第十六話 〈剣聖〉

 リュースが、精霊術で霧を出したアーティエと共に、翼を生やしたキメラに載って城に戻ると、すぐさまアレフィオスらがやって来た。


「リュースさんっ、あの」

「分かってる。あいつらは?」


 片手を上げて制止すると、アレフィオスはぐっと唇を一度噛み締め、諦めたように再び口を開く。


「先に着いてます……伝言通り、今は医務室で、ドクターが診ています」

「そうか」


 頷き、リュースが歩き出そうとすると、「ふざけるなっ」と怒鳴り声がした。アレフィオスの後ろに控えていた警護長が、表情こそないものの、全身を震わせ怒りを顕にしている。


「貴様、なにを考えているッ」


 びしりとリュースを指差し、ガシャガシャ足音を鳴らしながら詰め寄ってくるその姿がなんとなく滑稽に見えて、リュースはふっと笑った。


「なにがおかしい!?」

「いや……中身空っぽなんだよなと思ったらな。中に誰か入ったらどうなるんだ?」

「んんっ? いや……試したことがないから分からんが……いやいやいや。そうではなくっ」


 警護長が、慌てて両手をぶんぶんと振る。気を取り直そうとしているのだろう。二、三度咳払いのような仕草をすると、改めてリュースと、その後ろでそ知らぬ顔をしていたアーティエとを指差した。


「魔王様に無断で、人間を二人も連れ込むなど、一体なにを考えているんだっ。しかも、連れは勇者だと言うじゃないかッ!」

「仕方ねぇだろ。あのままじゃ、特に男の方は、瘴気に冒されて手遅れになりそうだったからな」


 頭を掻きながら答えるリュースに、警護長が「そんなことっ」と吐き捨てる。


「そのための森だ。人間がどうなろうと、我らには関係ない!」

「そりゃそうだろうが」


 一応俺は人間だから、と言いかけるも、ふと脇腹の傷に触れ、口を閉ざす。代わりに、「考えはあるんだ」と軽く手を振ってみせた。


「男の方を、王室派遣勇者は『殿下』と呼んでいた。ってことは、奴は王族の一員なんだろう」

「それがどうした。人間の社会で身分があろうと、我らにとっては塵芥田も同じだ」


 ブレのない警護長の言葉に、リュースはいい加減、面倒さを覚えながらも、言葉を続ける。


「だが人間にとっちゃ、そんだけ価値のある立場なんだよ。ってことはだ、俺らにとっても利用価値がある」

「利用価値、ですか?」


 首を傾げるアレフィオスに、リュースは頷いてみせた。


「奴らは、なんらかの目的をもって森に入ってきた。直接聞いたわけじゃないが、王族が王室派遣勇者を直々に連れてくるくらいだ。なにかあんだろ。それがもし、俺らにとって不利益なものだとしたら、治療の恩を着せるなり、男を人質にとるなりして、交渉ができる。だろ?」


 「なるほど」と素直に頷いてみせる魔王とは反対に、警護長は険悪な声音を崩さなかった。リュースとアーティエに突きつけた指を動かさないまま、「ふん」と唸る。


「貴様らがたとえなにを企んでいようと、魔王様に仇なすことだけは許さんからな。少なくとも、この目が黒いうちはなっ」

「黒いうちもなにも、おまえ目ねぇし、たまに光っても赤いじゃねぇか」


 ぽつりと呟くリュースの突っ込みなぞ無視し、警護長はアレフィオスを促して去っていった。アレフィオスは、こちらと警護長とをちらちら見比べながら、慌てた様子でその後を追っていく。


 小さくなっていくその後ろ姿を見送り、リュースは息を一つ、深く吐いた。


「全く……」

「僕まで嫌われたものだねぇ」


 へらりと笑うアーティエを、軽く睨みやる。それで、アーティエの顔に変化が起こるわけもなかったが。


「おまえ、エリシアにも嫌われたみたいだぞ。一体なにしやがった」

「悲しいなぁ。城につく前は、あんなに仲良くお喋りしていたっていうのに」


 たいして残念そうな様子でもなく、軽い口調で言ってのけるアーティエを、リュースは無視することに決めた。黙って、アレフィオスらとは反対方向に歩き出す。


「彼らのところに行くのかい?」


 ひょいと後をついてくるアーティエに、「見れば分かるだろ」とだけ返す。向かった先は、医務室だった。


「ドクター」

「遅いわよぉ。まったく、面倒ごとばかり持ち込んでぇ」


 人差し指を立てながら口を尖らせるドクターの側には、人間の男が一人、横になっていた。

 金色の髪は波打ち、白いベッドに広がっている。青年にしては線が細く、色も白い。顔はなお一層青白く、エリシアが倒れたときの状態と似ている。


 急変する心配はないのか、ドクターバトンタッチとでも言うように、リュースの肩を軽く叩くと、奥へと引っ込んで行った。叩かれた場所を自分で軽く叩き直しながら、ベッドに向き直る。


