傭兵と盲目の少女

「あんたの髪って、星の輝く夜空みたいね」

 藁の上に寝転がってまぶしそうに空を眺めていたウィアが、ぽつりとつぶやいた。その顔に悪戯いたずらっ子のような表情が浮かぶ。と、両腕で膝を抱えたまま眠りに落ちかけていたシルルースの方に手を伸ばし、腰まで届く長い黒髪を、くいっと引っ張った。

 びくり、と身体を震わせて眼を覚ました少女の髪から手を離すと、ウィアは面白そうに軽やかな笑い声を上げた。

「……ウィア、痛い」

「あんたねえ、そんなふうに転寝うたたねしてる間に馬車が大きく揺れたりしたら、ひっくり返るわよ。寝るなら横になりなさいな」

「ここでいい。横になったら余計に酔いそうだから」

 ウィアは不意に起き上がると、もう一度、シルルースの髪に手を伸ばした。小さな身体を包み込むように豊かに波打つ黒髪は、陽の光の下では青緑色の光沢を帯びて、きらきらと不思議な輝きを放っている。

 ほら、やっぱり星空みたいだわ……そう思いながら、白い指を髪に通そうとして、娘は大きく顔をしかめた。

「ええっ? 何よ、これ! あんた、ちゃんと髪をいてるの? 指が通らないくらい絡まってるわよ。ここも……ほら、ここも! ちょっと後ろを向いて御覧なさいな……いやだ、ここも……こっちも……うわあ、ひどい!」

 悲壮な声に、シルルースは気まずそうに膝を抱えて座り込むと、うつむいたまま、もごもごと小さな声を出した。

「自分の姿なんて見えないもの。気にしないわ」

「あんたには見えなくたって、こっちは嫌でも気になるのよ! 不貞腐れてないで、こっちを向きなさいったら!」

 ゆっくりと顔を上げた娘の唇が固く結ばれていることに気づいて、ウィアの心が少し痛んだ。

「……仕方ないわね、手で梳いてあげる。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢しなさいよ」




 子供の頃とは、あんなにも簡単に見知らぬ相手に気を許せるものだったろうか……

 護衛する荷馬車の横に馬を並べたまま、レイスヴァーンは二人の少女のやり取りに耳を傾けていた。時折、少女達に気づかれぬよう、そっと視線を向けながら。


 年長らしい黄金色の髪の娘が、傍らの少女の髪を手でくしけずっている。

 まだ十五にも満たないであろうその娘が「西の砦」で「捧げもの」として差し出される場にたまたま居合わせ、妙に大人びた色香を漂わせながら指し示された荷馬車へと足をむける姿を、レイスヴァーンは目にしていた。陽の光に輝く髪が風に吹かれてふわりと揺れる度、美しい曲線を描く肢体が露わとなり、周りを取り囲む傭兵達の目を奪った。欲望に駆られる屈強な男達の視線を一身に浴びながら、己の美しさを十分に誇示したと言わんばかりに妖艶な微笑みを浮かべる娘の姿に、寒気すら覚えた。


 あれくらいが丁度良いんだ。男に媚びることなく、男の欲望を利用するだけのしたたかさがあれば、たとえ「捧げもの」として大神殿に上がっても、神官や護衛の男達にもてあそばれて心を病むこともないだろう。この娘なら、この世のあらゆる不条理が巣食うあの場所でも充分に生きていけるはずだ。

 問題は……


 少し眉をひそめながら、レイスヴァーンは娘のそばに座り込んでいる黒髪の少女に視線を向けた。

 先程まで眉をしかめて唇をきつく結んでいた少女は、優しくあやすような手つきで髪を梳かれるのがよほど気持ち良かったのか、とろけるような表情を浮かべて年上の娘に身を委ねている。

 荷台の上にうずくまる姿に気づいてからこの方、少女は周りにいる者達に興味を示そうともせず、不思議な色の瞳を虚空に向けたまま一言も発することなく、身動きひとつせずにいた。既に心の病にかかっているのかと思っていたが……目が見えぬから、動くことが出来なかったのだろう。

 貧しい農村の働き手にすらなれぬ子供は、足手まといでしかない。かと言って、自由に動き回ることも出来ぬ盲目の子を「捧げもの」として差し出したところで、大神殿の下仕えが務まるわけもない。そういった子供達は、大抵の場合、神官や護衛のねやの相手となる他に生きる手立てがない。男達の情欲に踏みにじられ、絶望に押しつぶされ、次第に正気を失い、やがて自ら命を絶つ者も少なくない。

