王都にて

 ラスエルクラティアの大神殿の護衛は、そのほとんどが貴族や富豪の子息だ。

 真綿にくるむように育てられた、家督を継ぐべき嫡子達。この戦乱の世において、兵役逃れの隠れ蓑として出仕するに過ぎない彼らには、貴族のたしなみとして優雅な身のこなしに重きを置いた武芸の心得はあっても、己の手を血で染める覚悟など欠片かけらほどもない。

 金糸で縫い取られた豪奢な礼服を身にまとい、まばゆい宝玉をはめ込んだ装飾用の剣を腰にいた姿は、大神殿の儀式に華を添え、朝の祈りのために集まった王都の民や巡礼者の目を大いに楽しませる。いくさの世にあって、ここだけは安泰だと錯覚させるための「お飾り」に過ぎぬ彼らは、戦場に流される血とむくろにおいなど知らぬまま、「天竜の紋章」をたずさえて故郷に舞い戻り、聖地を守るために身を捧げた英雄を気取るのだ。


 大陸最古の神聖政治国家として一切の軍事力を持たぬ「天竜の統べる王国ラスエルクラティア」を争乱から守り続けたのは、大陸中から集められた志願兵で編成された王都軍だ。異国からの巡礼者や旅の商隊などで賑わう王都の規律を保つ彼らは、屈強な戦士であり、筋金入の軍人でもある。そんな彼らから「極上の穀潰ごくつぶし」と揶揄やゆされる大神殿の護衛は、いくさの風を追って大陸を流離さすらう傭兵にとっても「たちの悪い冗談」でしかない。



***



「そいつの首を取って持ち帰れば良いだけのことだろう? 王都軍の精鋭と神殿付きの術師が行くなら、俺の出る幕などないと思うが」

 古くからの傭兵仲間である王都軍の大隊長たっての願いと聞いては嫌とも言えず、大神殿付きの妖獣狩人として「罪を犯した元護衛」の捕物に加わる羽目になったレイスヴァーンは、出立間際で慌ただしい王都軍の兵舎の一角で騎兵達に指示を与える友の姿を見つけ出し、寝入りばなを叩き起こされた忌々しさも露わに詰め寄った。


「よう、レイス。久しぶりに顔を合わせたってのに、なんだ、その不機嫌なつらは? せっかくの色男が台無しだぞ」

 ラスエルクラティアの王都軍がかかげる「天駆ける青竜」の意匠がほどこされた濃紺の外衣をまとい栗色の髪を短く刈り込んだ男が、左頬に走る刀傷をぽりぽりと掻きながら呆れたように目をすがめると、近くにあった椅子を二つ引き寄せて一方に腰掛け、レイスヴァーンを手招いた。

「こっちにも色々と込み入った事情があるんだよ。でなけりゃ、『巫女姫キシルリリのお気に入り』であるお前をわざわざ呼び出したりはせんよ」

「ギイ、気が滅入るから、その呼び名はめてくれ。俺がキシルリリの元に留まっている理由わけはお前も知っているだろう?」

 はあっ、と大きなため息をつくと、レイスヴァーンは不機嫌な表情はそのままに、親友の向かい側にどっかりと腰を下ろした。


「惚れた女を守るため、だったな。余りにもお前らしくない理由だったもんで、笑うに笑えんのだよ。しかも惚れた女ってのが……」

 わざとらしく声を張り上げた男の喉元に、目にも止まらぬ速さで引き抜いた長剣の切っ先を向けた赤毛の戦士の気迫に、二人のそばで装備の点検をしていた若い騎兵が顔を強張らせて手を止めた。その姿を面白そうに眺めながら、ギイは慣れた手つきで長剣を払い除けると、何事もなかったかのように言葉を継いだ。

「だがな、レイスよ。その惚れた女が行方知れずで、『果ての世界をも見通す』とうたわれる巫女姫の力をってしても見つけ出せんのだろう? もうそろそろあきらめて、違う女に目を向けるべきだと思うんだがな……俺の女房に言わせりゃあ、お前に恋い焦がれる王都の娘は数え切れんほど居るんだと。まあ、お前は昔から女好きのする奴だったからな」

