第七話 魔王の庭

「へーっ、ここが瘴気の森かぁ」


 場違いに明るい声で言うエリシアに、リュースは不機嫌な声をかけた。


「言っとくけどな、ここは基本、マジでヤバい場所なんだからな。観光気分で浮かれてるアホはついてくんな」


 間際の村から程なく行った場所に広がる、瘴気の森。それは、平坦な土地に唐突なまでに存在する、樹海である。

 木々は天高く生い茂り、枝と枝、根と根が絡み合った様は、まるで侵入者に対するバリケードのようにも見える。日の光は密集した枝葉に遮られ、それが森全体に濃い影を落としている。

 ――一歩足を踏み入れれば、そこはもう、人間のいるべき土地ではない。


「私たちは『前庭』って呼んでます」


 のほほんとした調子で、アレフィオスが言う。自分が本来あるべき領分に帰ってきたからなのだろう、村にいるときよりも、幾分視線が上がり、余裕がある様子だ。


「えっと。ここから先には、陰の気――瘴気、とも呼ばれるものが満ちてます。なので、人間にとってはバランスが大きく崩れるので、入るだけでも辛いと思います」


 特にエリシアを見ながら、アレフィオスが言う。困ったように眉をハの字にし、「辛いときはすぐ言ってくださいね」と念を押した。


「分かったわ。無理しない」


 右手を上げ、宣誓するかのようなポーズでエリシアは請け負った。その顔は、先程までよりはテンションを下げている。


「エリシアさん。これを」


 アーティエが、懐から石を一つ取り出し、エリシアに差し出した。ちょうど手のひらに乗るサイズの石炭のようで、しかし色は白色である。光の加減で、所々が虹色に煌めく。


「これは?」


 受け取りながら、エリシアが首を傾げる。するとアーティエは口元に人差し指をそっと添え、「僕の秘密兵器」といたずらっぽく言った。


「以前、大陸の中央の方へ行ったときに、手に入れたもので。陽の気をはらんでいるそうだよ。少しは、役に立つと思う」

「へぇ……綺麗。でも、アーティエさんは?」

「僕はもう一つあるから」


 自然体に微笑むアーティエに、エリシアは少しはにかみながら「ありがとう」と笑い返し、石を胸ポケットにしまった。


「そんじゃ、行くぞ。魔王、おまえ先頭を歩け。道案内だ」

「は、はい」


 リュースに呼ばれたアレフィオスが、ほとんどつんのめるようにしながら、前に出た。




 森に一歩踏み込むと、途端に身体を重い空気が包み込むのを、リュースは感じた。太い木々からたち昇る、濃い緑の香りはいっそ鬱陶しく、空気中から酸素の割合を減らしているような気さえする。


「どうだ」


 後ろを歩くエリシアに声をかける。


「戻るなら、今のうちだぞ」

「このくらい。大丈夫、大丈夫」


 エリシアの笑い声にも、いつもほどの力がない。リュースは溜め息をつき、前を行くアレフィオスを追った。


 森の中は手入れされた道などなく、獣道を辿るようにしてアレフィオスが進んでいく。森の外では頼りなげに見えたが、迷いなく歩くその姿は、さすがと言うべきだろう。


「足場が悪いので、気をつけてくださいね。中には、木の根っこのふりをして、わざと足を引っかけてくる悪戯っ子な魔物もいますので――ぎゃっ!」


 話しているそばから、アレフィオスが盛大に転び、頭から地面に突っ伏した。


「おまえ……本当に魔王なんだろ?」

「ううぅ。鼻擦りむいたぁ……」


 鼻を押さえて呻く姿に、見直しかけたものが一気に崩れ去る。試しに、アレフィオスが転んだ木の根を蹴ってみるが、うんともすんとも言わない。とうやら、ただの木の根のようだった。

 さっそく泥だらけになったアレフィオスを、エリシアが持っていた手拭いで拭いてやる。


「おまえ、さっきここは『前庭』だとか偉そうにほざいてたじゃねぇかよ。自分の家の庭で転ぶんかおまえは。歩き始めたばかりの赤ん坊かよ」

「す、すみません……」


 すっかりしょげかえり、背中を丸めながらアレフィオスがまた歩き始める。情けないその後ろ姿に、エリシアが「ねぇアレフさん」と、少し息をきらしながらも明るい声をかけた。


