奪われた命

「絶対に、嬢ちゃんの名前を大声で叫んだりするんじゃないぞ。あの子が消えちまったことをアシャムなんぞに知られちゃあ、俺とレイスの面目が立たんのでな」

 耳元でささやかれたギイの声は、のらりくらりとした口調からは想像できない冷ややかさを帯びていた。静かな殺気をまとった傭兵に気圧けおされて、ウィアは思わず息を呑んだ。



 二人で手分けして、天幕を一つ一つ、隅から隅まで探してみたものの、シルルースの姿はどこにも見当たらない。

 心の焦りを抑えきれずに、ウィアは唇を歪めて両のこぶしをぎゅっと握りしめた。

「どうしよう……ねえ、ギイ、このままあの子が見つからなかったら、どうしたらいい?」

 両腕を組んで、いつの間にか頭上高く昇った陽の光に目を細めていたギイが、ふうっと大きく息を吐き出して、傍らにたたずむ娘に視線を投げた。

「ひょっとすると、野営地の外に迷い出ちまったのかもしれんなあ」

「ええっ? それって不味まずくない? あんな頼りなくて世間擦れしてない子が、たった一人で街道をふらふらと歩いていたりしたら……」

「あっという間に人さらいや旅の商人に連れ去られて、娼館にでも売り飛ばされちまうだろうなあ」

 たちまち、ウィアが顔を引きつらせる。

「ちょっと……よくも平然とそんなことが言えるわね! そもそも、護衛のあんたがちゃんと見張っていないから、あの子が消えちゃったんじゃないの……そうよ、あんたのせいなんだからっ!」

 ギイは少し腰をかがめると、怒りも露わに詰め寄る娘の顔を覗き込んだ。

「大声で叫ぶなと言ったろうが」

 抑揚のない低い声が静かに告げる。そのあまりの気迫に、ウィアは琥珀色の瞳を大きく見開いて唇をきつく結んだまま、身体を強張らせた。


「仕方ない、馬で街道沿いを探してみるか……お前さんはもう一度、野営地の中を探してくれ。それでも見つからなけりゃあ、元の天幕に戻って素知らぬ振りをしていろ。何があっても騒ぐんじゃあないぞ。分かったな?」

 娘がしぶしぶと首を縦に振るのを目にして、ギイは悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。

い子だ。ああ、それと、レイスを見かけたら引き留めておいてくれ。あいつのことだ、とりで中を駆けずり回ってでも嬢ちゃんを探し出そうとしかねんのでな」

「何よ、それ……嫌だ、もしかして、レイスって、シルルースみたいに幼気いたいけな子が好みなの?」

 不快極まりないという眼差しを向けたウィアに、ギイが肩を竦めて面倒臭そうにつぶやいた。

「優し過ぎるんだよ、あの馬鹿は。それだけのことさ」


 


 野営地をぶらぶらと散歩する振りをしながら、どこかの物陰に黒髪の少女が隠れていやしないか、「捧げもの」の子供達の遊びに駆り出されてどこかで転んでいやしないかと、ウィアは瞳を凝らして辺りを何度も見回した。それでも、シルルースを見出すことは出来なかった。

 仕方なく、ギイに言われた通り、自分達に割り当てられた天幕に戻ってみたが、やはりシルルースの姿はなく、がっくりと首を項垂うなだれた。 

「ああ、もう、どこに行っちゃったのよお」

 少女の名前を大声で叫びたくなるのをぐっとこらえて天幕の外に出た。

 すっかり陽も傾いて、すぐに夕餉ゆうげの時間がやって来る。どうか、『箱』の護衛達が「巫女見習い」の少女の姿が見えないことに気づきませんように、と心の中で祈りながら、ウィアは天幕のすぐ前に座り込んだ。

 ふと、怯えて泣きじゃくる少女に説教じみた言葉を吐いてしまったことを思い出し、自責の念に駆られて、抱え込んだ両膝の間に顔を埋めた。


 ……いつもそう。

 どうして私は、他の誰かに優しい言葉の一つもかけてやれないんだろう。あの子は、領主の愛情を独り占めしようとはかりごとを巡らす小賢こざかしい女どもとは違うのに。

 ギイにだって、本当は「一緒にシルルースを探してくれて、ありがとう」って言いたかったのに。つまらないことで頭に血がのぼって、八つ当たりしてしまうし……嫌な女だわ、私。あの子と比べたら、可愛げのない、とっても嫌な女。


