命の炎

『魂の輝きが人の子の本質を現しているのだよ。我はさながら、凍える真冬の月であろう』

 そう言って、冷ややかに微笑んだ巫女姫の言葉を思い出しながら、シルルースは男がまとう不思議な輝きに魅入られた。


 

 この人は……空っぽな炎。


 心に抱いた暗闇さえも照らし出す程の激しさで、命の炎が燃えている。眠るようにくすぶり続ける魂の熾火おきびを守るかのようにして。

 燃えて、燃えて、灰の一欠片ひとかけらも残さず燃え尽きて、この世界から消え去ってしまいたい……そう願いながら、命果てるその時を待ち望んで、ただひたすら燃え続ける。

 

 ……どうして? 炎に注がれる果てない苦しみは、何処から生まれてくるの?



 それを見定めたいと思いながら手を伸ばした瞬間、シルルースは焼け付くような痛みに悲鳴を上げた。



***



 肩を寄せ合ってのんびりと転寝うたたねしていたはずが、妙に周りが騒がしくなったことにウィアが気づいたのは、傍らの少女が急に身体を動かして小さな悲鳴を上げたからだ。

「まったくもう……シルルース! 荷台の上で急に動いたりしたら危ないって言ったでしょう? ただでさえ、あんた、目が見えないんだから気をつけないと……」

 寝惚けまなこで辺りをぼんやりと見回したウィアが、突然、大きく息を呑んで飛び起きた。大きな黒い馬にまたがった赤毛の傭兵が、荷台の枠につかまったまま固まったように動かない黒髪の少女の顔をのぞき込んでいたからだ。獰猛どうもう蒼狼ヴォールに追い詰められた尾長イタチのように、小さな身体がぶるぶると震えているのに気づいて、ウィアは思わず大声を上げた。

「ちょっと、あんた! その子に何してるのよ! 今すぐ離れなさいな!」 

 赤毛の傭兵はいぶかしげにウィアを一瞥いちべつしただけで、すぐに視線をシルルースの上に戻してしまった。



 不思議な色の瞳に心の奥底まで覗き込まれた……何故だか、そんな感覚に襲われて、レイスヴァーンは無意識のうちに相手を威嚇する気配をまとっていた。

 少女が、ぶるりと身を震わせるのを目にした途端、はっと我に返った。気まずそうに小さく舌打ちして、あらん限りの優しさを必死に掻き集める。こんな小さな、しかも盲目の子供相手に殺気立つなんぞ、どうかしている……苦々しく、そう思いながら。

「怖がらないでくれ。シルルース、お前が居るべき場所から逃げ出したと大騒ぎしている奴が居るんだ。だから、何故ここに居るのかと尋ねただけだ。俺たち護衛にも色々とややこしい決まりごとがあってな」

 そう言いながら、後方にいるギイにちらりと視線を投げかけると、察したように薄笑いを浮かべて「仕方ない」と言わんばかりに肩をすくめるのが見えた。レイスヴァーンは穏やかな声を保ったまま、おびえさせぬようにゆっくりと少女の頭に手を伸ばした。

「お前の姿が見えないと困る奴がいる。それは覚えておいてくれ」

 ぴくり、と身体を強張こわばらせた少女が、ごつごつと大きな手に優しく頭を撫でられて、わずかにうなずいた。


 突然、荷台の上を素早く移動したウィアが、動けないままのシルルースを荷台の枠から引き剥がすようにして両腕で抱え込んだ。またもや小さな悲鳴を上げ、じたばたと慌てふためく少女に向かって「ちょっと……暴れないでよ、シルルース! 私よ、ウィア! 分かる?」と声を掛けながら、落ち着かせようと強く抱きしめた。ようやく状況を理解したらしく、少女がウィアの腕にしがみついてきた。

「ちょっと、あんた! 目が見えない女の子に手を出そうなんて、卑怯じゃないの! 見なさいよ、こんなに怯えて……大の男が恥ずかしいとは思わないの?」

 小刻みに震える少女を抱きしめたまま怒りで顔を真っ赤にした娘に、噛みつかれそうな表情で睨みつけられ、レイスヴァーンは困ったように少しだけ眉尻を下げた。

「怯えさせるつもりはなかった。だが、その子が馬車を乗り間違えたおかげで、護衛達が混乱している」

「乗り間違えた……って、どういうこと? この子、私が乗る前からここに居たわよ」

「その子は『巫女見習い』だ。吹きっさらしの荷台に乗せておくわけにはいかない」

 

 「捧げもの」の隊列に数多くの護衛が加わるのは、ラスエルクラティアまでの道中、「巫女見習い」や「神官見習い」を狙った盗賊や人攫ひとさらいを恐れてのことだ。不思議な力を秘めると言われる子供達を奪い去り、従順な「術師の卵」として諸王国に高値で売りつける。時に、優れた術師に恵まれぬ王国が、金に飽かせて雇い入れた傭兵にわざわざ隊列を襲わせることさえある。