「そんで、なんでわざわざ王族が、こんなとこに来たんだ?」


 問いかけは、男の奥に座っている女に対してしたものだった。褐色の肌は顔色を見辛いが、少なくとも寝ている男よりはましなようだ。椅子の上で膝を抱え、器用にバランスをとっており、やや眠たげな緑色の目は、じっと男へと向けられている。


 彼女はリュースらを見もせずに、「たいしたことじゃないです」と言った。小虫でも払うような仕草をしながら、眉一つ動かさずに。


「馬鹿な殿下が、馬鹿な思いつきをして、それにお伴しているだけの話です。あなたがたがおそらく思っているような、大それた理由なんてないです」

「なら、その馬鹿な思いつきっていうのを聞かせてほしいんだが?」


 男の寝ているベッドに歩み寄りながら訊ねると、女は幼さの残る顔を少しだけしかめ、膝を抱える手に力がこもる。


「――あなたは、魔王のなんなのですか?」


 反対に問われ、リュースは足を止めた。やや上目遣いに、じっと見つめられている。その視線の強さに、誤魔化しは許されないのが伝わってきた。


「……俺は、魔王に雇われた人間だ」

「雇われた?」


 両手を挙げたリュースが言うなり、女は頓狂な声で繰り返す。


「あなた、人間じゃないんですか?」

「それを言うなら、おまえだってこの国の人間じゃねぇのに、王族に雇われてるんじゃねぇのか?」


 言いながら、リュースは挙げた右手で、自分の首もとを軽く叩いてみせた。


「その肌の色。西の民族だろ?」

「……」


 女は答えなかった。つと目を細め、襟ぐりの中に手を入れる。豊満な胸元を探ったかと思うと、腕を抜きざまに返し手で、なにかを投げつけてきた。


「……っ」


 それはリュースの顔のすぐ横を、風切り音と共に通り過ぎていき、後ろで壁に寄りかかっていたアーティエの横に突き刺さった。刀身の黒い、小さなナイフだ。投げつけられたアーティエは、きょとんとした後、小さく苦笑し、改めて壁に寄りかかった。


「その人は?」

「……あいつは、俺にもよーわからん」


 半分以上本気の言葉だったが、女はいぶかしげに首を傾げる。だがそれも無視していると、どうでも良いと判断したのだろう――女は少し力を抜き、椅子の背もたれに寄りかかった。


「西の人間のことまで知ってるなんて、あなた、見た目によらず物知りですね? この国の人達は、自国のこと以外ほとんど知りもしないのに」

「ソーディアは割りと豊かな国だからな。敢えて危ない外に興味を向けるヤツは、物好きってことなんだろ。俺だって、冒険者やってるからこそ、ちょいと知ってるだけだ」


 そんな閉じた国では、明らかな「よそ者」は不当な扱いを受けるのが常だ。しかし、彼女を見る限り、王族に遣えているくらいだ。恵まれている部類なのだろう――そんなリュースの思考を、視線から読み取ったかのように、女はふと笑った。かえって、リュースを見下すような、そんな高慢な色を浮かべて。


