第十三話 王子の暇つぶし

 馬車の旅は、概ね平和であった。食事をいちいち立ち寄った町や村で賄ったり、多すぎる馬車を停める場所に困ったりなど、些少の不便はあったが、それはまあ想定内である。


 エネトたちも、旅には概ね満足している様子だった。途中、王都くらいでしか食べられないようなものをねだったり――北方でしか飼育されないヤム山羊のミルクで作ったチーズなど、街道の小さな食堂でごねられても困る――、農村の質素な食事に文句をつけたりということはあったが――「鳥の餌が混ざっているぞ」と雑穀の粥を前に大声を出したときには、店主への言い訳に苦労した――、まぁそれも想定内と言えば、想定内だった。


 だがそのために多少の足留めをくらうはめになり、日程は少し遅れがちだった。そして遅れたぶんだけ、時間をもてあましたエネトが、また妙なことを思いつく。


「どこかに、悪人はいないのか」


 窓の外を眺めながら、鼻唄まじりにそんなことを言い出したのは、間際の森まであと一日というところでだった。


「やはりな。王家の一員ともあろう者、民草の役に立たんとな。民は王室に尽くすが、王室は民のためにこそあるものだからな」

「それは立派なお心がけです」


 ノアは心からその言葉に頷き、そしてまた心から、先程の不穏な言葉は流されてくれないものかと願った。しかし、エネトは続ける。


「その、王室にとっても大切な民をだな、虐げる悪人があれば、それは退治するのが道理であろう」

「そういうことは、殿下が直接手を下されませんでも、国中の騎士団が日夜任務に励んでおりますので」

「おい、シオ。ノアはボクを、物知らずの馬鹿だと思っているようだぞ。騎士団の任命権と統率権が、いったい誰にあると思っているのか」

「違いますよー。ノア様は、殿下のことを『物知らずの馬鹿』じゃなくて、『余計な問題を起こしそうな馬鹿』だと思ってるだけですよー」


 フォローなのかそうでないのか、よく分からないことをシオンが告げるのに、ノアは頭を抱えた。


「殿下を馬鹿だなどと、そんなこと」

「『余計な問題を起こしそう』だとは思っているのだな? 正直者め」


 エネトがからからと笑い、再び外を見る。


「安心しろ。ボク自ら、戦おうとするわけないだろう? ショーを見物できれば、それで満足だ」


 つまりは、ノアやシオンが悪人と戦う様を、高みの見物で楽しみたいと、そういうわけか。


「まぁまぁノア様。ここは街中じゃないですし。殿下の眼鏡にかなうような悪人も、そうそういませんよ」


 シオンが呑気に言うのを聞いて、「確かに」とは思う。もしここが街道でなく街中だったなら、エネトのことだ、通りを行く老若男女に難癖をつけ、悪人にしてしまいかねない。


 その幸運に感謝し、間際の村につく前に、エネトの中でブームが終わることを祈るばかりだ。


 しかし。


「お。あれはなかなかの悪人面じゃないか?」


 それから然程もしないうちに、窓の外を見ていたエネトが嬉々として言う。


「おまえらも見てみろ」

「はぁ……」


 気が進まないノアより先に、シオンが身を乗り出して外を見る。


「あらー。ほんと、確かに悪そーな顔」


 あっさりと認めるシオンの言葉に、エネトが「そうだろう」と鼻を高くする。シオンは窓から離れると、さも当然な仕草でノアに場所を譲ってきた。仕方なく、ノアも窓を覗く。


「……あれですか」


 二人が言っていることは、見ればすぐに分かった。旅装の男が二人、こちらに向かって歩いてくる。そのうち一人はスキンヘッドで、腰には剣を帯びていた。


「まぁ……確かに、人相は宜しくありませんが」

「なにを言ってる。人間、見た目で判断されるのは周知のこと。それを、あんな見るからに悪そうなスキンヘッドにしているなど、そう見られたいからであろう」

「極端ですねぇ」


 呑気に笑いながら、シオンが狭い馬車の中で伸びをする。


「シオン……?」

「まぁ、少なくとも武器は持ってる相手みたいですし。捨て置いて、殿下にあとでうるさくされてもめんどくさいんで、わたしちょっと行ってきますよ。あ、馬車は離れたところに停めといてくださいね」