 嫌味なほどに整った容貌の友の姿に視線を走らせて薄笑いを浮かべながら、ギイは満足そうに大きくうなずいた。

「少し歳は食ったが、羨ましい程の色男ぶりは健在だな。『黒のエルランシング』らしからぬ見てくれを与えてくれたお袋さんに感謝しろよ」


 母から与えられたのは、見てくれだけではないんだがな……そう言いかけて、レイスヴァーンは心の中に少しだけ懐かしい痛みを覚えると、言葉を飲み込んだ。

 漆黒の髪と暗緑色の瞳を持つ「南の砦エルランシング」の民を父に持ちながら、異国の傭兵だった母から燃えるような赤銅色の髪と新緑の森を思わせる明るい色の瞳を受け継いだ。おかげで、物心ついた時から容赦なく向けられる好奇とさげすみの目にさらされた。だが、戦士として生き延びるすべ矜持きょうじを与えてくれたのも、他ならぬ母だった。


「ギイ、頼むから、あの巫女姫の機嫌を損ねるような余計な真似はしてくれるなよ。無慈悲さにかけては妖魔以上なんだよ、あの御方は」

「その無慈悲な巫女姫様からのご命令だ。夜の『昏き森』を抜けるには妖獣狩人が必要だと掛け合ったら、『まだ見習いで中途半端な腕ではあるが、居ないよりはましだろうから』お前を連れて行け、とな」

 込み上げてくる笑いを抑えきれずに、ギイは顔を真っ赤にして、くはっと吹き出した。

「戦場で『血染めのエルランシング』と恐れられたお前をつかまえて『居ないよりはまし』とは……さすが、スェヴェリス王家の血を引く巫女姫だけのことはある。怖いもの知らずだな」

「おい、待て。話が違うぞ、ギイ。俺は、お前のたっての希望だから手を貸してやれと言われたから……」

 途端に、ああ、と短いうめき声を漏らして、レイスヴァーンはくやしそうに顔を歪めると、頭上の虚空をにらみつけた。

「どうせ、水鏡からこちらをのぞき見て面白がっているんだろう、キシルリリ? その悪趣味は止めろと何度も言ったはずだが……まったく、貴女あなたの考えていることは、俺にはどうにも理解出来ん」


 兵舎の騒めきに混じって、どこからか女の冷ややかな笑い声が響いたのに気づいたギイが、ぶるりと身震いして辺りを見渡した。

「気に病むな、ギイ」

 いつものことながら、邪気と無邪気の狭間はざまを行き来するキシルリリらしい気配を感じ取って、レイスヴァーンは虚空を見上げたまま、戦士特有の冷徹な声を出した。

「さて……その『込み入った事情』ってのを聞かせてもらおうか、隊長殿」





 娘の恋人を名乗る大神殿の護衛が、娘の部屋から飛び出して来た血塗れの若者と鉢合わせになり、慌てふためきながら王都の屯所に飛び込んで来たのが事の始まりだった。

「恋人を殺して逃げたのは顔見知りの護衛だった、と言うのでな。若い娘をあんな姿になるまで痛ぶって命を奪うような残忍な奴だ。新たな犠牲者が出る前に捕らえなけりゃならんと騎兵を差し向けたが、相手も必死だったんだろうな。まんまと逃げられた」

 騎兵に手傷を負わされながらも男が逃げ込んだ先は、夕闇迫る「昏き森」だった。

「血の匂いに誘われた獣の餌食となって骨の髄までむさぼり喰われ、夜明けまでには跡形もなくなっているだろう、と誰もが思ったさ」



 それから十日余り過ぎた頃。アルコヴァルの「北の砦ネスグレンタ」からの使者が大神殿を訪れ、朝の祈りを捧げる大神官の前に護衛の制止を振り切って進み出ると、突然のことに困惑する巡礼者の騒めきなど気にも留めずに、砦の領主の勅書を朗々と読み上げた。

『罪人と言えど、アルコヴァル王の曽孫である我が弟キリアンを、生死も分からぬまま「魔の系譜」が棲まう森に置き去りにするなど、あってはならぬこと。事によっては王に願い出て、ラスエルクラティアへの物資と資金の提供を断つよう進言する所存につき、覚悟せよ』