「悪いですけど、自分の過去を初対面の相手に語るほど、安くはないですよ?」

「うん。シオのことは、安くは売れんな」


 唐突に割って入った声に、さすがにリュースはぎょっとした。ベッド上の男が、ぱちりと目を開けている。女――シオンは動じた様子もなく、平然と男に声をかけた。


「殿下。もう大丈夫なんですか?」

「うん。まぁ、大丈夫と言えば大丈夫だし、頭がぐらぐらして吐き気が込み上げてきて身体を起こすのが億劫だと言えば、まぁその通りな感じだ」

「全然駄目じゃねぇか」


 思わず突っ込みを入れると、そんなリュースを男はじっと見つめてきた。


「……なんだよ」

「うん。なんで平民がここにいるのかと思ってな。と言うより、ここはどこだ。ボクらは森にいたのではなかったか?」


 最後の言葉は、シオンに向けてのものだった。シオンは肩を竦め、「わたしたち、誘拐されちゃったんですよ」と、軽い口調でのたまった。


「誘拐か。と言うことは、ボクらはこれから、この人相の悪い平民に売られるわけだな。シオもとうとう夜の蝶になるわけか」

「やっぱり、わたしはそっち系なんですか?」

「うむ。良い武器を持っているわけだしな。なにより、この男の人相からすると、真っ当な奉公先とはならなさそうだ。きっとボクも、美少年クラブ的な店に高値で売買されるに相違あるまい」

「なんで後半、ちょっと自信ありげな発言なんですか図々しくないですか」


 まだ紙のような顔色の男が、意外にも元気そうに発言するのに対し、シオンは少し嫌そうな顔を作ってみせる。だが、男はそれこそ心外だとでも言うように軽く首を振った。


「当然だろう。歴代の後宮の血を脈々と受け継いできた父上と、その後宮で一番と称される母上から生まれたボクが、美しくないわけがないだろう」

「あー……あんたら」


 頭を掻きながらリュースが声をかけると、男は「あぁ」と視線をリュースに向けた。


「自己紹介がまだだったな誘拐犯とやら。ボクはソーディア王国第一王子、エネト・イスナ・ナディ・ソーディアだ。普段なら平民と話すことなんて、まずないのだがな。光栄に思って良いぞ」

「はぁ……」


 少し気が遠くなるような気分で、相槌だけ打っておく。正直、身分がどうというよりも、これだけ顔色が悪くてよく舌が回るものだと、そちらの方が驚きではある。


「俺はリュース・ディソルダーだ。あー、そんで……さっき、そっちの女にも訊いたんだが、あんたらがわざわざこんなとこまて来た理由を、教えてもらおうと思ってな」

「こんなところと言うが、一体ここはどこなんだ? ボクらは、誘拐されてきたんだろう?」


 リュースの質問に対し、何故かシオンに訊き直すエネトに、シオンが耳打ちするように顔を近づける。


「ここは、魔王城です殿下。森でバテちゃったわたしたちを、この人が魔物に仕向けて無理矢理拐ってここまで連れてきたんです。それで、得体の知れない薬とか飲まされて、現在に至ります」

「おおよそその通りなんだが、こちらの善意が全く伝わってないことはよく分かった」


 難しい顔で唸るが、それは全く無視された。


「そう言えば、ノアはどうした?」

「ノア様は、この男と交戦していて、あともう少しだったんですけど……」


 そこでようやく、エネトはリュースに関心の目を向けた。少し驚いたように目を見開き、リュースの顔を見る。


「ほう、ノアを退けるとはなかなかやるな」

「その、お宅の〈剣聖〉さんのことで相談があるんだけどな」


 ようやく軌道に戻りそうな会話に、リュースはそっと息をついた。


「〈剣聖〉さんに森で暴れられると、こっちとしては当然困るわけでな。そんで、あんたらの目的がなんだかは知らねぇが、できることならこっちでも協力してやるから、穏便にさっさと帰って欲しいわけだ」

「なるほど、そのために恩を売ろうと、ボクらを助けたわけか。浅ましい平民の考えそうなことだ」


 うんうん、と悪びれもせず一人頷くエネトに、リュースは苛立ちを募らせながら、しかしそれを圧し殺すように声を震わせる。


「そうなんだよ浅ましい平民だからその程度しか思い浮かばなくて、高貴な身分の方々には申し訳ないなぁっ?」

「よい、よい。そう恥ずかしげもなく浅慮を働かせることができるのは、むしろ才能だ。下級身分の特権とも言える」

「そりゃぁありがたいことでっ!?」


 地団駄を踏むリュースを、エネトは妙に生暖かな目で見ると、うむうむと一人納得したように頷いた。


「しかし、ノアには確かに苦労するだろうな。ヤツが〈剣聖〉であるというのは、なにもただの肩書きではない」

「……? どういうことだ」


 シオンも初耳なのか、リュースと一緒になって首を傾げる。それに気を良くしたように、エネトはまた一つ頷いた。


「そのままの話だ。ヤツは……と言うか、ヤツの祖先である初代エヴァンス卿は、神と契った男でな。それから続くエヴァンス姓は、多かれ少なかれ、神の血を継ぐと言う。ノアはその中でも、強い先祖帰りが現れた神童だと、昔から言われており、だからこそ女だてらに王室派遣勇者にまで任命されたというわけだ」

