第九話 だから「魔王」ってなんだ

 ソーディア王国王都から、国の東端にある間際の村までは、馬車でおよそ四日だ。クッションが敷き詰められた乗車席で、ノアは今後の行程に思いを馳せた。


 窓の外は、ゆっくりと景色が流れていく。王都は平原にあるため、広い草海原が遥かまで見える。先程、ようやく都を出たところだ。道もまだ、綺麗に舗装されている。


(お忍び……とは、言ってもな)


 視線を、向かいに座るエネトとシオンに向け直す。城では華美な装いの彼らも、常に比べれば簡素な装いになっている。


 エネトはベージュのズボンと長袖の白いシャツに、薄手のカーキ色のベスト、その上には少し厚手の茶色い上着を羽織っていた。

 一方シオンは、長い黒髪を頭の高いところで、一つの団子にしている。少しゆったりとした袖のシャツはやはり白で、黒いベストを着ていた。胸元がきつく、それが腰の細さを強調している。皮のスカートは脛まであり、左右には動きやすいよう、深めのスリットが入っていて、ときおり隙間から、健康的な太ももがのぞいていた。


 かく言うノアは、ほとんどエネトと似た服装だ。違うのは色くらいなものである。貴人の一般的な旅装であるから、仕方ないと言えば仕方がない。


 この馬車に乗っているのは、ノアとエネト、シオ、そして馭者である。

 あえて、王家の紋章が入らない馬車を選んだ。今回の旅は、あくまでエネト個人による、非公式の旅であるためだ。


 だが。


 馬車が走る街道。その端には、旅人や商人たちがひれ伏していた。その様子が、窓からもよく見えた。


 確かに、王家の紋章こそないが、それでもかなり立派な設えの馬車である。一般市民が使う乗り合い馬車とは、まるで違う。


 そしてなにより、馬車の後ろには、更に五台の馬車が連なっていた。全て、エネトの私物と、エネトが連れてきた使用人のためのものである。出かけにこれらを見たときには、さすがにノアもなにか言うべきかと迷った。だが、当然のように「荷が多いと邪魔だと思ってな。かなり減らしたのだが、これだとかえって足りないか?」などと先に訊かれてしまい、もはや「充分です」としか言えなかった。


 この行列では、誰から見ても「やたら偉い身分一行のお出かけ」だろう。平伏する民たちを見て、ノアはそれ以上考えるのを止めにした。


「どうした。もう馬車酔いか?」


 なんとなくこちらの気配を察したのだろう、エネトが笑いながら訊いてくる。意外にも、馬車旅には慣れた様子だ。だがよく考えれば、当然のことだ。第一王子であるエネトは、父親である国王の名代として派遣されることが多い。特に最近は、国内だけでなく、隣国や同盟国への公式訪問も増えているという。それに随伴するシオンも然りだ。

 少し気を取り直し、ノアは軽く首を振った。


「いえ。それより、殿下。今後の道程ですが」

「必要ない」


 懐から地図を取り出そうとするノアに、エネトがそっけなく言う。なにを言うのか、とノアは思わず固まった。


「面倒なことは、おまえや馭者に任せるさ。どうせ魔物が増えるのは、瘴気の森に近くなってからだろう?」

「魔物が増えるのは、そうですが」


 道中の危険は、むしろそれ以外の割合の方が高い。これだけ立派な馬車一行だと、山賊に狙われやすい。野生動物という危険もある。また、食事の問題もある。ここから間際の村に着くまでの間、いくら多目に食料を持ってきていたとしても、無計画に消費するのはいただけない。なにせ、エネトが連れてきた使用人の分まで、考えなければならないのだ。


「せめて、食料の分配だけでも」

「食料なんぞ持ってきていないぞ。ボクたちは」

「は……?」


 考えもしていなかった答えに、ノアは我ながらおかしな音の声をあげた。そんなノアを見て、エネトが笑みを浮かべながら「やれやれ」と首を振った。ここから見えるわけもないが、後ろを走る馬車があるはずの方に、視線だけを向ける。


