第十八話 魔王の肖像
アレフィオスがリュースを連れてやってきたのは、玉座の間――その、更に奥だった。
以前、手紙がぽつりと置いてあった玉座を通り過ぎ、真っ白な壁にアレフィオスが手をつく。すると、手のひらを中心にして、突如壁に紋様が浮かび上がった。紫色に発光し、三重の円を描いたそれは、更に周囲に複雑な模様を浮かばせながら、円一つ一つがそれぞれ左右に回りだした。同時に、周囲の模様も巻き込まれるように動く。
それらはある一点で動きをピタリと止めた。同時に、カチリと音がし、部屋の壁が左右に割れる。
その先には、長く暗い廊下があった。突き当たりには扉があり、部屋があることが知れる。
「私の……と言うか、魔王の私室です」
少し恥ずかしげに肩を竦めて言うと、アレフィオスは歩き出した。
アレフィオスが廊下に一歩踏み入れると、周囲がぱっと明るくなった。見上げると、魔力によるものか――白い光球がいくつも浮かんでいる。
照らし出された廊下は、他の廊下と同様に赤い絨毯が敷かれていた。特徴的なのは、両壁に飾られた絵だ。肖像画が、等間隔に飾られている。
「これは……」
肖像画に描かれた人物――と言うより魔物は、多種多様であった。それこそ、獣のような姿の者もいるし、アレフィオスのように人型の者もいる。共通しているのは、銀色の角と金色の瞳を持っているということだ。
「歴代の、魔王たちです」
ぽそりと、アレフィオスが言う。
「歴代、の」
と言うことは、やはり神話の時代から、アレフィオスが永らく一人で〈東の魔王〉をしているわけではないのか。エネトの言葉を鵜呑みにしていたわけではないが、どこかほっとする。
アレフィオスが立ち止まったのは、魔王の私室に一番近いところに飾られた絵の前だった。
描かれているのは、見た目には若い男だ。黒髪は短く整えられ、金色の目はやや目尻が垂れている。絵師がどれほど、割増しして描いているのかは分からないが、かなり顔立ちが整っており、華のある雰囲気だ。
(どっかで、見た顔だな……)
しばらく見つめて、ふと気づく。雰囲気こそ違うが、肖像画の男はアレフィオスに似ているのだ。
「私の、兄です」
肖像画を見つめたまま、アレフィオスが呟くように言う。
「異母兄ですが……先代の魔王でした。カリスマ性があり、魔物たちをよく従え、皆……兄の時代が永遠に続くことを願っていましたし……信じていました」
「ふぅん」
何の気なしに相槌を打つ。それよりも、アレフィオスが自分になにを話そうとしているのか――それが気になって仕方がなかった。
「今から、二十年ほど前のことです」
アレフィオスは口調を変えぬまま、淡々と続けた。しかし、おそらくこれこそが本題の始まりなのだろうと、リュースは意識をぐっとそちらにやる。
「当時、魔王だった兄は、元々放浪癖のある方ではあったのですが……姿をくらます回数や期間が、以前よりも増えたのでした。さすがに不審に思った側近があとをつけると、どうやら、人間の女性のもとへ通っているようだったんです」
「人間の女のところに……」
二十年前。人間の女のもとへ通う魔族。
――先程視た、白昼夢のためだろう。まさかと思いつつも、頭のどこかで、ピースとピースを繋げてしまう。
リュースの心境を理解しているのか、アレフィオスは少し躊躇いがちに、言葉を続けた。
「兄と女性はとても仲睦まじかったそうで……それだけならば、まだ良かったのですが。間もなく女性は赤ん坊を産み――その子には、魔王の力の片鱗が宿っていました」
アレフィオスは、僅かに唇を噛み締めた。それを見ながら、リュースはもうほとんど確信していた。
「それが、俺なのか」
言葉にしてしまえば単純なことで、アレフィオスもあっさりと頷いた。
「さすがにそれは禁忌だと――魔王でもない者が魔王の力を、例えどれほど小さな欠片であろうと持つべきではないと、皆が責め立てました。私も……兄を、なじりました。赦されるわけがないと。魔王の立場でありながら、人間に想いを寄せ、子を持ち、共に過ごしたいだなんてそんな我が儘……」
言いながら――アレフィオスの表情が、どんどん歪んでいく。それは、常の泣き出しそうな情けない顔よりも、もっと複雑で。怒っているのか、痛いのか、苦しいのか、叫びだしたいのか――とにかく、そんな顔だった。
「それでも、兄は言いました。それでも、今の自分には、あの二人が全てなのだと。……その会話を最後に、兄は魔王の地位から退きました」
「……それで、今はおまえが魔王なわけか」
アレフィオスが頷くのを確認し、リュースは自分の頭を掻いた。
「そんで……つまり、おまえの兄さんが、俺の親父ってことだよな?」
「兄は、そう言っていました」
それを聞き、どんな顔をすれば良いのか分からなくなる。つまりは、目の前のアレフィオスは、リュースにとって正真正銘「叔父」というわけだ。
そして、今こんな話をするくらいなのだから、アレフィオスは当然、今までリュースを「甥」として理解していたわけで。
一度考えると、ややこしくなりそうなため、気づかなかったことにしておく。
「そんで」
素知らぬふりをして、リュースはアレフィオスに別の会話を振った。
「その、退位した元魔王ってのは、今どこにいるんだ?」
まさかこの城にいるんじゃないだろうな、と思いつつ、リュースが訊ねると、アレフィオスは思いのほか、言いにくそうにもじもじし出した。それから、ぽそりと呟くように答える。
「……亡くなりました」
「あ?――なんで」
思いもよらぬ言葉に、ほとんど反射で訊ねると、答えの言葉は突き放すような調子で返ってきた。
「魔王の退位とは、そういうものなんです」
