駆け引き

 漆黒のなめし革のさやには、手の込んだ銀細工が施されていた。

 金で縁取られた『天竜の紋章』。天竜の両眼には深紅の宝玉がめ込まれ、柄の握り部分に至るまで、びっしりと細かい紋様が彫り込まれている。柄頭つかがしらには、翼を広げて今にも天に飛び立とうと首をもたげる獣の姿があった。金で象嵌ぞうがんされたそれは、エルランシング家の紋章『いくがらす』だ。


「ねえ、この鞘と柄の飾り、本物の金と銀よね? この宝玉! 見てよ、こんなにきらきら光って……ねえ、これも本物よね? 嫌だ、ちょっとレイス、あんたって本当に貴族だったのね」

 レイスヴァーンが普段使いの長剣を剣帯から外している間、うっとりとした表情で深紅の宝玉に指を滑らせていたウィアが、媚びるような視線をレイスヴァーンに投げ掛けた。が、冷ややかににらみ返されて「何よ、つまらない男ね」と不貞腐れる。

 

 一介の傭兵がくには豪奢ごうしゃ過ぎる長剣を前にして、王都軍の衛兵の二人が目を輝かせている。その傍らで、『天竜の紋章』の長剣をレイスヴァーンに手渡し、代わりにもう一口ひとふりの剣を受け取ったギイが、ひゅうっと口笛を吹いた。

「久しぶりに見たが、相変わらず、嫌でも人目を引く見事な剣だよなあ。こんな豪勢な剣を、故郷を出る不肖の弟に餞別がわりにぽーんとくれちまうんだから、お前の兄貴の……もとい、貴族様の考えることは平民の俺には理解出来んよ」

「あの人を理解しようなんて、無駄なことさ。赤ん坊の頃から世話になった俺だって、異母兄あに上の腹の中は読めない。とにかく、全てにおいて分かりにくい人なんだ」

 そう言いながら、何かを探すように辺りに視線を巡らせた。


「シルルースなら居ないわよ。疲れているみたいだったから、あんたがその剣を取りに行っている間に天幕に連れて行ったの。そしたら、そのまま眠っちゃったわ」

 レイスヴァーンの心を見透かしたかのように、ウィアが鼻の先でふふんと笑う。

「あの子は私がそばに居れば大丈夫なのよ。分かったら、さっさとその二人を連れて領主のところへ行きなさいな」

 先程のお返しとばかりに、冷ややかな声を出して睨みつける娘を横目に、困ったもんだと言いたげなギイが、早く行け、とレイスヴァーンに目配せした。



 

 馬で野営地を後にする三人の姿を見送っていたギイとウィアが、ほおっと大きなため息を同時に吐いた。思わず顔を見合わせると、なんだか急に可笑しくて、今度は二人そろって、ぷはっと吹き出してしまった。

「その……さっきは悪かったな。あの嬢ちゃんの前でお前さんのことを悪く言いたくはなかったんだが、つい、口が滑っちまって。人様の過去をとやかく言えた義理じゃあないってのに」

 ぽりぽりと頬の傷を掻きながら、ギイが決まりの悪そうな顔で、ぼそぼそとつぶやいた。不意を突かれて、ウィアはきょとんとした顔で男を見つめたものの、視線が合った途端に、慌てて顔を背けてうつむいた。

「私だって……悪かったわよ。あんた達、私達を守ってくれているのに……『人殺し』だなんて言ったりして」


 からから、と大きな笑い声が聞こえて、ウィアは驚いて顔を上げた。

「そりゃ、本当のことだからなあ。俺たち傭兵は他人の命を奪って生きている。お前さんが謝る必要なんぞありゃしない」

 ぽん、と頭の上に置かれた大きな手が、金色の髪をくしゃりと撫でる。その優しい感触に、ウィアの心が、とくり、と鳴った。

 頬を染める娘に気づいて、ギイはゆっくりと手を離すと、気まずさを紛らわすかのように天幕の中を覗き込んだ。

「まあ、お前さんが今のうちにあの嬢ちゃんに恩を売っておきたいってのも、分かる気がするんでな。大神殿の巫女に仕える下女となりゃあ、嫌な男の相手を無理矢理させられることも……って、ありゃ?」

 間の抜けたような声を出した男が、いぶかしげにウィアを振り返った。

「なあ、俺の気のせいかもしれんが……嬢ちゃんの姿が何処にもないような……お前さん、本当にこの天幕にあの子を寝かせたのか?」

「……え? ええっ!?」

 慌てて天幕に駆け寄って中を覗き込んだウィアが、はああ、と息を吐いて肩を落とした。

「ちょっと……嘘でしょう? あの子ったら、また消えちゃったわ……ああ、もう、シルルース! どこに行っちゃったのよお!」


 いつもの調子を取り戻したウィアの様子に心が軽くなるのを感じながらも、ギイは少し困ったように中途半端な笑みを浮かべた。



***



「いやはや、まさか『南の砦』のご領主の弟御が、傭兵なんぞに身をやつして『捧げもの』の隊列に加わっていらっしゃるとは……」

 『天竜の紋章』と『いくがらす』の意匠が施された長剣を携えた赤毛の傭兵が、王都軍の衛兵と共に領主に謁見を求めている――そう知らせを受けて、慌てふためいた様子でばたばたと館の正門に駆け付けたのは、でっぷりとした身体つきの初老の男だった。