 そう思うと、ウィアはやるせなさで押し潰されそうになった。




「その様子だと、まだ嬢ちゃんは戻っちゃいないか」

 聞き慣れた声に、ウィアは咄嗟に泣き顔を見せまいと頰をぬぐって顔を上げた。一瞬、ギイは驚いたような表情を浮かべたものの、娘の涙に気づかぬ振りをして言葉を続けた。

「で、レイスはどこだ?」

 ウィアはぶるぶるとかぶりを振ると、困惑したような眼差しを年上の傭兵に向けた。

「知らないわよ。あんたが出掛けた後も、見てないもの。まだ王都軍の二人と一緒なんじゃない?」

「……妙だな。あいつの馬が囲い柵の中に居たんで、てっきり戻っているものと思ったんだが」

「ねえ、ちょっと! それって、もしかして……」

 良からぬことを思い浮かべたらしい娘が上気した頬に両手を当てるのを目にして、ギイが呆れ返ったように苦笑いする。

「おいおい……まさか、レイスが嬢ちゃんをかどわかした、なんぞと言い出すんじゃあるまいな?」

「だって、二人一緒に消えちゃったのよ?」 

「一緒とは限らんだろうが。まったく、迂闊うかつなことを言うもんじゃ……」


 刹那、どこからか、身の毛もよだつような女の悲鳴が聞こえた。



 咄嗟とっさに、ギイは娘をかばうようにして胸元に素早く引き寄せた。

 思いがけず、年上の傭兵に抱き寄せられて、ウィアは一瞬思考が止まりそうになった。だが、次の瞬間、身体の震えが止まらなくなって、大きな胸にすがりつくように頬を寄せた。

「ギイ、今の……何?」

「さてなあ。何かあったことだけは確かだ……そばを離れるんじゃないぞ」

 淀みのない穏やかな声に、ウィアはこくりとうなずいた。



***



 悲鳴を聞いて駆け付けた傭兵達が目にしたのは、『箱』の天幕の中で血の海に横たわる「巫女見習い」の娘のむくろだった。



 虚空を見つめる空色の瞳からは既に命の光は消え失せて、官能的な赤い唇は今にも何かを告げるかのように半ば開かれたままだ。外衣のように広がった黄金色の長い髪は血に染められて元の輝きをすっかり失っている。

 娘の亡骸の前で、腰を抜かして動けなくなった「捧げもの」の少女が、正気を失ったかのように泣きわめいていた。昼日中のことで、天幕の中に居たのは、この少女と息絶えた「巫女見習い」の娘の二人だけだった。少女は、身体の不調を訴えてずっとせっていた娘の世話をしていたらしい。先程の悲鳴の主がこの少女であることは、疑いようもない。


 娘の身体は、白い乳房から下を尋常でない力で引き裂かれたかのように、人の子の形を保ってはいなかった。下肢は何処にも見当たらず、血溜りに漂うものが砕かれた骨やはらわたの残骸だと気づいて、戦場を知らぬ若い傭兵達が一様に青ざめた。天幕の外に駆け出して嘔吐する者、へなへなと力なく地面に崩れ落ちる者を横目に、数多あまたの戦場で死の恐怖と対峙してきた傭兵達でさえ、清らかであるべき「巫女見習い」の無残な姿に思わず顔をしかめた。


 その光景を、立ち尽くしたままくやしそうに見つめていたアシャムが、おもむろに外衣を脱いで亡骸の上にふわりと投げ掛けると、苛立たし気に声を荒げた。

「見世物じゃないんだぞ! 耐えられん奴は今すぐ外に出て、天幕の周囲を守れ! 後始末が終わるまで、誰も中に入れるんじゃないぞ!」

 アシャムの声に、我に返った『箱』の護衛達が大声を上げて若い傭兵達を天幕の外へと追い立てて行く。騒ぎを聞いて駆け付けた薬師が、亡骸のそばで狂ったように泣き叫んでいた少女を薬湯で眠らせ、ぐったりとした身体を王都軍の天幕に運ぶよう言付けた。

