第十九話 〈調停者〉の影
朱色の夕陽に目をすがめつつ、エリシアは隣にいる狼型の魔物を撫でた。確か、アレフィオスのペットでポチとかいう名前だったか。
彼は城の門番をしているつもりなのか、背筋をぴんと伸ばし、エリシアになぞ構うことなく森の方を見つめている。だがその灰色の巨大な尾は、エリシアが撫でる度に左右へゆっくり揺れており、外見の厳つさとのギャップが愛らしかった。
「あたしも、犬飼いたいなー」
正確には、ポチは犬ではなかったが、魔物に詳しくないエリシアとしては大差なく感じられた。
犬に限らず、動物は全般的に好きだ。養父母の家には、それこそヤギやらニワトリやらアヒルやらと家畜が多くおり、エリシアも世話を手伝っている。
エリシアが欲しいのは、独り立ちしたあとに飼うペットだ。今住んでいる街から出ようとは思わないが――いつまでも、ただでさえ恩のある養父母の世話になっているわけにはいかない。それに、エリシアにだって目標くらいあった。
「独りの部屋に帰るのって、やっぱり寂しいよねぇ。あー、犬欲しいな、犬」
言ってから、ちらりと上を見上げる。はるか高くにある門柱の天辺には、別の巨大な影がどしりと腰を下ろしていた。魔王のもう一匹のペット、タマだ。エリシアには興味がないのだろう、前足をざりざりと舐めながら夕陽を浴びて、太陽の温もりの名残を味わっている。
「猫も可愛いけど……どうなのかな。飼っている主人には、ちゃんとなついて、お出迎えしてくれるものなのかなー」
ぼんやりと、そんなことを呟いたときだった。タマがすっと尻を持ち上げたかと思うと、下を向いて唸り出した。
「え? え? あたし?」
なにか気にさわることをしただろうか、もしや犬と比べたことを怒っているのだろうかと、エリシアは慌てて手を振る。
「違うの。猫の気まぐれ感も、もちろん好きよ。そもそも、皆違って皆良いって言うか」
弁明するエリシアを無視し、今度はポチが立ち上がって唸り始めた。毛が逆立ち、その目は森を睨んでいる。
「なに。なにか来るの?」
「客人が来るみたいだな」
ガシャリ、という音と共に声がした。振り返ると、警護長がすぐ後ろに立っている。
(うわぁ……いつの間に)
思わず変な声が出かけるのを、喉元でなんとか堪える。彼がリュースにしたことを思うと、どうにも苦手な相手だ――ポチの毛皮にしがみつきながら、エリシアは警護長の視線を追った。
(森……)
「やっぱり、誰か来るんですか?」
森の中は、茂った木々のため日が射し込まず、すでに暗い。目をこらし、恐る恐る訊ねたときだった。暗闇の中に、白い影が見えた。
「誰――」
思わずかけようとした声は、最後まで言葉を成さなかった。不意にエリシアの視界が反転する。朱色から闇色に変わる空が見えたかと思うと、エリシアの意識はそこで途切れた。
※※※
「……ってことはだな」
アレフィオスの話を聞いてから、たっぷり数十秒を間を置き。リュースは口を開いた。指先は、胸元の石を玩びながら。
「こいつは元々、俺に遺されたもんだって言ったよな?」
「……はい」
神妙な顔で、アレフィオスが頷く。その両手は服の裾を握り締め、リュースを見ようともしない。それに、小さく息をつく。
「つまり、だ。こいつがはじめから俺のもんだとしたら――おまえ、依頼の報酬をけちりやがったな?」
「え……え?」
目をぱちくりとさせ、アレフィオスは首を傾げた。
「それは、どういう……」
「どういうもこういうも。おまえ、俺を雇うときに、この石を報酬として提示しただろうが。でも話を聞く限りじゃ、これはそもそも俺のもんって決まってたってことだろ? それを報酬にされるんじゃ、割に合わねぇって話だ」
アレフィオスはまだ戸惑っているようだった。「あの、えっと」と何度も言葉を空回りさせ、頭の中をなんとか整理しようとしているのが分かる。
「その、怒ってないんですか? リュースさん……」
「だから怒ってるだろーが。ちゃんと別に、貰うもんはきっちりと貰うからな。騙されるところだったから、慰謝料も含めて倍ドンだ」
