第十二話 傷跡の記憶
「赦されるわけないでしょう」
男の声は静かだったが、しかし沸点間際の熱をぎりぎり保っているに過ぎないようだった。
「よりによって、人間になんて……そんな、なんで」
顔立ちの整った男の顔は、くしゃりと歪められていた。悲しみ、苛立ち、衝撃――様々な感情が、その寄せられた眉に、歪められた口元に、表れている。
「ごめん」
謝罪は、心の底からのものだった。一瞬、その目を輝かせる彼に、しかし期待はずれであろう言葉を投げる。
「それでも、私は……あの二人のそばにいたいんだ」
男はますます顔を歪ませて、思いきり顔を横に振った。まるで幼子のようなその様に、心の奥底をちくりと刺される。
「あなたは……あなたは自分の立場を分かってないッ」
「分かっているよ」
迷惑な話だろうが、彼には笑顔を覚えていてほしかった。場違いだと分かっていても、馬鹿みたいに笑って、決別となる想いを告げる。
「それでも、どうしようもないんだ。あの二人が、今の私には、全てだから」
リュースはハッと目を開いた。開け放した窓からは、冷たい風と淡い月の光が入り込んでいる。柔らかな寝台から、暗くかげった天井を見つめ、わずかに速い呼吸音を他人事のように聞く。
ここ数日、無意識に握りしめるのが癖になっていた石は、ほんのりと温かい。肺の中の空気を深く吐ききり、リュースはぼんやりと呟いた。
「なんだ……? 今の、夢……」
手繰り寄せようとした記憶はあえなく霧散し。リュースはぼんやりと霧がかったような頭を抱えて、気づけばまた眠りに落ちていった。
※※※
朝食を終えたエリシアが広間を通りかかると、なにやら魔物たちがざわついていた。その群衆の中にアーティエの姿を見つけ、エリシアは「なにしてるの?」と野次馬心で声をかけた。
「エリシアさん」
振り返ったアーティエに名を呼ばれ、小さく首を傾げる。
「今日も、森で訓練の予定じゃなかった?」
「それが、昨日までの訓練で怪我した分の治療が、終わらないみたいで……。元々、リュースが怪我させた魔物もいたしね。それで、今日は一度お休みってことになったんだ。
その代わりに――あれ」
そう言って、アーティエが正面を示す。群れの前には、ぽかりと広い空間ができていた。
そこに、三つの人影がある。エリシアは爪先立ちになりながら、なんとかその姿を確認した。
「あれは……リュースと、警護長さんと、アレフさん」
「――いいかアレフ」
リュースが比較的、穏やかな声で語りかける。鎧も、武器も身につけておらす、身軽な格好をしている。更に言えば無防備だ。
さすがに、城に来て四日目にもなると、リュースに敵意を向ける者はいなくなってきたが、それにしても大丈夫なのかと、見ている身としては心配になる。
手首や足首を解しながら、リュースは口調を変えずに続けた。
「俺は、今からおまえを殺しにかかる」
「え……っ」
当然絶句する一同に、リュースは「心配すんな」と気楽に続けた。手のひらを振りながら、なにも持っていないのを確認させる。
「俺は無手だし、おまえの横には警護長がいる。まず、死ぬことはねぇさ。反撃だって、しても良い」
それはかえって、リュースの方が危ないのではないだろうか。エリシアが声をあげようとすると、隣にいたアーティエが人差し指を、唇に添えてきた。目が合うとにこりと微笑み、そのままなにも言わず、正面の三人に視線を戻す。
「まずは逃げ出さず、戦闘の場面に居続ける。それを課題にする。おまえ、五分計れ」
そう、一番手前に並んでいた魔物を指名すると、軽く構えた。「ひっ」と悲鳴をあげるアレフィオスに、警護長が「ご安心ください」と胸を叩く。
「魔王様には、指一本触れさせません。むしろ、あの生意気な鼻っ柱を折ってやりましょう」
「で、でもぉ……」
おずおずと反論しかけるアレフィオスに向かい、リュースは無言で踏み込む。
「魔王様!」
すかさず、警護長が前に出た。その前に、小さいが無数の槍が顕現し、リュースに向かって翔んでいく。
「一撃必殺の大手ではなく、小技の連撃から攻めろ――そうだったなぁ教官殿ッ?」
「よく覚えてたじゃねぇか、頭すっからかんにしちゃあ――よっ」
まるで雨のごとく、自分に向かって翔んでくる槍を、リュースは身のこなしのみで避けていく。身体を捻り、腕で払い、足で踏みつけ、しかしそれでも避けきれないものは無視し、着実に前へ進んでいく。
「リュースっ」
エリシアが叫ぶ。リュースの身体には、すでに無数の槍が掠り、あるいは刺さり、鮮血があちこちから流れ始めていた。
「警護長……!」
焦ったような声をアレフィオスが囁くが、もはや警護長には届いていない。
「まさかこれで終わるまいっ?」
「調子にのんなよガラクタぁッ」
警護長の発破に、リュースはにやりと笑い、脇腹に刺さった槍を抜いた。ぽかりと空いた穴から、どっと血が流れ出る。
「いや……っ止めて!」
慌てて近寄ろうとするも、魔物たちが壁になって前へ進めない。
「アーティエさん、なんとかしてッ」
八つ当たりぎみに声を荒げるが、返事はなかった。アーティエはにやにやと、ただじっと戦いを見守っている。
