第八話 想い出すには遠く 語るには近くて

 覚えている。頭を撫でる手のひらを。その温もりを。


「君を愛している」


 抱き締められると、次第に身体の奥底から、熱くなってくるような気がした。泣くこともできなかった身体に、力が戻ってくる。


「だから大丈夫。私が、君を守ってみせる」


 覚えている。その言葉を。その温もりを。

 なにを忘れようとも、それだけは手放してはいけない。なのに。


 泣くほどに、流れる涙にのって、記憶がこぼれ落ちていく。


 覚えていたいのに。あなたのことを、ずっと。

 覚えていなきゃ、いけなかったのに。




※※※




 客室だと案内された部屋は、昨晩泊まった宿の、三人用客室と同じくらいの大きさだった。ただし、あてがわれたのは一人一室ずつであるため、やたらと広く感じる。


 ベッドに、エリシアを横たえる。天蓋がついているため、きっと起きたら驚くことだろう。浅い呼吸を繰り返す身体に、柔らかな毛布をかけてやり、ベッドの縁に腰をおろした。


「大丈夫なんだろうな?」

「せっかちな人間ね。それを、今から診るんじゃない」


 答えたのは、アレフィオスが寄越した医者だ。鮮やかな薄緑色をした長い髪を掻き上げ、形の良い唇を微笑みの形にして。髪には無数の、色とりどりの花を咲かせており、それがなんとも言えない良い香りを発している。

 更に言えば、筋肉質ながっしりとした身体を、妙にくねりとさせていた。大胸筋はあるが、女性のそれではなく、そもそも顔立ちも壮年の男のものだ。濃いめの。

 そして、腰から下は人間のそれではなく、触手のような、タコの足のような、とにかくそういった形状である。


「おっさん、人間を診たことあるのか?」

「ドクターとお呼び。人間なんて、診たことないに決まってるじゃない。あとおっさんじゃないわ。アタシ、性別なんてそもそもないもの。可愛いお花ちゃんだから」


 なるほど、触手だと思ったものは、木の根らしい。ドクターは、真っ白なエリシアの頬に触れると、次いで首もとに指をあて、更に服のボタンを開けて胸元を開いた。思わず、リュースは「おい」と声をかけたが、ドクターは太い人差し指を自分の口元に添えると、あらわになった胸元に、そっと耳をあてた。


「……うーん。体温の低下と、軽度の徐脈。呼吸に雑音はないわね」


 顔を上げ、エリシアのボタンをしめながら、「陰の気にすっかりあてられちゃったのね」と溜め息をつく。


「温かくしてあげて、とにかくゆっくり休ませてあげること。ここも、森の中ほどじゃないとは言え、人間の街に比べたら陰の気が強いから、あまり良い環境ではないのだけどね」


 言って、咲いている花の一つを千切ると、その中の種子を取りだし、エリシアの口の中に入れた。それからリュースの視線に気がつき、「もぉ」とまた髪を掻き上げる。


「陰の気にあてられると、身体のバランスが崩れるから、それを整えてあげないといけないの。そのためのお薬よ」


 そう言うとドクターは、エリシアの毛布をかけ直し「でも良かったわ」と微笑んだ。


「酷いと幻覚を見たり、正常な思考ができなくなったりすることも多いの。運んでくれる人がいるなら、さっさと気を失っちゃって、正解だわ」

「そういうもんかよ」


 呆れたようなリュースの言葉に、ドクターが「そういうもんよ」とおうむ返しする。


「あの森ならね。むしろ、あんたが異常よ。守りもなくあの森を突破しておいてピンピンしてる。おまけにそのまま、みんなにあーんな傷負わしてくれちゃって。手当てすんの大変なんだから」


 どうやら、前回来たときのことを言っているらしい。「魔王様もどういうおつもりかしら」と、小首を傾げる。


「人間を連れてきて、しかもみんなの戦闘訓練をさせるですって? しかも、よりによってあんただなんて。ほんとワケ分かんないわー。……でも、そこがミステリアスで、ス・テ・キ」


 頬に手をあて、もう一方の手で空中にのの字を書きながら、ドクターが頬を染める。


「勇者や冒険者が集まる村に潜入するだなんて、怖かったでしょうにね。震える身体を、あたしが抱き締めてさしあげたい」


 語尾にいちいちハートマークをつけながら、ドクターはくねくねと腰を振った。それを見ながら、ふと思う。


「おまえって生殖すんのか?」

「あらやだ。初対面のレディーになんてこと訊くのよスケベ」

「性別ないって、自分で言ってたじゃねぇか」


 言い吐き、少しだけ眉を寄せ、改めてドクターに訊ねる。


「俺が訊きたいのは……性対象でもねぇのに、なんであんなヤツにそこまで気持ちを向けるのかってことだよ。魔王としてどうしようもねぇのによ。むしろ、あんたが魔王だって言われた方が、うん十倍もしっくりくるだろ。むしろピッタリだ」