「いえ、あの。そのことではなくて……」
未だ不安定に揺れるアレフィオスの目を見て、リュースは溜め息をついた。「興味ねぇよ」と雑な口調で告げる。
「そもそも、親父なんて存在は、俺の中ではちっせぇもんだったんだ。それを今更聞かされたからって、どうってことねぇよ」
「でも……」
アレフィオスは、なおも言い募ろうと口を開いた。それを払うような仕草で手を振り、顔をしかめる。
「親父を好きだったのはイーシャ――母さんだ。俺はなんも思っちゃいない。生きてれば、顔の一発くらいぶん殴ってやっても良いけどよ。死んでんなら、それこそどうしようもねぇだろ」
途端、アレフィオスの顔がくしゃりと歪んだ。その両目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちてくる。
「りゅ、りゅーすざぁんんん……っ」
「うぜぇ鬱陶しいやめろ離れろ鼻水つけんな」
しがみついてこようとする、自分よりも背の高い男を、なんとか腕を突っぱねて追い払う。
「いいか? 報酬の件はきっちりさせておくからな? ばっくれんじゃねぇぞ?」
「ふぁ、ふぁい」
鼻水を啜りながら頷く魔王に、リュースは大きく首を振った。全く、威厳もなにもあったものではない。
「ったく……ヒトがせっかく、賞金を諦めて雇われてやったっていうのに……」
「あ……それ、なんですけどぉ……」
まだ少ししゃくりあげながら、アレフィオスが急に訊ねてきた。その顔は、涙で濡れてはいるものの真剣そのもので、リュースは首を傾げる。
「なんだよ。まだ、なにかあんのか?」
「その。お訊きしたいことがあって……。えっと、初めに、この城に攻めて来たときのことなんですけど……」
「あぁ」
おまえが逃げ出したときな、とリュースが言う前に。涙を拭ったアレフィオスが、じっとこちらを見つめながら言葉を続けた。
「リュースさんは、どうして魔王の城に攻め込もうと思ったんですか?」
「はぁ?」
今更、いったいなにを言い出すのか。呆れつつも、リュースは「あのなぁ」と頭を軽く振る。
「ずっと言ってるだろうが。魔王退治の賞金はでかいんだよ。まじ、馬鹿みたいな額の懸賞金が懸かってんだって」
だが、アレフィオスは強く首を左右にした。
「それは、もうずっと昔からのことじゃないですか。なのに、なんであのとき、あのタイミングで、あなたは魔王城を攻めようって……そう、決めたんですか?」
「そりゃ……」
ふと、言葉を返そうとした口が止まる。
思いがけないことに、頭の中が真っ白になった。いや――違う、元から真っ白だった。
「なんで……だ?」
言われてみれば、おかしい。
どうして自分は、急に魔王城を攻めようだなんて思ったのだろうか。
賞金が山程得られるとは言え――本来、かなりのリスクがあることだ。だからこそ、一般の勇者は普通、魔王退治なんてしようとは思わない。
リュースだってそうだった。勇者になってから数年、額の大きな仕事を選んではきた。瘴気の森に入ることだってあった。
しかし、魔王を退治しに森を越えることなど、思いもつかなかった。
それが、急に――どうして。
「――ッ」
また、頭の中に白い靄を感じ、思わず両耳を塞ぐ。そんな行為にどこまで意味があるかは分からなかったが、背中を走る冷たさに、身を固めずにはいられなかった。
「リュースさん、大丈夫ですか?」
慌てて声をかけてくるアレフィオスに、リュースはなんとか頷いてみせる。
「……おまえの言う通りだ。なんか、おかしい。どういうことか、わかんねぇけど……」
それを聞いたアレフィオスは、ぎゅっと唇を噛んだ。珍しく悔しげな顔に、リュースは目だけで疑問を投げる。
「たぶん……ですけど」
ゆっくりと噛み含めるように、アレフィオスは口を開いた。
「リュースさんは……操られています」
「操られている……?」
気を散らしたお陰か、頭の中の靄はすっと引いていった。だが、芯が冷えきり、小さく震える身体をごまかすように、リュースは両腕を抱いた。それをアレフィオスはただ強い眼差しで見つめながら、こくりと頷く。