 言うなり、シオンは乗車席の扉を開け、ひょいと軽率な動作で飛び降りた。


「シオン!」


 ノアが慌てて扉から顔を出すと、シオンは片膝をつき、無事着地したところだった。ノアたちの馬車を後追いしている他の馬車が、その後ろを通り過ぎ、砂煙を上げるのに噎せ込みながら立ち上がるのが見える。


「おもしろい。見えやすいところで停めさせろ」

「殿下」


 さすがに嗜めるつもりで呼ぶが、エネトは正にどこ吹く風だ。「心配あるまいよ」と笑い、開いた扉からシオンたちの方を見つめてる。


「奴はあれで、なかなかやるもんだ」

「それは……存じておりますが」


 スキンヘッドの男らは、目を見開いてシオンを見ていた。走る馬車から、女が飛び降りたのだから当然だ。


 馭者が馬車を、道の端に停める。エネトは降りもせず、にやにやと様子を見つめている。エネトを一人にするわけにもいかず、ノアもその場から成り行きを見守る。


 最初に仕掛けたのはシオンだった。ここまでやりとりが聞こえる訳もなかったが、それにしても何か会話を交わしたようにも見えないまま、シオンは深いスリットからすらりとした脚を覗かせて、大股で男らに駆け寄る。


 男らが、明らかに動揺した顔を見せる。シオンはナイフよりも更に短い暗器を、太もものガーターベルトから両手にそれぞれ取り出すと、スピードを緩めることなく男らに肉薄した。


 反応したのは、スキンヘッドだった。剣を抜き、寸のところで、顔面に向かって迫る暗器を弾く。


「な――にすんだ急に、この女ぁッ」


 スキンヘッドの怒鳴り声が、かすかに届く。それに、シオンがなんと答えたかまでは聞こえないが――普段の彼女の言動から、大体、想像はついた。


『恨むなら、その悪人顔と髪型を恨んでくださいね』


 そのまま予備動作なしに、男の顎を蹴りあげる。最小限の動きで敵を打ち倒す戦法は、彼女の得意とするところだ。「アニキっ!」と、スキンヘッドの連れが叫ぶ。


 平衡感覚を失い、地に伏せたスキンヘッドに、シオンがなにかを話しかけている。それに対して、連れが腕をじたじたさせながら言い返し――やがて、静かになったところで、シオンがくるりとこっちを向いた。