「お城のごはんって、どんなもの? あたし、それがけっこう楽しみなのよね。アーティエさんは、好きな食べ物なに?」

「僕は……特に好き嫌いはないけど、強いて言うなら果物が好きかな」


 最後尾を歩くアーティエが、律儀に答える。「果物かぁ」と、エリシアがうっとり呟く。


「あたし、昔から貧乏だから、果物なんてほとんど食べたことないのよねぇ。高級品じゃない」

「高級で、めったに食べられないから、好きって言っておくんだよ。もしかしたら、それを聞いた人に、食べさせてもらえるかもしれないだろう?」


 それを聞いたエリシアが「なにそれ」と笑う。話を聞いていたのだろう、アレフィオスが歩きながら振り返る。


「果物ならお出しできますよ。旬のものにはなりますが」


 アーティエがエリシアに「ほら」と囁き、エリシアがまたクスクスと笑った。


「リュースは、甘いものが好きなのよ。特に、くるみが練り込んであるパウンドケーキがね。あと、ジャガイモとキャベツがたっぷりのポトフ」


 訳知り顔で――振り返らずとも容易に想像がつく――語るエリシアに、リュースが舌打ちする。


「ありゃ、ババアの手作り趣味に付き合ってやってるだけだ。食わねぇと、これ見よがしに泣き真似し始めるから」

「えー。母さんは、リュースが好きだからって、帰ってきたときだけ特別に作ってくれてるのよ?」

「その方が楽なんだろ。作るもんが決まってた方が、いちいち頭悩ませなくてよ。ガキの頃好きだったもん、大人になっても変わらないと思ってやがるんだ。自分はガキの頃からエールをかっくらってた訳じゃ、あるまいに」


 エリシアは「もーっ」と不服そうな声を上げる。


「リュースったら、永遠の思春期なんだから」

「おかしな言い方すんな。先はまだ長いんだ黙って歩け」


 もしや、道中ずっとこんな感じなのだろうかと、リュースは顔を引きつらせた。




 しかし、それは杞憂に終わった。時間が経つに連れ、エリシアの口数はみるみる減っていった。

 後ろから聞こえてくるのは他愛もない軽口やお喋りではなく、苦しそうな息切れになった。


「どうした」


 リュースが後ろを見ると、エリシアは蒼白な顔に汗をにじませながら歩いていた。足取りも怪しく、転びかけては後ろのアーティエに支えられている。

 リュースの問いかけに答える余裕もなく、エリシアは額の脂汗を拭った。

 エリシアは、決して体力がないわけではない。歩いている時間も、せいぜい二時間程度だろう。足場が悪いため、平地を歩くよりも体力を使いはするが、確実にそれ以上の負荷がエリシアにのしかかっていた。


 これが、瘴気の森か。


 自分一人のときには然程気にしていなかった森の驚異を、まざまざと見せつけられる。


「少し、休憩するか」

「いえ、駄目です」


 きっぱりと言いきったのは、意外にもアレフィオスだった。足を止めずに、前へと進んで行く。


「この森は、滞在するだけで、普通の人にとってダメージになります。ただ足を止めるだけじゃ、休憩にはならないし、かえって害です」


 アレフィオスの言葉を聞き、リュースが舌打ちする。彼に向けたものではなかったが、アレフィオスの肩がびくりと震えた。


「仕方ねぇ。おまえ、これ持ってろ」


 そう言って、リュースは背負っていた剣を、アーティエに渡した。受けとるアーティエに、「そういや、おまえは大丈夫なのか?」と首を傾げる。


「石もあるしね。僕、こう見えて結構丈夫なんだ」

「そういうもんかよ。瘴気っつーのもざまぁねぇなぁ? 城のバリケード代わりなんだろ?」


 リュースがアレフィオスに声をかけるが、アレフィオスは口をもごもごとさせ、小さな声で「すみません……」と言うばかりだった。


「そういうリュースこそ、やっぱり大丈夫そうだね? 石もないのに」

「一度往復もしてるしな。そりゃ息苦しいし身体も重いが、吟遊詩人なおまえよりもたぶん鍛えてるし、こんなもんだろ」


 ふぅ、と一つ息をつき。エリシアに背を向けたまま、少し屈む。


「ほら、さっさと乗れ」

「でも……」


 小さく呻くような声で、エリシアが躊躇う。


「良いからさっさとしろ。おまえのトロさに合わせてたら、日が暮れちまう」


 もっとも、この鬱蒼とした樹海の中では、太陽の位置もすでに定かではなかったが。限界だったのだろう、ほとんど倒れ込むようにして、エリシアがリュースの背に寄りかかる。それを背負い上げ、リュースは再び歩き始めた。