 領主の側近だという男は、衛兵達には目もくれず、狡猾そうな愛想笑いを浮かべてレイスヴァーンにへこへことお辞儀をすると、しゃがれた猫撫で声を出した。

「御兄上エーレウォン様には平素より格別のお引き立てを賜り……」

「断っておくが、エルランシング家の厄介者である俺に媚びを売ったところで、一文の得にもならんぞ。今の俺は傭兵なのでな。御領主に謁見を願い出たのは隊列の責任者である王都軍の衛兵であって、俺は護衛として彼らに付き従ったまでだ。兄上とは一切関係ない」

 眉間に皺を寄せて冷ややかに告げながら、レイスヴァーンは心の中で自分の浅はかさに毒づいた。武器商人達が築き上げたこの砦が、大陸中の王国を相手に武器の商いを行なっているのは周知の事実だ。にも関わらず、故郷の砦もその取り引き相手の一つだったことを、うっかり忘れていた。


 側近の男は愛想笑いの奥で無愛想な若者を値踏みしつつ、貴族特有の優雅な所作でレイスヴァーンと衛兵達を館の奥へ、奥へと招いて行く。

「時に、お腰にいていらっしゃる長剣の使い心地はいかがなものですかな? 大神殿からお戻りになられる貴方あなた様のためにとエーレウォン様から直々じきじきに仰せ付かり、我が砦随一の刀鍛冶師が腕によりを掛けて創り上げた品でございます……『血染め』の御名おんな相応ふさわしい斬れ味でございましょう?」


 傭兵としての異名を口にした男の顔にかすかなあざけりの色を見て取って、レイスヴァーンは眉間の皺を一層深めると、うんざりとした表情を浮かべた。

「人を殺すには豪奢ごうしゃ過ぎる。この剣のおかげで幾度も命を狙われたからな。そのくせ、斬れ味は生温なまぬるい」

 たるんだあごを揺らしながら、側近の男が気味悪い声で、ほっほっと笑う。

「左様で。確かに、斬れ味が悪くてはお役に立てませぬな。早速、鍛冶師を呼んで参りましょう」

「いや。それには及ばんよ。傭兵なんぞしていると、そういった伝手つてはいくらでもある」

 全く興味なさげにつぶやくと、その場に急に立ち止まり、おもむろに背後を歩いていた衛兵達を振り返った。


 不意を突かれて狼狽する二人に、レイスヴァーンは申し訳なさそうな薄笑いを浮かべて肩をすくめると、側近の男にちらりと視線を向けて、聞こえよがしに大きな溜息を吐いた。

「『高貴な血』を疑わない奴らの高慢さには慣れているつもりだったが、何とも居心地が悪いな……俺はここで失礼するよ。あとは、あんた達二人で上手いことやってくれ」

「何を仰います! 我があるじが、エーレウォン様の弟御に是非ともご挨拶を、と申しておりますのに……」

 言葉巧みに取り入ろうとする男の猫撫で声に、レイスヴァーンは忌々しそうに舌打ちすると、端正な口元を歪めて冷淡な笑みを浮かべた。

「名を呼ぶのもいとわしい妾腹の俺なんぞより、この二人に媚びておいた方が良いのではないか? 『捧げもの』の隊列を預かる王都軍の衛兵は、わば大神殿のおさである大神官の名代だ。ラスエルクラティアに恩を売っておいて損はあるまい?」


 吐き捨てるように言い放ち、元来た道を引き返して行く赤毛の傭兵の後ろ姿を、側近の男は呆気にとられて凝視したまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。が、はたと我に返って、慌てふためいたように大声を張り上げる。

「お……お待ち下さい! 私めに非礼がございましたらお詫び致します! どうか、お気を沈めて……なにとぞ、今回のことは……ご内聞ないぶんに! くれぐれも、御兄上の……エーレウォン様のお耳には……」 

 故郷の砦を放逐ほうちくされた庶子とは言え、上顧客の異母弟の機嫌を損ねてしまってはさすがに不味いと気付いた男の声が、領主の館の回廊に虚しく響き渡った。

「……ああ、行ってしまわれた」


 がっくりと肩を落とす側近の男を前に、王都軍の衛兵達は顔を見合わせて失笑するしかなかった。



***



 領主の館を後にして、愛馬の手綱を引いたまま「街道」に戻ったレイスヴァーンは、辺りに目を配りながら野営地に向かってゆっくりと歩き始めた。

 先程まで眠っていた街が、いつの間にか活気を帯びている。


 「街道」に沿って建てられた建物の其処此処そこここに、武器や武具を扱う店の看板が掲げられ、それに隣り合わせるように鍛冶師の工房がのきを連ねている。辺りは、大陸を渡り歩く目の肥えた商人達を相手に商談をまとめようと躍起になる店主や、掘り出し物を探し求める傭兵達の姿であふれかえっていた。