 気の毒だが、この少女もまた……やり切れぬ思いに、レイスヴァーンは大きくため息を漏らすと、そっと視線を逸らした。


 傍目に見ても姉妹とは思えぬ容姿の二人が隣り合って寄り添い、不器用ながらもお互いを気遣おうと手を伸ばす。お世辞でも乗り心地が良いとは言えぬだろう粗末な荷台の上での予期せぬ触れ合いは、幼くして故郷を離れ、見知らぬ土地でたった一人で生きることを余儀なくされた少女達にとって、心休まるものに違いない。

 せめて、このひと時を誰にも邪魔されぬように、旅の間だけでも守ってやろう……レイスヴァーンは己の心にそう言い聞かせた。



 「捧げもの」として差し出され、各地の神殿に集められた幼い子供達を大陸の西の果てから順に拾い上げ、大陸の東の果てにある「聖地」ラスエルクラティアまで送り届ける長旅に護衛として加わることを決めたのは、背後で鼻歌交じりに故国の戯れ歌を口ずさんでいるギイだ。十六の春から三年の月日をラスエルクラティアの「大神殿の護衛」として過ごし、「捧げもの」の子供達が辿たどった悲惨な末路を嫌というほど目にしたレイスヴァーンにしてみれば、気の重い話だった。


『お前が気乗りしないだろうことは承知の上さ。だがなあ、レイスよ、上手く行けばラスエルクラティアの王都軍の衛兵に取り立てられるかもしれんのだぞ。お前はまだ若いが……いつまでも戦場を渡り歩く生活を続けるわけにもいかんだろう?』

 そう言って、くしゃりと笑った男の顔には、出会った頃にはなかった左頬の刀疵かたなきずと深いしわが刻まれていた。

『この大陸に、ようやっと和平の風が吹き始めたんだ。それに乗らん手はないだろう?』


 和平の風、か。

 人々の願いがそう仕向けているのだとすれば、壮年期を迎えた古参の傭兵が安住の地を求めるのも自然の成り行きなのだろう。

 無下に反対するわけにもいかず、レイスヴァーンは渋々ながら承諾した。



「……相変わらずひどい歌声だな、ギイ」

 苦笑いしながらも、レイスヴァーンは慣れ親しんだ友の声にしばし耳を傾けることにした。

 傭兵として生きるすべを叩き込んでくれたこの男と過ごした年月が、己のすさみきった心を解きほぐし、故郷を捨てて新たな人生を歩む勇気と自信を与えてくれたのだ、と懐かしく思いながら。 



***



「何かあったな。レイス、用心しろよ」


 次の目的地であるアルコヴァルの「東の砦」を目前に、先を行く馬車を護衛していた傭兵達がにわかに落ち着きを失った。そのことに最初に気づいたのもギイだった。呑気に鼻歌を口ずさんでいるように見えて、常に周囲の状況に耳を傾け、決して注意を怠らない……さすがだな、とレイスヴァーンは改めて傭兵としての男の力量に感心させられた。


 一人の傭兵が困惑の色も露わにこちらに向かって馬を走らせ近づいて来る。レイスヴァーンの背後にギイの姿を認めると、その場で馬の向きを変えて横に並んだ。

「ギイ、不味いことになった。手を貸してくれ」

 顔馴染みらしい傭兵が苦々しく告げた。

「よう、アシャム。事と次第によっちゃあ助けてやらんでもないが……何があったんだ?」

 のんびりとした口調の中に、動揺する男の本音を探ろうとする抜け目なさが潜んでいる。

「『箱』の積み荷が逃げた……くそっ!」

 思わず声を荒げた男に、ギイが冷めた視線を送る。なんとか落ち着きを取り戻した男が、少しだけ声をひそめた。

「『西の砦』で子供達を拾った時には確かに五人居たんだが……つい今しがた、『箱』の小窓を覆っていた布が風に吹かれて、たまたま中をのぞいた奴が気づいたんだ。一人足りない」

「数え間違えってことはないのか?」

「ない。『箱』に関しては、扉を開ける都度、必ず人数を確認する決まりなんだ。俺以外にも三人の傭兵が周りを囲っていて……逃げられっこないんだが」

 忌々しそうに顔を歪めた男の視線の先で、年若い傭兵が炎の色の髪を風になびかせながら、振り返りざま射るような視線を向けた。

「……おい、ギイ。あいつ、信用できるのか?」

「ん? ああ、お前なんぞより、よっぽどな。ここ数年、共に旅をしている男でな。若いが腕は確かだし、驚くほど勘が良い。まあ、少々頑固過ぎるのが玉にきずだが」

 からからと笑い声を上げながら、ギイがレイスヴァーンに向かって片目をつぶってみせた。

「おい、レイスよ、『箱』の中身が逃げたらしいぞ。お前、どう思う?」


 傭兵達が『箱』と呼ぶそれが、「捧げもの」を積んだ箱型の馬車であることは、レイスヴァーンも知っていた。荷馬車の隊列の先頭に一台、中程に一台。合わせて二台の『箱』に積まれているものが何なのかまでは、『箱』を担当する護衛にしか知らされていなかった。