「ありがと……」


 か細い声が、耳元でする。


「リュースにおんぶ、久しぶり」

「喋ると余計に重いから黙ってろ」


 普段なら「喋って体重が変わるわけないでしょ!」とでも言って、叩いてくるところだろうが、返ってきたのはゆっくりとした呼吸音だけだった。眠ったのか、それとも気絶したのか。回された腕は昨晩つかんだときよりも冷たい気がしたが、背中からは温もりを感じる。


「仲の良いご姉弟ですねぇ」


 いかにもしみじみと、アレフィオスが呟くのが聞こえてくる。その背を無言で思いきり蹴ると、アレフィオスは「ぐえっ」と悲鳴を上げながらあっさりと転び、再び泥まみれになった。




 ただでさえ薄暗い森の中が、更なる闇に包まれる頃、先頭を行くアレフィオスが「もうすぐです」と言った。


 リュースは一つ息を吐き、エリシアを負い直した。気を失い、ぐにゃりとした身体はなかなか重く感じるが、急がなければという焦りも煽った。


「それにしても、全然魔物は出なかったな。俺が一人で通ったときは、そこそこの数いたけどよ」


 気を紛らわそうと、リュースが久しぶりに声を上げると、アレフィオスが躊躇いがちに頷くのが見えた。


「多分ですけど……私が、いるからかと。今までも、この森で襲われたこと、ないですし」

「そりゃ驚きだな」


 ツッコミを入れるのも馬鹿らしく、投げ槍に言い放つと、アレフィオスの肩が小さく丸まった。

 だが、魔物の襲撃がないことと、なによりアレフィオスの道案内により、思ったよりも早く城に着きそうだ。



 もうしばらく行くと、ふと、鼻先に香る空気が変わった。むせ込むような木々の湿った香りが薄くなり、同時に身体を包む気だるさがやや軽くなった。


「着きました」


 アレフィオスが言うや否や、密集した枝葉が唐突に途切れ、巨大な城が姿を現した。


 巨大な岩を掘り出したような、武骨な城である。リュースがここに来るのは二度目だったが、前回来たときには城の裏手に出たのに対し、今回はしっかり正面の道に出た。これがおそらく、正規のルートなのだろう。


「これで、肩の荷が降りるってもんだ」


 文字通りに、背負ったエリシアを視線で示すと、気がついたアーティエが、小さく笑った。


 城は正面から見ると、歪な凸の形をしている。中央には門があり、鉄の扉で塞がれている。左右には、それぞれ門番が立っていた。


 とは言っても、どちらも獣型の魔物だ。灰色の狼に似た魔物は、呼吸をする度に口元に青い炎が覗くし、猫科の動物の成りをした魔物の長い爪は、鋼鉄色に輝いている。二匹とも、軍馬ほどの体格であり、まともにやりあったなら、楽勝とはいかなさそうだ。

 自称魔王がいるとは言え、油断しないに越したことはない。いつでも対応できるよう、リュースは気持ち腰を落とした。


 アレフィオスをちらりと見やると、はっと目を見開き、二匹の魔物を凝視している。


「……なにかあったのか?」


 ぼそりと囁くが、アレフィオスの耳には届いていなかった。


「――っ」


 突然走り出すアレフィオスに、リュースは「おいっ!?」と片手を伸ばしたが、届かない。アレフィオスの動きに、門番たちも気がついたようだった。肉食獣の目で目標を捉えると、人間には敵いようのない俊敏さで、アレフィオスに肉薄した。


「ポチ! タマぁッ」


 叫んだアレフィオスが、そのままの勢いで二匹の首もとに飛びつく。門番らも、それを当然のように受け入れ、手のひらほどもある舌で、アレフィオスのことを舐め始めた。狼型はパタパタと尾まで振っている。