 「捧げもの」の中で最も価値のある子供が姿を消したとあっては、護衛の傭兵達が困惑することくらい、ウィアにも容易に察しがついた。身を守るための囲いさえない粗末な荷馬車の荷台の上で、のんびりと微睡まどろみながら揺られている場合ではないことも。


「ええっ? ちょっと、シルルース! あんた、『巫女見習い』だったの?」

 しがみついたまま離れようとしない少女を見下ろして、ウィアが驚きの声を上げた。シルルースは気まずそうに顔を上げると、こくり、と小さく頷いた。

「とにかく、今はここに居ていい。お前一人のために隊列を止めるわけにもいかんからな……次の砦に着き次第、元の馬車に連れて行く。『箱』の護衛には俺から伝えておくから、そこを動くなよ」

 レイスヴァーンは後方の男達に何やら合図を送ると、馬の速度を急に落として荷馬車から離れようとした。

 まさにその時。


「……あそこは、いや


 震える唇から漏れ出した小さなささやきを、レイスヴァーンは聞き逃さなかった。

「何だって?」

 もう一度、荷馬車ぎりぎりに馬をつけて少女の様子を覗き見ると、青ざめた顔で先程よりも酷くがたがたと震えている。小さな子供をあやすように優しく話し掛けるウィアの声も聞こえていないらしい。

「シルルース、ねえ、本当に大丈夫?」

「……あの馬車は、嫌なの」

 かすれた声が告げる言葉に、ウィアとレイスヴァーンが思わず顔を見合わせる。

「何が嫌なんだ?」

 不可解だと言わんばかりの声を出した傭兵を、眉をしかめたウィアがにらみつけた。

「ねえ、シルルース、震えてるだけじゃあ分からないわよ。何が嫌なのか、はっきり言いなさいな」


 

 あの時。

 『巫女見習い』として数年を過ごしたフュステンディルの神殿の前で、護衛に言われるまま、箱型の馬車に足を踏み入れた瞬間、どろどろとした得体の知れない何かが身体中にまとわりついてきた。

 馬車の中に居る他の子供達は、異様なものに気づく様子もなく静かに座っている。その「何か」に宿る気配に、シルルースはどうしようもない恐怖と吐き気を覚えた。

 次に馬車の扉が開けられると、転がり落ちるようにして馬車から逃げ出した。

『あそこは、嫌……あそこから離れなきゃ……出来るだけ遠く……お願い……!』

 シルルースの心の声を聴いた風の精霊達が、優しいそよ風となって隊列の最後尾を行く荷馬車まで導いてくれた。

 誰の手も借りずに荷台に乗り込んだ少女をとがめる者などおらず、ましてや、その少女が盲目であることに気づく者は一人もいなかった。



「あの馬車には、何か、邪悪なものが居るの」 

 震える唇から紡ぎ出された言葉に、レイスヴァーンは尋常でないものの影に怯える少女の心を感じ取った。不思議なことに、この少女を守ってやらなければという焦燥感さえ込み上げてくる。戦場で命を落しかける度に、ギイの言う「驚くほどの勘の良さ」に救われて生き延びてきたレイスヴァーンにとって、説明のしようもない己の感覚を疑うわけにもいかなかった。

「邪悪なもの……そんなにも、恐ろしいものだったのか?」

 自分の言葉をありのままに受け止めて、理解しようとする穏やかな声に、シルルースは驚いたように顔を上げた。薄紫色の瞳が涙で潤んでいる。

「そう……だから、あの馬車は、嫌なの」

「いやだ、何よそれ。邪悪なものって、何なのよ?」

 気味悪そうに顔を歪めたウィアの気配に、シルルースは今までしがみついていた腕の中から慌てて逃げ出すと、荷台の枠づたいに、荷馬車のすぐ隣を並走するレイスヴァーンのそばへとやって来た。

「お願い。あそこへ私を連れ戻さないで」



***



「そうは言ってもなあ……レイスよ、雇い主からの決まりごとに一介の傭兵が口を出すべきじゃあないことくらい、お前も知っているだろう?」

 アルコヴァルの「東の砦」に到着した途端、泣き叫んで嫌がる少女を力ずくでかかえ上げて『箱』に連れ戻そうとしたアシャムを、あろうことかしたたか殴りつけて地面に転がしてしまったレイスヴァーンを問い詰めながら、ギイは思いのほか誇らしげに左頬の刀傷をぽりぽりと掻いた。


 どうしたものかと考え事をする際に年上の友が見せる仕草を横目に、レイスヴァーンは真っ直ぐ駆け寄って来た少女を自分の背後に優しく押しやると、地面に転がったままの傭兵に向かって冷ややかに告げた。