 この砦が『アルコヴァルの武器庫』と呼ばれるに相応ふさわしいにぎわいを見せる通りを抜けて、大きな広場に差し掛かった。広場の中央に建てられているのは、祈りの場とおぼしき小さなほこらだ。が、天竜を守り神とあがめる王国では当たり前のように見かける白壁造りの神殿は、何処にも見当たらない。商人が築いた城砦都市では、妖魔の王である天竜よりも、金銀財宝を崇める者の方が多いのだろう。


 木製の玩具おもちゃの剣を手に、大きな笑い声を上げて祠の周りを走り回っていた子供達が、レイスヴァーンのすぐそばを軽やかに駆け抜けて行く。漆黒の馬を連れた長身の傭兵に憧れの視線を向けて立ち止まった子供が、はにかんだ笑顔を浮かべると、慌てて仲間の後を追いかけて行った。

 ギイが言ったように、この大陸に和平の風が吹き始めているのは確かだろう。一昔前ならば、たとえ子供であろうと、武器をかたどった玩具を手にした瞬間、容赦なく斬り殺されていたはずだ。

 戦乱の世に生まれ、傭兵として生きる道を選ばざるを得なかった者達の行き着く先に、何が待っているのだろう……走り去っていく子供の後ろ姿を目で追いながら、レイスヴァーンは少し複雑な思いに駆られて目をすがめた。



 東西の交易路の中心として栄えるアルコヴァルでは、朝市が、領内の民の暮らしだけでなく、巡礼者や旅人をも支える役割を担っている。

 新鮮な野菜や果物はもちろん、大陸中からもたらされた珍しい香辛料や薬草、毛皮、織物、装飾品など、様々な商品を扱う商人達が、小さな天幕に売り台を置いただけの簡素な屋台に溢れんばかりの商品を並べて客寄せをする声が、あちらこちらから聞こえてくる。


 甘く芳ばしい香りに誘われてレイスヴァーンが足を止めたのは、焼き菓子を売る屋台だった。質の良い小麦の粉で作られた焼き菓子は、大陸随一の穀倉地帯を持つアルコヴァルの名物でもある。

 幼い頃、甘いものに目がなかった母のために、父が調理人達に命じて毎朝作らせていた焼き菓子は、干した果物と甘く煮詰めた木の実をふんだんに混ぜ込んだ贅沢なものだった。父の前では滅多に表情を崩さなかった母も、あの焼菓子の前では少女のような微笑みを浮かべていたのを懐かしく思い出しながら、レイスヴァーンは店主に声を掛けた。



 店主が焼き菓子を一つ一つ丁寧に油紙で包むのを待つ間、隣の店先に何気なく目を向けた。売り台の上には、木彫りのくしや髪留め、色取り取りの装飾用の革紐が並べられていた。故郷の砦の女達ならば見向きもしないような素朴な造りの工芸品を、若い娘達が足を止めて物欲しそうに見つめては、ため息を吐いて通り過ぎて行く。 

「ちょっと、傭兵の兄さん、想い人への贈り物をお探しかい?」

 店の奥に腰かけていた恰幅の良い女店主が、人好きのする笑顔を向けて話し掛けてきた。が、想い人、と聞いてレイスヴァーンは少し面食らった。 

「木彫りよりも白銀のにしておきなよ。女は華やかなものが好きなんだからさ。ほら、これなんかどうだい?」

 そう言って、店の奥の棚から取り出した銀細工の櫛を差し出した。美しく磨き上げられた鏡面のような輝きの中に、咲き誇る花々が浮かび上がる。

「……いや、そういう訳ではないんだが」

 レイスヴァーンは気まずそうに苦笑いを浮かべたまま、櫛を無理矢理手渡そうとする女店主から距離を取るように後退あとずさった。


 焼き菓子屋の店主はと言えば、こちらを見ながら面白そうに薄笑いを浮かべている。さすがは商売人同士、手を組んでいるのか……レイスヴァーンは少し呆れながらも、所狭しと商品が並べられた売り台に視線を漂わせ、ふと、はしの方にひっそりと置かれた木彫りの櫛に目を留めた。

 てのひらにすっぽりと収まるほどの小さな櫛を、そっと手に取り眺めてみる。

 きらめく星々と上弦の月の意匠は、女性の装飾品としては特に珍しくもない。が、よく見れば、星空の下に広がる森の木々の間から、つぶらな瞳で夜空を見上げる小さな尾長イタチが彫り込まれていた。両手を胸の辺りに置いて首を傾げる愛らしい姿が、何故だか、あの少女を思い起こさせた。


「そいつはちょっと幼過ぎやしないかい? 兄さん程の男に想われているお相手となりゃあ、さぞかし妖艶な美女なんだろう? こっちの櫛の方が絶対、喜ぶと思うんだけどねえ」

 女店主の言葉をよそに、『妖艶な美女』からは程遠い少女の華奢きゃしゃな身体と、陽の光を浴びて星屑を散りばめたように輝く黒髪を思い出して、レイスヴァーンは思わず頬をゆるめた。

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