「アーティエ……さん?」
急な歓声が前方で起こり、エリシアは慌ててそちらを見た。脇腹から抜いた槍を盾代わりに振り回して、リュースがダッシュをかけた。
「くそっ」
警護長が、新たな槍を宙から現出させる。だが、それが放たれるより速く、槍を放ったリュースが強く地面を蹴った。警護長が笑う。
「前も言っただろうが――跳ねてるうさぎ程、狙いやすいとなッ」
槍の穂先が修正され、一斉に放たれる。
「いやぁっ!」
エリシアが思わず悲鳴をあげる。「リュースさんっ」と、アレフィオスの声が聞こえてきた。
だが。
宙にいるリュースはにやりと笑い、向かってきた槍が己に刺さる寸で、もう一段高く跳んだ。
「な……っ!?」
驚愕の声をあげる警護長の頭を、リュースのブーツが思いきり踏み抜く。警護長はバランスを崩し、更にはその頭の鎧が外れた。
着地をしたリュースが、息をきらしながら笑う。
「はん。いい加減、その面拝んでやるってんだ……あっ?」
ぎょっとした声があがり、その場がざわつく。首があるはずの場所には何もなく、鎧だけが虚しく転がっていた。
「くそ……やられたか」
警護長の声に、はっとそちらを見ると、兜がカタカタと動いている。声も、その兜からしたようだった。
「警護長は、生きた鎧――リビングメイルなんです」
ぽつりと呟くアレフィオスの声に、「なんだ」とリュースの力が抜ける。どおりで、常にフル装備なわけである。渋い紳士が入っているのを想像していたエリシアは、少しがっかりした。
「ほんとに、頭すっからかんだったんかよ……っと」
言いながら、リュースが軽くアレフィオスの頭に手刀をした。と言っても極軽いもので、魔王はきょとんとした目を向けた。
「……ま。俺も疲れたわ。逃げなかったし、今日は良しとしてやる」
そう、いかにも適当な口振りで話すリュースの顔色は、常より青白い。脇腹からは、勢いがゆるんだとは言え、まだ血が流れ出している。
「ど、ドクターを! あなた、医務室から連れてきてくださいっ」
アレフィオスが魔物の一人を指名すると、その魔物は慌てて医務室の方へと走り去って行った。
それを、呆然とエリシアが見ている間に、アーティエの顔が目の前にあった。水色の目に、エリシアの目がうつり込む。
「――エリシアさん」
名前を呼ばれる。「なに」と応える前に違和感を覚え、エリシアはそっと、頬に触れた。傷跡が痛い。温かい血が、そこから流れているような気がして、エリシアはぐっと、傷跡を押さえた。
前では、リュースが気を失ったらしい。行かないと――前へ足を踏み出しかけたところで、エリシアの視界は反転した。
冷たい。
普段は温かいはずの、その手のひらが。どうしようもなく冷たく、重く。ただぼんやりとそれを感じる。
頬が痛い。熱い。
「エリシア」
名前を呼ばれる。その声は泣いていて、でもエリシアには応えることができなかった。冷たい白い手のひらを、じっと見つめる。
「エリシア……俺、俺…………あ……っ」
泣いているのはリュースだ。同い歳だけど、エリシアより誕生日が遅く、背が少し小さい。エリシアの父の、いとこの息子。エリシアとはハトコ同士だ。
いつも乱暴で、喧嘩っぱやくて――そして、村の子どもたちによってたかっていじめられている。仕方がないから、エリシアは姉のような気持ちで、いつもリュースをかばっていた。その常にふてくされた態度に、内心では可愛くないと、そう思いつつ。
そのリュースが、泣いている。両手を真っ赤にして。いつも不機嫌そうな目を呆然と見開いて、ぼろぼろと涙をこぼしている。
「俺……俺……俺は…………っ!」
室内は紅い。絨毯も敷いていないのに、どうしてこんなに紅いのか。
考えてはいけない。
考えてはいけない。
――お願いだから、もう思い出させないで。
はっと気がつくと、目の前にはもう誰もいなかった。空になったホールに一人、取り残されているようだった。
エリシアはもう一度、頬に触れた。乾いた傷口に爪を立て、小さく唸る。
「いったい……なんだったの? 今の……」
※※※
「信じられない」
男が言う。深い緑色の瞳を震わせて、唇を戦慄かせている。
「………おまえたちのことも、もちろん大切だよ」
そう、男に呼びかける。それがなんの懺悔にも、穴埋めにもならないことは分かっていたが、それでも。たとえ余計に、男を傷つけてしまうのだとしても。
「でもね。ほんとうに、こればかりは、どうしようもないんだ。だって、これが運命なんだから」
悪いとも思っている。だが、それでもどうにもならないからこそ、どうしようもない運命なのだ。
「だから」と。願いごとができる立場ではないと、分かってはいるが。どうしても目の前の彼には言っておきたくて、黄金色の目をにこりと微笑ませ、首から下げた石を握りしめた。
顔をあげて、笑みを深くする。
「だから。いつか、あの子に会っておくれ。本当に、可愛い子なんだ」
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