「こんなにも怯えているんだ。何も無理に連れ戻さずとも良いだろう?」

 痛々しく腫れ上がった頬に手を当てて、ひいっ、と情けない声を出した男が、ギイに助けを求めるような視線を投げる。

「……だとさ。アシャムよ、どうする? その娘を俺達の荷馬車に乗せておくことについては、俺は一向に構わんのだがなあ」

「おい、待て待て、ギイ。そんな子供の言うことを真に受けるってのか? 『箱』は巫女姫キシルリリ様の結界で守られているんだぞ? その『箱』の中に、邪悪なものだか何だか知らんが、良からぬものが入り込めるわけがないだろうが!」

「そうは言ってもなあ……」

 相変わらず、ぽりぽりと古傷を掻きながら、ギイはレイスヴァーンの方へ視線を流した。

「あの娘が嘘をついているようには思えんのだがなあ」

 余りにものんびりとした口調に、アシャムが苛立ちを堪え切れずに悲鳴に近い怒鳴り声を上げた。

「『巫女見習い』に万が一のことがあれば、俺達の首だけじゃあ済まんのだぞ! この契約に関わった全ての傭兵が責任を追及されることになることくらい、ギイ、お前なら……」

「万が一のことがないように、俺達が居るんだろうが」

 突然、鋭さを帯びたギイの声にさえぎられて、男は言葉を呑み込んだ。

「なあ、アシャムよ、何のための護衛だ? 事の発端は、『箱』の中身を守るべきお前達が不甲斐ないからだとは思わんのか?」

 そう言いながら、ギイはレイスヴァーンの陰に隠れて気配を伺っている黒髪の少女に視線を走らせた。

「盲目とは言え、その子は自分の面倒は自分で見れるようじゃないか。それに……」

 荷台の上に座り込んで睨みを利かせたまま、男達の会話に耳を傾けている黄金色の髪の娘に視線を投げて、にやりと微笑みかける。不意を突かれたウィアが目を丸くするのを面白そうに眺めながら、ギイは言葉を続けた。

「頼もしい守り役も居ることだし、問題はなかろう?」

「しかし、それではまるで俺達が……」

 納得出来ないとばかりに詰め寄ろうとするアシャムを尻目に、ギイはシルルースのそばまでやって来ると、目線を合わせるように片膝をついて薄笑いを浮かべた。

「なあ、嬢ちゃん。一体、どうやって、あの図体ばかりでかい男どもの目を盗んで『箱』から逃げ出したんだ?」

 のらりくらりとした口調ではあるが、妙な威圧感を男から感じ取って、シルルースはレイスヴァーンの腕にしがみついたまま、小さな声を絞り出した。

「あの人が……砦の女の人と、おしゃべりしている間に……」

 アシャムの巨体が、ぴくりと揺れる。

「‭おいおい……お前、持ち場を離れて女を口説いていたのか?」

 くくっ、と喉の奥から漏れ出す笑い声と共に、ギイが呆れたような表情を浮かべた。

「で、でまかせだ! 目の見えん子供の言うことなんぞ……!」

 途端に、レイスヴァーンのこぶしを食らって、アシャムは再び地面に転がる羽目になった。



***



「ラスエルクラティアの領内に入るまでだぞ。それまで、その子に何かあれば、お前達の責任だからな!」

 そう云い捨てると、腫れ上がった頰をさすりながらアシャムは『箱』の方へと戻って行った。


 「東の砦」の検問を終えて隊列が向かったのは、砦の正門から程近い場所に設けられた野営用の陣地だった。元は同盟国の軍隊の野営地だったが、大陸内の騒乱が落ち着きを取り戻しつつある昨今、大陸を旅する隊商にも開放されるようになった。とは言え、年に一度、早春を迎える頃に行われる「捧げもの」の隊列に野営地を使用する優先権があるため、この時期に旅する隊商はごくまれだ。


 傭兵達は手慣れた様子で、広々とした陣地に次々と天幕を張っていく。その様子を荷台の枠に頬杖をついて眺めていたウィアが、ほおっと熱い吐息を漏らした。

「あの赤毛の傭兵、素敵よねえ……」

 隣に座っていたシルルースが、ぎょっとした表情を浮かべて薄紫色の瞳を大きく見開いた。

「レイス、って呼ばれていたわよね。傭兵にもあんない男がいたのね……ねえ、そう思わない、シルルース?」

「……よく分からない」

「ええっ? ちょっと……あんたのために、あの巨漢を二度も殴り倒してくれたってのに、それはないんじゃない?」

 呆れ返ったような声を出すウィアの横で、シルルースは頭にのせられた大きな手の温もりを思い出していた。



 空っぽな炎。

 果てない苦しみ。


 穏やかな声。

 温かな手。

 

 全てをありのままに受け止めてくれた人。


 ……あの人のことを、もっと知りたい。

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