 その言葉に、その場に居合わせた全ての者が震えあがった。


「逃亡した護衛が『北の砦』の子息であることは分かっていたんだが、そいつの祖母がアルコヴァル王の娘だと聞いて、さすがの俺も総毛立ったさ」

 荒涼たる平原に囲まれた王都と大神殿以外、自国の領土に利益追求のための財源を一切持たぬラスエルクラティアは、天竜を神と崇める大陸の民の献身によって古来より生き長らえてきた。大陸随一の財力を誇る「西の大国アルコヴァル」の支援を失うことは、命を繋ぐかての大半を失うことに等しい。



 しくも時を同じくして、王都軍の間諜うかみがもたらした知らせに、ギイは頭を悩ませていた。 

『殺されたはずの娘が、実は生きていて、娘の父親も、これ以上の王都軍の介入は不要だと申し出た』

 そんなはずはない。

 ギイだけではなく、あの日、その場に駆け付けた兵士達も、無残に腹を引き裂かれて血の海に横たわる娘の姿を目にしているのだ。なのに、どういう訳だか、以前と同じように美しく着飾った姿で王都を歩く娘が何度も目撃されていると言う。

 困り果てたギイが足を向けた先は、全てを見通す不思議な力を持つ巫女姫と、彼女が仕える大神官ハルティエンが待つ大神殿だった。


 まるで予期していたかのように、護衛にとがめられることもなく大神官の居所に通されたギイの前に現れたハルティエンは、女と見紛うほど優し気な顔に穏やかな微笑みを湛えたまま、おごそかに告げた。

『その娘が生きているのならば、逃亡した者の罪も、それ自体が無かったものとするのが妥当でしょう。巫女姫キシルリリの遠見とおみによれば、森の外れの水車小屋に住む薬師が、怪我を負って動けなくなっていたキリアン・ネスグレンタを見つけてかくまっているそうです。彼は未だに自分が追われる身だと思い込んでいるでしょうから、いつ何時、そこから逃げ出して姿をくらますとも限りません。よって、王都軍は今宵のうちに速やかに出立し、キリアンを王都まで連れ帰るように。ああ、それから、その小屋には妖魔が棲みついているようです。あなた方だけでは手に負えないこともあるでしょうから、大神殿の術師を一人、お貸ししましょう』

  

 それがどれだけ理不尽な話しであろうと、ラスエルクラティアの大神官にして王でもあるハルティエンの言葉に、王都軍の隊長であるギイは従わざるを得ない。既に眠りに就いていたレイスヴァーンが巫女姫の使い魔に叩き起こされる羽目になったのも、ハルティエンのさしがねによるものだった。

「訳が分からんだろう? 娘の無残な遺骸を目にして半狂乱になった父親を取り押さえようとして、兵士の一人が腕をし折られる大怪我を負ったってのに……今さら何もなかったことにしろ、と言われてもな」

 苦々しく告げるギイの声が、兵舎の喧騒の中に虚しく響いた。

「どうにも納得がいかんのでな……引き続き、間諜には娘の周辺を探らせている。『北の砦』の使者が王都に滞在している手前、今回の騒動を引き起こした王都軍の責任者として俺は謹慎を食らっちまったんで、王都を離れられん。手練てだれの騎兵達ばかり選んで準備させていることだし、俺の傭兵仲間で王都軍に属していたこともあるお前になら、あいつらも大人しく従うだろうよ。何にせよ、厄介ごとに巻き込まれるのはお前の性分だろう、レイス?」

 頬の傷が歪むほどに、意地悪そうな笑顔を浮かべる友の顔を殴ってやりたい衝動に駆られながらも、レイスヴァーンは冷静さを装って辺りを見渡した。

「この分だと出立は真夜中になるな……軍を率いるのは構わんが、術師でもない俺に結界を張って騎兵達を守れ、などと無茶は言わんでくれよ。大神官が直々に任命した術師ってことは、相当な使い手なんだろうな?」


 きまり悪そうに目を細めたギイが、くいっとあごで指した先には、大きすぎる長衣ローブを引きるように細身の身体に巻きつけてたたずむ、青白い顔の、何とも頼りなげな若者が居た。

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