「どういう意味よそれ」


 剣呑な目を向けてくるドクターに、「そのまんまの意味だよ」とあっさり返し、天井を仰いだ。


「外で囲まれたとき、俺は正直謀反かと思ったぞ。自分たちを置いて、一人逃げ去った魔王へのな」


 言いながら、外で見た光景を思い出す。


「実際はそれどころか、あの歓迎ぶりだ。おまえらは、一体なんでそんなに、あいつを慕ってるんだ?」


 ドクターは眉を寄せると、エリシアをちらりと見おろした。つられて見ると、頬の赤みが、ほんの少しだが戻ってきている。


「自分とこの王さまを慕うのが、そんなにおかしなことかしら?」


 言うなり、無数の足を絡まないよう器用に動かしながら、扉へと向かう。


「俺が言いたいのは」


 分かってる、とでもばかりに、ドクターが軽く手を振る。


「アタシたちにだってね、いろいろあんのよ。――ほら、その娘はもう大丈夫だから、休むのを邪魔しないで、あんたもさっさと出なさい」


 リュースは一度口を引き結ぶが、すぐに息をつき。ベッドから立ち上がって、ドクターの後ろに続いた。




「人間といらっしゃる理由は分かりましたが、そもそも納得が――」


 扉を開けた途端、話し声が聞こえてきた。見れば、廊下の中央でアレフィオスと全身鎧が向かい合っており、少し離れた窓際ではアーティエがこちらを見ていた。


「エリシアさんは、大丈夫ですか?」


 気がついたアレフィオスが、数歩こちらに寄りながら訊ねてくる。それににこりと答えたのは、ドクターだった。


「えぇ、魔王様。一晩眠れば、きっと元気になるわ。それより、魔王様もお疲れでしょ? 医務室にリラックスするお茶があるから、宜しければこれから、ご一緒にいかが?」

「ありがとうございます、ドクター。またあとでお伺いしますね」


 邪気のない笑顔で、今からの訪問をあっさり断られるが、ドクターは「お待ちしてますねぇ」と笑う。くねくねと去っていくその後ろ姿を見送り、改めて「そんで」と魔王らに向き直った。


「どうすりゃいいんだ?」

「えぇっと……取り敢えず、ご紹介を。リュースさん、こちら警護長です。城の警備全般と、個人としての私を守ってくださったる、頼もしい方です」

「よろしく。……あんた、一度やりあったな?」


 顎のへこみを指差しながら、リュースが訊ねる。表情こそ分からないが、その場の温度が下がった――そんな気分にさせる空気に、周囲が包まれた。


「……なんなら、また手合わせ願っても良いが。今度は手心なしにな」

「ふぅん? 手加減してやったって、分かってんのか。そのおかげで、すたこら逃げられたんだから感謝しろよ」


 玉座で手紙を見たあと、姿を消していたことを揶揄するが、警護長はふんと首を振った。


「余計な犠牲を出してはならぬという、魔王様の命に従ったまで。我は警護長として、貴様が魔王様の策略にはまっている間に、皆を逃がす役目があったからな」

「あれは策略じゃなくて、ただの敵前逃亡だろーが」


 じとりとした目でリュースが言うが、警護長はかえってこちらを馬鹿にした口調で続ける。


「兵法を知らぬとは。こんなやつに、我らの指導が務まるとは思えんな」

「兵法だぁ?」

「逃げるが勝ちと言うだろ」

「……兵法……か?」


 釈然としないものはあるが、突き詰める前にアレフィオスが「あの」と、双方の様子をうかがうようにしながら、割って入ってきた。


「今日は、このあたりにしておきませんか……? リュースさんたちも疲れていらっしゃるでしょうし、食事の準備をお願いしてくるので、お部屋で待っていてください」


 しらけた空気に、リュースがアーティエをちらっと見る。窓際で、我関せずという顔をしていたアーティエが、おもむろに歩いてきた。


「それでは……また、あとで」


 ぺこりと頭を下げるアレフィオスに、リュースは振り返りもせずに「おぅ」とだけ答えた。




「そんで、なんの話をしてたんだ?」


 案内された客室のうち、アーティエの部屋に居座って、リュースが訊ねる。シンプルな、エリシアが寝かされている部屋とほとんど変わらない内装だ。床にはベージュの絨毯が敷かれており、石壁にはランプが灯されていて、暖かいオレンジ色の光が、室内を照らしている。