「神の……血」


 確かに、森で退治した彼女は、人間離れした動きと――なによりも、あの異常な森の中であっても崩れない高貴さを見せていた。シオンの呑気な声が続く。


「あー、だからノア様は、森でもピンピンなさってたんですねぇ。なんかこう、神様パワー的な」

「普通の人間と違って、陽の気が強いってわけだね」


 不意に、苦笑気味の声が割って入り、皆がそっちを見た。リュースもちらりと見、「なるほど」と呟く。


「つまり、あの女は全身、おまえが森でエリシアに渡した石みたいなもんだってわけか」

「随分と雑な解釈だけどね。まあ、だけどそう遠からずって感じだと思うよ」


 壁に寄りかかったままだったアーティエが笑い、一歩リュースらの方へ近づいた。


「誰だ、ヤツは」

「さぁ、よく分からないヒトだそうですよ」


 首を傾げるエネトに、シオンがリュースの言葉をほとんどそのまま伝える。全く答えにはなっていないと、リュースは我ながら思わないでもなかったが。


「しかし、エネト殿下。今の〈剣聖〉にまつわる神話は、巷には流布されていないものですね?」

「よく分かるな。吟遊詩人か」


 首だけそちらに向けて、楽しそうにエネトが笑う。


「察しの通り、これは城の地下にある、禁書の類いに書かれていた神話だ。あまりに、エヴァンス家の格式が高くなっても、正統な王家にとって具合がよくないと、大昔にでも判断されたんだろう。いわゆる、ここだけの話、というヤツだ」

「ナイショの話なんですね」


 うんうん、と素直にシオンが頷いてみせる。それを聞き、リュースは肩をこけさせた。


「よく、そんな秘密をこんなとこで喋るな」

「なぁに。秘密とはそういうものだ。それに、貴様らがピーチクパーチク外で口走ったところで、今の王家にとっては痛痒にもならん」


 白い顔色のままカラカラと笑ったかと思うと、「さて」とやや声に疲れを滲ませながら、エネトは改めてリュースを見た。


「それで、取引だったな? ボクらの目的が知りたいと」

「あぁ」


 頷くと、エネトは「それはだな」と極軽い口振りで告げた。


「魔王の持つ、永遠の命の秘密を探るために、ここまで来たんだ」


 その言葉は、少なからずリュースに違和感を覚えさせた。思わず、おうむ返しに訊き返す。


「魔王の持つ……永遠の命、だ?」

「そうだ。なにか、知っているか?」


 そう言われても、あの軟弱魔王に永遠の命があるなどと、にわかには想像しがたい。大昔から生きているのにも関わらず、あんな性格だというのも嫌だし、なにより永遠の命などというものがあるならば、あんな風に四方八方に向かってへたれた具合を見せる必要などないではないか。恐れるものなど、なにもないはずだ。


「そもそもなんで、魔王に永遠の命があるって、そういうことになったんだ?」

「過去の神話や文献を調べてな。永遠の命か、それに類するなにかがあるのではと、そう思ったのだが」


 エネトは、あくまで自信ありげな態度だ。


「神話、ねぇ……」


 眉に唾をつけるべき話ではあるが、確かに先程、〈剣聖〉の話を聞かされたばかりの身としては、完全に信じられないと一蹴することもできない。


「あー……んじゃ、俺がアレフィオス……魔王のヤツに訊いてきてやるから。あんたらはまだ休む必要があるし、ここにいろ」


 リュースが言うと、「うん」と素直にエネトが頷く。


「宜しく頼む。ところで、食事は供給されるのか? 魔王の城の食事というものを、一度味わってみたいのだが」

「えー……それ、おっかなくないですか? ゲテモノとか出てきたら、わたしちょっとぉ……」


 わいわいと言い合い始めた客人二人に「分かった、分かった」と答える。


「そいつも訊いといてやるから。大人しくしてろ」


 言い置き、リュースは一人、医務室を出た。中に比べてやけに静かな廊下で、ふと思いが過る。


「神の血……ねぇ」


 そんなものでもなければ、あの陰の気に満ちた森では、人間は活動し続けられない。

 だが。


「……くそっ」


 最早、痛みさえ感じない脇腹を軽く叩き、リュースは廊下を歩き出した。

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