 『逃げた』のが『一人』と言う時点で「捧げもの」の子供だろうと容易に察しはついた。けれど、たかが平民かそれ以下の身分の「捧げもの」が逃げ出したところで、いくらでも代わりはいるのだから、ここまで騒ぎ立てるのも不自然だ。となれば……

「『巫女見習い』か、『神官見習い』の子供か。厄介だな……そいつに術の心得があるなら、護衛の目をくらませて逃げ出すくらい容易たやすいだろう」

 興味深げにレイスヴァーンを見つめていた男が、大袈裟に両手を大きく振りながら言葉をさえぎった。

「いやいや、それはない。『箱』は巫女姫様の結界で守られていてな。遠見くらいは出来るだろうが、あの中で妖しげな術を使えば、途端に結界がかせとなって身体の自由を阻むらしい……どういう仕組なのかは、俺に聞かんでくれよ。何より、逃げた子共は一人で動き回れるような身体じゃあないんだ」

 はあっ、と大きくため息をついた男が、首を横に振りながら口早に言葉を続けた。

「両目が見えんのさ」


 レイスヴァーンがほんの少し首をかしげて、ちらりと視線を荷馬車に向けた。そのわずかな動きを、ギイは見逃さなかった。

「心当たりがありそうだなあ、レイス」

 とがめるような口調ながら、その顔には薄笑いが浮かんでいる。こんな時のギイには逆らわぬ方が身のためだと知っているレイスヴァーンが、面倒臭そうに大きなため息を吐いた。

「さあな……その子の名は?」

「え? あ、ああ、『シルルース』だ。フュステンディルの言葉で『黒蜥蜴とかげ』を意味するそうなんだが……そんな名を娘に与える愚かな親がいるとは信じられん、とフュステンディル出身の傭兵が怒り狂っていたんで、はっきりと覚えているんだ」


 荷馬車の上で、ようやく髪を梳き終わって満足気な笑顔を浮かべた黄金色の娘が、うつらうつらとし始めた黒髪の少女の身体をそっと引き寄せた。小さな肩が、ぴくりと揺れて、薄紫色の瞳が何かを探すように宙を彷徨さまよう。それも束の間、少女は安堵の表情を浮かべると、傍らの娘に身体を預けて瞳を閉じた。

 その様子に目を細めながら、レイスヴァーンはギイの隣を行く傭兵に向けて、無愛想に言葉を投げつけた。

「情けないことだな。護衛が四人も居ながら、『一人で動き回れるような身体じゃあない、両目の見えん』子供の子守ひとつ、まともに出来んとは」

 見る間に、傭兵の顔が怒りで真っ赤に染まる。


 相手が誰であれ、怯むことなく真っ直ぐに向き合うのが常のレイスヴァーンが、何の考えもなしに辛辣な言葉を口にするわけがない。並外れて身体の大きい荒々しい面構えの古参の傭兵が、若木のようにしなやかな体躯の美しい若者にやり込められる姿は見ものだろうな……そんなことを思いながら、ギイは込み上げてくる笑いを必死に抑え込んだ。

「なあ、アシャムよ。悪いが、あいつの言う事にも一理あるとは思わんか?」

 喉の奥で押し殺すように、くっくっと小さな笑い声を立てるギイの傍らで、傭兵は悔しそうに唇を噛み締めながらも、なんとか冷静さを保っていた。助けを乞うた手前、旧知の男が世話を焼いているらしい若者に下手に手を出すわけにもいかないと察したのだろう。

「レイス、お前、何を知っている? もったいぶらずに、こいつに教えてやったらどうだ?」

 ギイの言葉に応えるように、わずかに肩をすくめたレイスヴァーンがおもむろに荷馬車ぎりぎりに馬を寄せて身を乗り出すと、荷台の枠にもたれ掛かって眠り込んでいる少女の顔を上から覗き込んだ。

「シルルース」

 見知らぬ男に名を呼ばれて、黒髪の少女が、ぶるりと身体を震わせた。

「聴いていたんだろう、シルルース?」

 もう一度、名を呼ばれて、少女はゆっくりと顔を上げた。

「『巫女見習い』が乗るべき馬車から逃げ出したはずのお前が、何故ここに居る?」



 穏やかだが揺るぎない強さを秘めた声が、夢の国を彷徨い始めていたシルルースを現実の世界へと引き戻した。当惑に眉をひそめながらも、傍らで寝息を立てているウィアを起こさぬようにゆっくりと身体を動かして、声のする方へと顔を向けた。


 刹那、激しく燃え立つ炎のような輝きをまとう男の気配に圧倒されて、シルルースは、ほおっ、と息を呑んだ。

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