 「憐れな少女を王都軍の名の下にため」と薬師は付け加えたが、惨劇を目の当たりにしたはずの「捧げもの」の子に逃げ出されては、隊列を率いるラスエルクラティア王都軍の面目に関わるとでも判断したのだろう。



 アシャムは胸をえぐられるような焦燥をなんとか抑え込みながら、娘のそばに片膝をつくと、見開いた目に手をかざしてゆっくりと閉じてやった。

 天幕の中に残っていた傭兵の一人が「失われた魂の祈り」の一編を口ずさみ始め、男達がおごそかにこうべを垂れて黙祷を捧げると、重苦しいほどの静寂が辺りを包んだ。

 

 最下層の傭兵の子として「東の武装大国ティシュトリア」の寒村に生まれ、物心ついた時から戦場を渡り歩いてきたアシャムにとって、大神殿への「捧げもの」の隊列に加わって大陸を旅するなど、戦場で命を削ることに比べれば余りにも容易たやすい任務のように思えた。

 聖なる天竜ラスエルを神と崇める者として、天竜の巫女や神官の卵である『箱』の子供達の護衛に選ばれたことは、大変な名誉でもあった。この役目を無事にこなせば、故国の王都軍の衛兵となる道も開かれるはずだ。そうなれば、傭兵稼業から足を洗って、惚れた女と所帯を持って、王都の街で静かに暮らすことも叶う。

 子供が苦手なだけに、「捧げもの」の子らをわずらわしいと感じることは多分にあったが、この旅の間だけ「子守役」に徹すれば、全てが上手くいくはずだった。

 それなのに……


 最悪だ。

 

 己が守るべき『箱』の子供が命を奪われた。

 若く美しい娘だった。むごたらしく変わり果てた姿を傭兵達の目にさらさぬように、もっと配慮してやるべきだった……そう思うと、無性に腹が立った。



「血の匂いが外にまで漂っているが……何があったんだ?」

 突然、沈黙を破って背後から聞こえた声に、アシャムはびくりと肩を震わせると、歯を食いしばって声を絞り出した。

「おいっ、誰も中に入れるなと……!」

 振り返った先に、昔馴染みの男の姿を認めた途端、張り詰めていた糸が切れたかのように、大きく息を吐き出して、がっくりと肩を落とした。


 ギイは少し困ったように目を細めると、アシャムにゆっくりと近づいて、なだめるような優しさで大きな肩にぽんと手を置いた。そのまま、視線を足元の血溜まりへと落とす。

「……とにかく、身を清めてやらんとな」

 祈りを捧げるように眼を閉じたのも束の間、ギイは亡骸を覆っていた外衣を払い除け、わずかに顔をしかめると、血と涙で汚れた娘の頰を優しく拭った。

「可哀想に……酷いもんだな。アシャムよ、られたのは、この娘だけか?」

 そうだ、と吐息混じりに答えて、アシャムはそばにいた男に「手の空いている者に、出来る限りの古布と泉の水を運ばせろ」と命じた。


 慌ただしく駆け出して行く男を横目に、亡骸の状態を確かめていたギイが首を傾げた。

「野の獣か? 腹の中を食い荒らされちゃいるが……妙だなあ」

 考え込むように口元を片手で覆ったまま、片眉を吊り上げて、視線をゆっくりと地面に移す。血溜まりから尾を引くように、何かを引きったような赤黒い筋と血痕が、天幕の入り口へと続いていた。

「足跡も残っちゃいない……この子の腹から下はどこに消えちまったんだ? 身体を喰い千切って引きって行こうにも、天幕の周りには護衛達が居たはずだろう?」

 その言葉に、アシャムがゆっくりと身を起こし、ギイが指し示した地面に目をやった。強面こわもての傭兵の表情が、見る間に凄みを増す。

「この昼日中に、しかも、子供らがそこら辺を好き勝手に走り回っているんだ。誰にも気づかれず血塗れの獲物を運び出すなんぞ、どう考えても無理があるよなあ……」

 しばらく地面を見つめていたギイが、ついて来い、と目配せする。それに軽くうなずくと、アシャムは残りの傭兵達にその場を離れるなと告げて、後を追った。

 が、天幕を出てすぐの場所で、急にしゃがみ込んだギイに蹴躓けつまづきそうになり、アシャムは思わず故郷の言葉で毒づいた。そんなことは気にも留めず、ギイは地面を見つめたままいぶかしげに目を細めた。