「リュースさんが、最初にこの城へ来る、少し前のことです。〈調停者〉が私のところにやってきて、あることを提案しました」
「あること……」
「はい。それは……リュースさんの力を、私の力と一つにすることです」
アレフィオスの眉が、ぴくりと小さく揺れるのを、リュースは見逃さなかった。
「それって、どういう意味だ?」
「えっと……さっきの話にもあったように、本来、魔王の力を一部でも別の者に分け与えるのは、禁忌なんです……。〈調停者〉はたぶん、元からその事態は把握してらっしゃったみたいで……リュースさんのことは、ご存知のようでした」
「ふぅん」
頷きながらも、自分の預かり知らぬところで話が進んでいることに、やはり多少の違和感と不愉快感は覚えた。かと言って、自身で先程言った通り「どうしようもない」ことではあるが。
アレフィオスは肩を竦め、リュースをうかがうように見ながら、話を進める。
「力を一つにするには……結局、方法は一つでして。……どちらかが、もう一方の命を絶つことで、相手の力を吸収するしかないんです。魔王の引き継ぎと同じように」
そこまで一気に言うと、アレフィオスはまた表情を崩し、「でも」と首を振った。
「私はそんなの、嫌でした。……それに、禁忌とは言ってもリュースさんに渡った力は本当に全体に対して微々たるものですから。今のところ問題も起きてないですし、取り敢えずはこの機会にお会いして、先ずはお話だけでも……って、提案したんです」
なんと言うべきか、アレフィオスらしい提案ではある。どれほど、意味のある提案なのかは、リュースには図りかねたが。
「〈調停者〉の方は」
少しばかり、アレフィオスの語調が強くなる。もしかしたら、少し怒っているのかもしれないと、リュースはなんともなしに思った。
「……言ったんです。それでも良いって。なんなら、自分がここまで連れてくるからって……。だから、私……貴方をお迎えするための準備をしていたんですけど。でも……」
「……実際にやってきた俺は、おまえを倒す気満々だった、ってわけか」
アレフィオスの顔がますます歪み、それでも堪えるように、唇をぐっと横に引いて頷いた。
「ったく……なんなんだよ、その〈調停者〉っつーのは」
知らぬ間に操られていたとなると、腹が立って仕方がない。左手で右手の拳を受け止め、リュースはふっと息を吐いた。
「人を馬鹿にしやがって……ッ」
ふと、アレフィオスの表情に気がつく。その顔は、まだどこか不安定で、視線を上げたり下げたりと繰り返している。
「……おまえ、まだなにか隠してるだろ」
「そっ、そんな。隠してるって、そういうわけじゃないですけど……」
「けど?」
畳みかけるリュースに、アレフィオスが「実は」と口を開きかけた、そのときだった。
「魔王様」
玉座の間から声が聞こえ、アレフィオスが慌てて「はい」と返事をする。
「警護長か」
聞き覚えのある声に、リュースは呟いた。アレフィオスもそれに頷き、「取り敢えず、部屋に戻りましょう」とパタパタ歩き始める。
廊下を歩きながら、改めてリュースは、ずらりと飾られた肖像画を見た。それから、前を歩くアレフィオスの背中を。彼ら全ての記憶が、アレフィオスの中に押し込まれているのだと思うと、それは想像よりも、かなり凄まじいことなのではないかと思え始めた。
アレフィオスの身体が、玉座の間へと戻る。途端、聞こえたのは「ひッ」というアレフィオスの悲鳴だった。
「どうした」
続けて部屋に戻ったリュースも、目に飛び込んできた光景に固まった。
豪奢な部屋の玉座には、エリシアが座っていた。しかし、意識はなくぐったりともたれ掛かるようにして座らされている。その隣に立つのは警護長だった。
そしてもう一人。
「てめぇ……!」
ノア・エヴァンスは、二人の前にじっと立ち、アレフィオスたちを見つめていた。――その手に持つ剣先を、エリシアの喉元に突きつけながら。
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