「一台はボクの身支度、もう一台は使用人たち、更にもう一台には使用人たちの荷物が入っている。残りの二台は空だが、中身は寝室用に設えた特製馬車だ。食料など入る隙間はない」

「そんな」


 長距離の旅に出るにあたり、本来まず必要になってくるのは食料だ。それを、あれだけ余計なものを持ってきておいて、食料を省くとは。いったい、なにを考えているのか。


「殿下は、旅先の物を食べたいのだそうで」


 ノアの内心に答えてくれたのは、シオンだった。どうしようもないものを見る目で、自分の主をねめつけている。当のエネトには、全く届いていないようだが。


「現地のもの、ですか」

「そうだ。領内に国庫の金を落としてやるのも、王室の務めだからな」

「それはよく分かんないですけど、ご当地グルメに心引かれるものは、確かにあるんですよねー」


 味方だと思っていたシオンまで、エネトに傾いた発言をしていることに、ノアはひっそりショックを受けた。二対一では、こちらの意見を押し通すわけにいかない。そもそも、王子であるエネトに、一介の貴族が本気で歯向かうなど、許されるわけもない。


 窓の外には、旅立ちにおあつらえむきな青空と、平伏する人々の姿が、どこまでも続いていた。



※※※



「うわぁ、すっごい!」


 目を輝かせながら、エリシアが歓声をあげる。両手の指を組み、そわそわと落ち着かずに、食堂内を見回した。


「気に入っていただけましたか?」


 エリシアの分かりやすいまでの喜びが嬉しいようで、訊ねるアレフィオスもまた、つられて笑顔を浮かべていた。


 五十人は収容できるであろう広い部屋には、四角いテーブルと円いテーブルとが、それぞれ数台ずつ並んでいる。

 そのうち、繊細なレースで飾りつけられた四角いテーブルには、料理の盛られた大皿が、所せましに置かれていた。そこに、城内に住む魔物たちが、それぞれ盆と小皿を持って並んでいる。


「パンもスープもお肉もデザートも……! どれも何種類も置かれてて、すっごい贅沢! あーもぅすごく良い匂いっ。どれ食べるか迷っちゃうなぁ」


 嬉しい悲鳴をあげながら、エリシアはさっそく魔物たちの列へと突撃していった。気後れする様子は、微塵も感じられない。リュースらも、それに続いた。


「よく分かんねぇけど、普通、城の食事ってのは、こういう感じとは違うんじゃねぇのか? 前に、依頼を受けて行った領主の城では、一人一人に料理が運ばれてきたぞ。領主は身内だけで、別室で食べてたしな」


 分厚いステーキをトングで取りながら、リュースが隣にいるアレフィオスに訊ねる。アレフィオスは慣れた手つきで、こぼさないよう、赤いスープをすくっていた。


「昔はそうだったんですけど。やっぱり、ごはんは皆でわいわい食べたいなと思いまして。そうなると、皆好きなものも違いますし。無理言ってお願いして、変えてもらったんです」


 ふぅん、とリュースは改めて、テーブル上の料理を見回した。確かに、美味であることが容易に想像できる料理が並ぶ反面、別のテーブルには、食べ物なのか疑わしいものが載っている皿もある。


 ふと、三皿隣にあるポトフが、リュースの視界に入った。柔らかに煮込まれた小さな丸キャベツと芋の隙間から、肉の腸詰めが顔をのぞかせている。鼻先を漂う、野菜の甘い香りが、リュースの食指を動かす。

 だが――同時に思い浮かぶ。これをよそって持っていった際の、それ見たことかというような、エリシアの反応が。想像上のエリシアに苛立ったリュースは、代わりに、その隣に置いてある、ミートソースのかかったパスタをよそった。


 料理をとりおわった者は順次、円いテーブル席に座っていく。盆に料理を一通り載せ終わったアレフィオスは、一つだけ席が空いているテーブルに呼ばれて行った。聞こえてくる話によると、どうやら、日によって座る席を変えているようだ。


