つめるギイに鼻先を近づけて、すんすんと匂いを嗅いでいた白い竜が、きゅるると不満気な鳴き声を上げた。

「やれやれ、若い奴らはせわしなくて困る……ディーネ、だったよなあ? 図体はでかいが、お前さん、まだ子供なんだろう? 可哀想に、置いていかれちまって……俺もそろそろ馬車に戻らにゃならん。どうだ、お前さんも一緒に来るか?」

 穏やかな表情でゆったりと話し掛ける傭兵を不思議そうに見つめていた獣の瞳が、きらりと輝いた。

「俺はギイだ、よろしくな」

 幼い妖獣を脅かさぬよう静かに手招きした途端、白い竜はきゅうっと嬉しそうな鳴き声を上げてギイの頭上をひょいっと飛び越えると、フェイドラとセサルの匂いを追って馬車の脇をぴょんぴょんとすり抜けて行く。

「おい、こらっ……待て、ディーネ! 馬車にぶつからんよう、気をつけろよ! 子供らを脅かすんじゃないぞ……って、あいつ、本当に使い魔なのか? まるで子犬だよなあ」

 

 ギイは目尻に皺を寄せて苦笑いしながら、馬車に近づく女戦士と妖獣狩人をにらみ付けるレイスヴァーンのそばで、困惑し切った顔をこちらに向けているウィアに手を振ると、のんびりと歩き出した。



***



『約束だ……ずっとお前を守り続けよう』



 遠くで、懐かしい声がした。


 その響きが切なくなるほど心地良くて、泣き出しそうになりながら、シルルースは声のする方へと手を伸ばした。

 が、そこに求めていた温もりがないと気づいて眉をひそめると、ゆっくりと起き上がった。


「……ヴァンレイ?」


 何度かその名を繰り返したが、答えはない。

 虚しさに心が押し潰されそうになりながら、シルルースは辺りに漂う異様な気配に気づいて、薄紫色の瞳を凝らした。




 ……ここは、何処? 



 祭壇を呑み込んだ浄化の炎が燃え尽きるのを、逞しい腕に支えられながら見守っていたはずだった。

 それなのに、炎の熱も、暖かい腕の温もりも、全く感じられない。ただ、湿った重い気配だけが身体を包み込むように漂っている。

 思うように身体が動かないことに苛立ちを覚えながら、次第に、シルルースは呼吸をするのさえわずらわしいと感じ始めた。



 ……息苦しい。

 それに、なんだか、とても疲れたの。

 もう少しだけ、休んでいたい。


「少しだけ、眠りたいの……お願い、ヴァンレイ……そばに居てね」


 シルルースは弱々しい声を喉の奥から絞り出し、へなへなとその場に座り込んだ。そのまま、ゆっくりと横たわると、生温かい毛布のような気怠さに身体中を覆い尽くされて、動けなくなった。

 低く不思議な歌声が、あちらこちらから聞こえてくる。子守唄のような穏やかな響きに耳を傾けているうちに、あらがいようのない眠気に襲われて、シルルースは気づかぬうちに眼を閉じていた。


 

 いっそ、このまま……微睡まどろみの中で、全てを忘れてしまえたら。

 愛情の欠片さえ知らずに過ごした幼い日々も。

 故郷の神殿の冷たい床で眠った寂しい夜も。

 


 あの人の温もりも。低く穏やかな声も。

 あの夜、あの人にお願いした約束さえも。


 

 ……変ね。


 あの人って……誰のこと?

 約束って……何だったかしら?


 ……馬鹿ね、こんな私のことを気にかける人なんて、この世界には誰もいないのに。


 誰も、こんな私を愛したりしないもの。

 だから、私は誰も愛さない。

 ……そうよ、誰も私を抱きしめたりなんかしないの。


 だから……このまま、ずっと……


『そうだ、このまま、ずっと』

『忘却の眠りに抱かれたまま、我らと共に』


 そうね……それも良いわね。


『幾百幾千の時を、共に過ごそう』

静寂しじまの闇に魂をゆだねて』

『お前の愛らしい身体が、ちりとなって朽ち果てるまで』

『人の子の世の悲しみも、苦しみも、全て忘れて』


 そうね……全て、忘れてしまえばいい。

 この世界に、私の居場所なんてないもの。


『そうだ、愛し子よ……終古しゅうこの果てまで、お前は我らと共に』



 不思議な歌声が編み上げた忘却のまゆに包まれて、シルルースは深い眠りの底に落ちていった。

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