 点々と続いていた血痕が、そこでぷっつりと途絶えていた。

 あたかも、血をしたたらせながら天幕から這いずり出たが、ここではないどこかへ忽然こつぜんと消え入ってしまったかのように。


 

***



 『箱』の天幕に近づくにつれ、血の匂いに混じってかすかに異様な気配が漂っている。

 それが「瘴気しょうき」だと気づいて、ねっとりと吐き気を催すほど甘ったるい匂いに耐え切れず、シルルースは大きな胸に顔をうずめて激しく咳き込んだ。


「匂うな……シルルース、大丈夫か?」

 レイスヴァーンは腕の中で苦しそうに息をする少女に視線を落とし、青ざめた顔を毛布でしっかりと覆い隠した。「大丈夫だから」とくぐもった声が毛布の中から聞こえたものの、むせかえるほどの血の匂いが次第に強まる中、この少女を抱えたまま先に進むべきではないのかもしれないと思い直して、その場に立ち止まった。



 喉を焼かれるような痛みに耐えながら、シルルースの意識は頭の中に詰め込まれた知識の泉を漂っていた。

『妖獣や妖魔の身体が朽ち果てる時、そこから昇り立つ「魔』の気配が「瘴気」となって宙に漂う。「魔の系譜」である彼らには「かて」となるが、人の子にとっては猛毒だ。体内を満たすほどに吸い込めば手の施しようがなく、激痛にのたうち回り、苦しみ抜いて息絶えることになる……』


 でも、ここに漂っているのは、ほんのわずか。せいぜい、この小さな身体を咳き込ませて弱らせることくらいしか出来ないほどの……王都軍の衛兵達が連れていた白アナグマによく似た使い魔の気配よりも、ずっと小さな毒の気配。

 朽ち果てるべき肉体が余りにも小さかったから、これくらいで済んだのね……もしかしたら、親と離れた妖獣の子が、野営地に紛れ込んでしまったのかしら?


 傭兵に抱きかかえられたまま、もぞもぞと毛布の中から顔を出すと、シルルースは上空に目を凝らした。薄紫色の瞳が虚空の彼方に広がる煌めきを映し出す。先ほど感じた「不自然なほどに清浄な空気」が、火の粉を散りばめたようにきらきらと輝きながら野営地をすっぽりと包み込んでいる。

 

 結界だわ。それも、祈りの言葉と呪詛が複雑に絡み合った……でも、一体、誰が……?


 刹那、どこかで女の冷ややかな笑い声が響いたような気がして、シルルースはレイスヴァーンの腕の中で小さく身震いした。


 


 辺りを見回せば、「捧げもの」の子供達が困惑した様子で寄り添いながら、『箱』の天幕を遠巻きにして眺めていた。布の束を抱え持った年上の子供達は若い傭兵達の手伝いに駆り出されているらしく、水桶を抱え持つ男達に遅れまいと早足で追い掛けて行く。その先で、天幕を取り囲んでいる大勢の傭兵達の姿が見て取れた。

 先程の悲鳴が上がったのは、『箱』の天幕で間違いない。だとすれば、シルルースをこれ以上、あの天幕に近づけるべきではないだろう……そう思いながら、レイスヴァーンは腕の中の少女に視線を落した。

「本当に大丈夫か? 気分が悪いなら、我慢せずに言ってくれ」

 気遣わし気な声と共に、暖かな吐息が頬に触れる。どうやら、心配性の傭兵に顔を覗き込まれているらしいと気づいて、シルルースは身体中が熱を帯びていくのを感じながら、毛布にくるまれた身体をもぞもぞと動かすと、恥ずかしそうにささやいた。

「ヴァンレイ、降ろして。一人で歩けるから……みんなが見てる」


 だから何だ? 


 そう言いたい衝動に駆られながら、久しく聴くことのなかった名の余韻がゆっくりと心の奥に沈んでいくのを感じて、レイスヴァーンは言葉を呑み込んだ。

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