 リュースはまだ誰も座っていないテーブルを選び、盆を置いて腰かけた。すると、すぐにエリシアがやってきて、「おなかへったー」と、当然のように隣に座った。


「おまえ、病み上がりのくせに、随分食欲あんだな」


 エリシアの盆には、丸パンが三つに、赤い豆のスープ、芋のサラダ、魚のフライにステーキ、具だくさんのキッシュ、白い瓜と小さな無数の赤い実が載っている。


 エリシアは胸を張り、「だからよ」とのたまった。その顔色は、休眠と薬のおかげか、だいぶ普段のものに近い。


「身体がすごく消耗してるから、栄養たくさんとりなさいって、お医者さんに言われたし! それによく考えたら、お昼食べそこなったしね。お腹ぺっこぺこー」


 確かに、エリシアは早々に気を失ってしまったため、リュースたちと一緒に、昼食をとらなかった。とは言っても、歩きながら携帯食をかじっただけではあったが。


「まぁそこまで小うるさく戻ったなら、あの医者もヤブじゃねぇってことか」


 感心するリュースに、しかしエリシアは不満の声をあげた。大きな目を鋭くし、じとりと睨みやってくる。


「ちょっと。小うるさいってなによ、小うるさいって」

「あぁ間違えたな。小うるさいじゃなくてクソうるせぇだな。もういっぺん、森ん中に戻って、ちょうど良いくらいに音量下げてこい」

「あぁっ! 病み上がりのお姉様に向かってなんてこと――」

「素直じゃないね、リュースも」


 そう言って、リュースらの前に皿を置いたのはアーティエだ。皿には、森で本人が好物だと言っていたように、瓜と赤い実が山程によそられている。と言うより、それしかない。


「偏食にも程があるだろおまえ……」

「僕にはこれで充分なんだよ」


 飄々と受け流し、銀色のフォークを果実に刺す。ぷつりと小さな音と共に、じわりと汁が溢れ出てきた。

 それを見てエリシアも食欲をそそられたのか、「いただきます」とパンに手をつける。まだ焼き立てのパンはいかにも柔らかそうで、半分に割られるとリュースの元にまで、香ばしい小麦の香りが漂ってきた。


 瓜と実を指して、同じものをとったアーティエに、エリシアが訊ねる。


「ねぇ、これって果物だよね? なんだか分かる?」

「こっちは、南方で収穫される甘瓜だね。普通の瓜と違って、名前の通り甘味と香りが強いんだ」

「へぇ。南のものなんだ。こっちも?」

「この実は、割りと北でも見られるよ。レッドベリーって言うんだけど、黒っぽいと甘味が強くなる。エリシアさんが持ってきたのは、ちょっと酸味が強そうだね」

「うわぁ……赤くて綺麗な方が美味しいかと思ったのに」


 リュースもまた、ナイフとフォークを取り、ステーキ肉を一口大に切った。なんの肉かまでは分からないが、表面の程よい焦げ目と、内側のほんのり桃色の焼け具合、そしてスパイスの香りに、食欲を刺激される。口の中に放れば、思ったよりも柔らかく、だが弾力もあり、噛む程に肉汁と旨味が口内にこぼれた。


「それは竜の肉だよ」


 正面から囁かれ、思わず吹き出しかける。


「な……ッ」

「冗談だよ。あんな人間以上に知的な種族を、魔物だって食べる程ゲテモノじゃないよ。たぶん、猪かそれの亜種じゃないかな」


 くすくすと笑うアーティエを、リュースはじろりと睨みつけ、改めて自分の皿を見た。見慣れた料理を選んだつもりだったが、この場所を考えれば、どれも怪しく見えてくる。


「それにしても、アレフさんて大人気なのね」


 パンをスープに浸しながら、エリシアがしみじみとした口調で呟く。視線の先にいるのは、もちろんアレフィオスだ。自分の料理にはほとんど手をつけず、話しかけてくる大勢の魔物たちに、逐一うんうんと頷いている。その表情は、リュースらといたときよりもずっと柔らかく、自然な笑顔であった。