「そんな、大したことは話してないよ。リュースと同じで、自己紹介と……あと、魔王殿が警護長殿に、今回のいきさつを話したくらいかな」

「……ふぅん」


 こめかみを掻き、小さく唸る。木製の椅子は、背もたれに寄りかかると、小さく軋みをあげた。


「ヤツは、俺たちが来たのに納得いかねぇみたいだったがな。ま、そりゃそうか」


 首から下がる、碧い石を握ると、不思議とほんのり温もりを感じる。


「幾らになんかなー、これ」

「さすがに、島は買えないと思うけれど。豪邸くらいなら買えると良いね」


 アーティエの呑気な言葉に、「そうだな」と少し笑んで頷く。そんなリュースに、アーティエは少し首を傾けた。


「こう言ってはなんだけど、魔王殿を倒せば莫大なお金が手に入ったのに、何故、雇われる方を選んだんだい?」

「そりゃ……」


 言いかけ、リュースは眉を寄せると、両手を軽く万歳した。


「ま、なんだろうな。わざわざ魔王の首を持って、はるばる王都まで行く苦労を考えると、ぞっとしねぇし。想像もつかねぇ遣いきれもしねぇ大金より、寝床と三食が保障されてて、現実味のある金額を目の前に突きつけられた方が、まぁ魅力的だわな」

「なるほどね」


 アーティエが苦笑する。


「良くも悪くも、小市民って感じだねぇ」

「あいにく、生まれも育ちもたいして良くはねぇからな」


 そう言って、軽く歯を向く。立ち上がろうとするリュースに、だが暇なのか、アーティエは話しかけ続けた。


「生まれって言えば……エリシアさんとは、本当の姉弟じゃないって、言ってたけど」

「あぁ?……別に、そのまんまだよ」


 リュースは手を振って終わりにしようとするが、アーティエは気にした様子もなく続けてくる。


「ほら、今エリシアさん、弱ってるだろ? そんなときにさ、知らないうちに傷つけるようなこと言ってしまったら、ね? だから、先に図太そうなリュースから聞き出しておこうと思って」

「……図太くて悪かったな」


 仕方なく腰を落ち着け、リュースは膝に両肘をついた。片手を口元に添え、もう一方の手は居所なく、だらりと垂らす。


「俺とあいつは……同じ村の生まれで。俺の母親と、あいつの父親がいとこ同士だったんだ」


 そうそう、他人に語ったこともない過去だ。エリシアとの間で話題にしたことも、ほとんどない。リュースは言葉を選びながら、いつもよりゆっくりとした口調で続けた。


「俺と母親は、村のはずれに住んでてな。母親は結婚をしてなくて、父親もどこのどいつだか知れなかった。おかげで、片田舎の小さな村では、腫れ物扱いでな。そこに越してきたのが、エリシアとエリシアの父親だった」


 エリシアもまた、母を早くに亡くしていた。想い出の多い土地にいるのが辛く、別の村に引っ越そうと思ったそうだ。だが、全く知り合いもいない見知らぬ土地は辛いと思い、父片の親戚である、リュースらがいる村を選んだのだそうだ。


「はみ出し者同士、親戚同士ってことで、お互いに家を行き来してな。まぁそれなりにやってたんだが」


 リュースはふと、言葉を詰まらせた。どう語ったものか。どこまで語ったものか。頭の中に、急激に溢れてくる想い出の渦に、気が遠くなりかける。 


「――リュース」


 ふと、目の前にいるアーティエに気がつく。水色の目に写る自分は、色の加減のせいか、顔色が悪く見えた。


「……大丈夫かい?」

「あぁ……」


 やはり、少し疲れているのだろうか。口を覆う手で、代わりに両目をつぶってその目尻を押さえ、ふぅと息を吐く。


「……ある日、村に盗賊が来てな。それで、みんな終わりだ。俺とエリシアはお互い親を亡くして、たまたま近くを通りかかった今の親父に拾われた」


 すっと手を外す。少し楽になったような気がして、リュースはもう一度深く息を吐き、アーティエを見た。もう、いつも通りだ。


「そんだけだ。たいした話じゃない。エリシアにも、余計なこと言ったり聞いたりすんなよ」

「分かってるよ」


 アーティエは変わらず、軽薄に目を輝かせながら頷いた。リュースは勢いをつけて立ち上がり、今度こそ部屋を出た。

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