「パパだよーっ! お迎えにきてくれたの? うわぁぁありがとぉっ」


 ポチとタマとやらの毛皮にもふもふと顔を埋め、まるで自分をそこに擦り込むようにしながら、アレフィオスが甘ったれた声で言う。その姿には、魔王どころか、理性ある生き物としての威厳があるかさえ、怪しい。


「どうやら門番ではなく、彼の個人的なペットのようだね」


 のほほんとした口調で、アーティエが言う。


「なんだそりゃ……」


 肩をこけさせそうになるリュースに、更に追い討ちをかけるような声が聞こえてきた。


『うぉおおおおおおおっ!』

「ぁああぁっ!?」


 リュースが柄にもなく叫ぶ――剣を手にもっていないことを、心から後悔した。急に破られた門扉の内側から、大量の魔物が飛び出してきたのだ。


 彼らはあっという間に、三人と二匹を取り囲んだ。その多くが怪我をしている。リュースにも覚えのある姿があるため、おそらくは先日の、リュースの急襲によるものだろう。リュースはエリシアを負い直し、アーティエに一歩にじり寄った。その耳元に、そっと声をかける。


「やっぱり罠だったか……突破できるか?」

「僕は大丈夫だけど、エリシアさんは、そろそろ休ませないと」


 「くそっ」と、リュースは心の中で地団駄を踏んだ。確かに、背中に感じるエリシアの体温は、徐々に下がっている。呼吸音もずっと乱れたままだ。濃い瘴気の中を抜けたとは言え、早くなんらかの処置をしなければ。


 憎々しさを込めてアレフィオスを睨むと、獣たちから顔を上げ、驚いた顔でキョロキョロとしていた。どうやら、彼にとっても予想外のことらしい。


(罠じゃなくて、謀叛か?)


 その可能性なら、十二分にある。なにせ、アレフィオスは敵を前にして一人、魔王でありながら逃げた身だ。城の魔物たちの支持を、失っていてもおかしくない。


 負傷者を伴った状態で、一斉にこの数に襲いかかられては、さすがに辛いものがある。未知数なのはアレフィオスの力だが、一体どこまであてにできるものか。


「リュース」


 アーティエが囁き、視線でなにかを示す。魔物の輪の中から、一体の魔物がこちらへ歩きだしたのだ。全身を鎧で包み込んだその姿には、見覚えがる。


(あいつは)


 玉座に向かった際、最後に戦った全身鎧フルアーマーだった。凹んだままの顎も痛々しく、アレフィオスの方へと進み寄って行く。ポチとタマが小さな唸り声を上げるのを、アレフィオスが顎を撫でてなだめる。


「警護長……」


 はっとした顔で、アレフィオスがそちらに向き直る。全身鎧はそこで、一度足を止めた。


「魔王様」


 呼びかけ。そして、そこから一気に駆け出してくる!



「魔王さまぁぁぁぁぁぁっ!」



 そのままの勢いで、全身鎧はタックルするようにして、アレフィオスの足元に抱きついた。アレフィオスは体勢を崩しかけるが、それも全身鎧の手で止められる。


「お痛わしや魔王様っ! 気高き御身をやつしながらも、よくぞご無事でお戻りになられましたぁぁあっ」


 感極まる――とは、まさにこの様のことを言うのだろう。泥だらけなアレフィオスの足に擦りつけているせいで、顔がどんどん汚れていくのにも頓着せず、全身鎧はひたすらすりすりすりすりと続けた。


「あの凶悪な人間から、よくぞお一人で逃げ切りましたねっ! さすがです魔王様! 私はっ! 私どもは、鼻が高い……ッ」


 それに合わせるようにして、魔物たちが一斉に声を上げる。



『お帰りなさいませ、魔王さまぁぁぁぁぁぁっ!』



 何故かそのまま始まる、万歳三唱を聞きながら。照れて頭を掻く魔王を、ぼんやりと見ながら。リュースは理解した。この城の魔物たちが、魔王に対して異常なまでの過保護集団であることを。

 万歳後の拍手はいつまでも鳴り止まず、リュースは少し、気が遠くなるような思いがした。

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