「人気……っつーか、なぁ」


 そう言えば、エリシアは気を失っていたため、魔物たちによる円陣と万歳を見ていないのであったと、リュースは今更ながら思い出した。


 そんなリュースとエリシアの様子を見ながら、アーティエが「そういうものなんじゃないかな」と、気楽な調子で言った。フォークを刺し、次に口へ運ぶ甘瓜を準備などしながら。


「そういうもんって……なにがだ」

「だから、魔王が魔物に人気があるってこと。――そもそも、魔王ってなにかな」


 大きめに切られた、甘い香りのする瓜を一口で頬張るアーティエに、リュースは軽く眉を寄せた。


「なにって……そりゃ、魔物の王だろ」

「なら」


 口の中にはまだ瓜が入っているはずだが、それを全く感じさせない口の動きと声で、アーティエが続ける。フォークを、まるで杖かなにかのように振りながら。


「そのっていうのは、人間の王と、果たして同じかな?」 

「――」


 一瞬、なにを言われているのか理解ができなかった。頭の中で、問われた文を繰り返す。


「それって、魔物にとっての王と、人間にとっての王は、立場というか……定義が違うってこと?」


 エリシアが首を傾げるのに、アーティエが「話が早い」と嬉しそうに頷く。


「太古の話。混沌の主は、神と魔物を四柱ずつ作った。彼らは眷族を産み、そしてやがて、それぞれの種族の代表となる。それが、主要四神と、東西南北の魔王」

「つまり……他の魔物を産んだのは、魔王たちだってことか」

「えーっ? それって……アレフさんは、魔物たちにとって、お母さんってこと……!?」


 かなり衝撃を受けたようで、エリシアが頓狂な声で叫ぶ。幸い、周囲もうるさく大して目立ちはしなかったが、内容を考えると心臓に悪い。


(でもそういや、あいつペットの魔物どもに、「パパだよ」とかぬかしてたな……)


 そんなどうでも良いことを思い出してしまうくらい、少し頭が混乱していた。もしそれが文字通りの意味だとしたら、別の魔王が母親役なのかもしれない。随分と子だくさんなものだ、などと、どうにも思考回路が狂った感想しか浮かばなかった。


「どちらかというと、もっと高尚な存在だと、僕は思うけどね」


 笑いながら、アーティエが言う。声に、少し呆れのようなものを混ぜながら。


「産むっていうのは、つまりは創造主だってことさ。人間にとっての、神に近い」


 なるほど。つまり、あの盲目なまでの、魔王への忠義は、信仰心に近いというわけか。狂信者、というものかもしれない。


「ついでに言えば、人間や動植物は神だけじゃなく、魔王たちも手を貸して造ったことになっている。魔物たちによる被害とその性質から、いつの間にか人間からは、嫌われる対象になってしまったけどね」


 そこまで聞き、リュースはハッとした。なにを馬鹿なことを、と首を振り、スープを一口飲む。


 ただの昔話だ。神話だ。よくよく考えれば、あのへたれ魔王が、そんな太古からこれまで生き続けているとは、とうてい思えなかった。


「さすがは吟遊詩人ね。物知り」


 エリシアが拍手をすると、アーティエはまるで一曲披露したかのように、大仰なお辞儀をしてみせた。


 リュースはもう一口スープをすすった。自然と、視線がアレフィオスを探す。


「神話かぁ。あたし、あの話が好きだったな。世界を計ることができる天秤を持つ人の話」

「あぁ、〈調停者〉だね。どうして?」

「天秤の、片方のお皿に載せた物と同じ重さだけ、好きなものを出せるんだって。だから、あたし自分と同じくらいの重さのパイが食べたいなって、小さい頃思ってて……」


 他愛もない会話を背後に、アレフィオスと目が合う。その金色の目が、まるでなにもかも見透かしているような、そんな妄想を抱き、リュースは固まった。

 そんなリュースに、アレフィオスは変わらず遠慮がちな、情けない笑みを浮かべ、また魔物たちとの会話に戻っていった。

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