言ってから、言葉が足りないと気がついたのだろう。アレフィオスは口を何度かぱくつかせてから、小さく首を振って付け加える。
「……魔王になった者は、生来備わっているよりも、丈夫な身体を得ます。加齢は緩やかになり、治癒速度も上がり、ちょっとやそっとでは死ぬこともありません。最も特徴的なのは、自殺が不可能になることです」
「つまり……自分にどんな傷をつけても、死なねぇってことか?」
今一つピンとこず、訊ねると、現魔王はこくりと頷いた。
「魔王になるというのは……単に、魔族の王になるのとは、少し違うんです。この世界を造る根幹の、その一部になる……それが、魔王なんです。だから、欠けることは赦されませんし、決して欠けないように調整されています」
リュースが言葉を挟む隙間もなく、アレフィオスが続ける。
「魔王と四神が『柱』と呼ばれるのは、本当に世界を支える柱だからなんです。そんな存在になるわけですから、簡単に死んだり、辞められたりしたら困るわけです」
語る程に、アレフィオスの顔から、表情が抜け落ちていくことに、リュースは気がついた。
「だから、魔王が魔王を辞めることができるのは、他者に殺されたときか、魔王を辞めることを許されたときだけです」
納得よりも、引っ掛かる部分の方が多く、人差し指でこめかみを軽く叩く。アレフィオスの話は、細かなようで実に曖昧な部分が多い。
つまりは。
「困るとか、許すとか……だれが、そんなことを決めるんだよ」
「――世界」
虚ろな目で、アレフィオスが答える。
「正確には、世界の意思を語る代行の者が、総てを統括します。昔話で聞いたことがあるでしょう――それが、〈調停者〉です」
確かに、どこかで聞いた名だった。天秤を持ち、世界のバランスを計る〈調停者〉。
「また神話かよ」
吐き捨てるように、リュースがぼやく。
「魔王の認定も地位剥奪も、どちらも〈調停者〉の役割です」
当たり前のことであるかのように、アレフィオスは頷いてみせた。話は続く。
「魔王になると同時に、世界の根とも言うべき部分に繋がり、莫大な魔力を得ます。それと同時に、歴代の魔王の記憶も受け継がれ……大方の魔王は、長年の間にそれらに押し潰されて、個やアイデンティティといったものを喪ってしまうことが多いんです」
ふと、アレフィオスの金色の目に光が戻る。それは、悲しげな光でこそあったが。
「たぶん……兄は、魔王になったことで、自分を見失いかけていたんだと思います。だから、貴方や貴方のお母さんの存在が、救いだったんです」
リュースはなんと答えたものか分からず、「ふぅん」と曖昧な声を漏らした。ちらりと、肖像画に描かれたその姿を見る。
これが父だと言われても、全くピンと来ない。そういうものなのだろう――記憶にない父親よりも、今の養父やセルシオの方が、よほど父親だと思える。
むしろ、幼い頃に村人たちから疎まれる原因を作り、母を困らせる余計な力を遺しただけの父親なぞ、恋しいと思ったこともなかった。
「……それで、なんでそんな面倒なもんを、あんたは引き継いだんだ? 世襲制とかで、兄弟のあんたが継がなきゃ駄目だったのか? 前に言ってただろ――なりたくてなったわけじゃないって」
記憶を引っ張り出して訊ねると、アレフィオスは笑った。冷たくはないが、温かくもない。温度を感じられない、薄い笑顔だ。
「さっきも言いましたが、魔王が欠けるわけにはいきませんから。次代の魔王の決め方は、とても単純なんです」
「うん?」
「――魔王を殺した者が、次の魔王になるんです」
言っている意味が一瞬理解できず、リュースは頭を掻いて間をとった。
「つまり……もし、俺がお前を殺したら、俺が魔王になるのか? 人間でも」
言ってから、正確には、自分は人間というわけでもないのかと思ったが、アレフィオスの答えは明解だった。
「種族は関係ありません。魔王を殺した者が誰であれ、ただその方が魔王になるだけの話です」
「だけど。だとしたら、おかしいだろ。前のやつは、自分から魔王を辞めて死んだのに」
「――だから、私のせいなんだと思います」
それは、アレフィオスの中でずっと考えていることなのだろう。間髪入れずに、さらりと答える。ほんの少し、いつもの泣き虫な色を顔にのせて。
「私は、兄を尊敬していました。だから事実を知ったとき……裏切られたと思い、赦されないと責め立てた。兄を追い詰めたのは、私なんです。自分の目が金色に変わったとき、兄に死を選ばせたのは私だったんだと、そう思い知りました」
「……なんだよ」
唸るように、リュースは呟いた。
「結局、聞いただとか思うだとか……そんなんばっかじゃねぇか。あんた、今までの魔王の記憶を引き継いでんだろ? だったら、本当に自分のせいで兄貴が死んだのかどうかくらい
「分からないんですっ」
それは、もうほとんど泣き声に近かった。実際、アレフィオスの両目は涙で潤み、どうにか流れるのを堪えている状態だった。
少しつつかれれば決壊してしまうのではないかという危うさで、アレフィオスは続ける。
「あるはずの兄さんの記憶が……私には引き継がれなかった」
それから、リュースの胸元を指差す。
「兄さんが遺したのは、その、いつも身につけていた宝玉だけです。それも、いつか貴方に渡して欲しいと、そう言い残して」
リュースは、自分の胸元に下がった青い石を、思わず握り締めた。それを、アレフィオスが愛しそうに見つめる。
「兄さんが私に遺したのは……魔王という厄介な立場――それだけなんです」
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