 頭の上で腕をクロスし、バッテンを作る。


『悪人っていうのは勘違いでしたー』


 そんな気の抜けた笑顔に、ノアは肩を落とし、エネトは満足げに笑った。




 エネトの娯楽の被害にあったのは、間際の村からやってきたという、冒険者二人だった。


「間際の村には騎士団が設置されてないので、隣町まで行くところだったんです」


 二人はエネトらの身分を知ると、あっさりかしこまって平伏した。スキンヘッドは顎が腫れ上がり、痛々しいものの、いかにも慣れない口調ながら丁寧に続ける。


 「部下が勘違いをしすまなかったな」と、非をあっさりシオンに押しつけながら、エネトは笑った。


「それで。騎士団に、なんの用だ」

「それが……酒場の主人から、頼まれごとがありまして」


 躊躇いつつ、スキンヘッドがバンダナを巻いた連れを促す。バンダナが鞄から取り出したのは、一枚の紙だった。

 走り書きのような文面に、署名。ノアはそれを受け取ると眉を寄せた。


「『ごめんなさい。逃げます。探さないでください』……なんだこれは。〈東の魔王〉、だと?」


 呻くようなその声に、スキンヘッドが大きな身体を小さくする。


「実は……先日、店の中に落ちてたのを、酒場の店主が見つけたらしくて」

「いたずらじゃないんですかぁ?」


 もっともなことを、シオンが言う。


「魔王の手紙が……しかも、よりによってこんな内容のが、人間の村の酒場にあるなんて、おかしすぎですよ」

「まぁな」


 まったく、といった調子でノアも頷いた。手紙の内容自体おかしいものであり、落ちていた場所を考えれば眉唾も良いところである。


「それで、こんな不確かなものを、わざわざ隣町の騎士団まで?」


 声に呆れが含まれてしまったが、仕方あるまい。あまり隠そうともせず、ノアが確認すると、スキンヘッドは眉を寄せた。

 こちらへの不満か――と思えば、違うらしい。彼自身、首を傾げながら口を開く。


「酒場の店主が言うにはどうも、村を拓く際に、王家との約定があったそうで……魔王のことでなにかあれば、些細なことでもきちんと報告するようにと。そもそも、魔王の監視が、あの村が拓かれた元々の目的なんだそうで」


 おそらく、まだ魔王や魔物退治の気運が、今より盛んだった頃の話なのだろう。エネトをちらりと見ると、例の手紙をにやにやと眺めている。


 スキンヘッドは続けた。


「俺らとしても、そんな馬鹿みたいないたずらくらいほっとけと、そう思うんですがね。実は、瘴気の森に出る魔物に、実際異変がありまして」

「異変、ですか?」


 豊満な胸を支えるように腕を組んだシオンが、ちょこんと首を傾げる。打ち倒されておきながら、その仕草に呆けた顔で見とれていたスキンヘッドは、ハッとすると慌てて「はいっ」と頷いた。


「つい先日、森に入ったのですが、魔物の挙動がいつもと違い……。おかしいと思い撤退したんですが、村で話をしていると、同じ目にあった冒険者が何人もいて。みな、長年森に入っているベテランたちで、口をそろえておかしいと言うものだから、やはりなにかあったのかと……」

「挙動がおかしいと言うのは?」

「はぁ……戦い方が、別物みたいになっていて……簡単に言えば、強くなっているような、そんな感じで」

「強く……な」


 馬鹿馬鹿しいとは思うものの、現場で長年戦ってきた者たちが言っているのだとしたら、むげにはできない。いたずらのような手紙とどう関係あるのかは分からないが、なにかが起こっているのは確かなのだろう。


「……殿下。私が行って、調べて参ります。殿下たちは前の町に戻り、騎士団でお待ちください」


 ノアが頭を下げると、エネトの呆れ声が降ってきた。手紙をぺらぺらともてあそびながら、顔はにやりと笑っている。


「なにを言うか。ここまで来ておいて引き返すなど、選択肢にあるわけないだろう」

「しかし……魔物たちが強力化しているのだとしたら、危険です。それに、その手紙が本物ならば、そもそも魔王は城にいないということになります。だとしたら、殿下の目的も……」

「手紙は本物かもしれんし、偽物かもしれん。魔王が城にいなかったとしても、結局近くまでいかねば、なにも分からん。そもそも、魔王の城目指して来ておいて、危険もなにも今更だろう」


 それは確かにその通りで、ノアはぐっと言葉に詰まる。やれやれ、と首を振るのはシオンだ。


「ノア様、無理ですよー。殿下がワガママ言い始めたら、人の話なんて聞くわけないですし」


 「その通り」と、ワガママをあっさり認めてエネトがのたまう。


「魔王の失踪に、魔物の強化。下手したら、クーデターでも起こっているのかもしれん。便乗して、我らが城をのっとる隙すら、あるやもしれんぞ」

「それは……どうでしょうか」


 苦い顔で唸りながら、ノアは最早あきらめていた。平伏する冒険者たちも顔を見合わせ、戸惑った顔をしている。


 目的地の方向を見やると、思いの外、澄んだ青空が広がっており、ノアは旅の中で癖になりつつある溜め息を、また一つついた。

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