第六話 セクハラのち旅立ち

『かつて混沌に、巨大な樹があった。混沌の主は、そこに神と魔物を四柱ずつ作った。


 主は無秩序だった彼らに、秩序を与えた。


 神は光を、魔物は闇を。

 神は聖を、魔物は魔を。

 神は生を、魔物は死を。


 秩序を与えられた彼らは眷族を産み、世界は形作られていった。


 あるとき、一組の神と魔物が恋をした。しかし彼らは相反する性質に悩み、遂には互いに命を絶った。


 残された神と魔物は互いを疎み、争いが起きた。幾夜にも渡る争いは彼らの住処である大樹を揺るがし、やがて真ん中から折れてしまった。


 八柱は幹の破れ目に降り立ち、残骸を集めて人間と動物を造った。そしてその地を《フィアヴェルト――災禍の地》と名づけたのであった。』



※※※



 ソーディア国の王城は、白亜の城と呼ばれるように、全面が白い石を組んで作られている。美しさから他国にも評判ではあるが、その汚れやすい色を選んだ遥か昔の設計者に、国王が恨み言を呟くのを、ノアは聞いたことがあった。


「城は国の象徴だ。それが薄汚れていては、この国がそんな汚れも払えないような国だと、自国の民にも他国の者にも侮られてしまう。まったく、無難に茶色のレンガで造れば良かったものを」


 要は、砂埃でも舞えばすぐに灰色になる壁面の清掃費用が、年単位で見ると馬鹿にならないということらしい。

 特注の長いブラシで壁面を擦っている清掃者たちを横目に、そんなことを思い出しながら庭の端を歩いていると、「おおぃ」と声をかけられた。


「殿下」

「ノア、ちょうど良かった!」


 国王の第一王子エネト・イスナ・ナディ・ソーディアが、右手上方にある渡り廊下の手すりから身を乗りだし、大声でこちらへ呼びかけていた。後ろには一人、伴を連れている。


「今からそちらへ行く。少し待っていろ!」


 言うなり、ノアが静止する間もなく走り出す。

 白い建物の中に入り、あっという間に姿が見えなくなった。ノアは少し考え、エネトが来るであろう方向へとそのまま足を進めた。


 正面から建物の中に入り、大理石の廊下を歩く。建物内もまた、壁床共に白く磨きあげられている。歩を進める度に、金属製の靴底がカツカツ音を立て、反響音が響き渡った。

 階段を上がっても、エネトの姿はない。気にせず、そのまま歩を進めていく。


 城はコの形を描いている。正面から見て最奥の建物が基本的に執務を行う場所であり、二階には謁見の間もある。そのため、一階と比べると二階の方が衛兵の数も多く、物々しい。更に渡り廊下を行き右手建物に入れば、王族の居室が並んでおり、警備は更に厳重なものとなる。


 ノアがその渡り廊下の方へと歩を進めると、ようやくエネトの姿があった。気楽に壁に寄りかかり、従者となにかを話しているようだ。ノアに気がつくと、エネトは手を振り、従者である少女は深げてきた。


「ノア様、申し訳ありません。殿下が、これ以上歩くのは疲れたと、急に言い出しまして」

「うるさいぞシオ。ノアはちゃんとここまで来ただろう? 会えたなら、何の問題もないじゃないか」


 渡り廊下から何メートルも離れていない場所で、エネトは無駄に胸を張った。父親よりも濃い金色の髪は長く、背中で三つ編みにされている。目尻の強さは父親似だ。だが母親譲りの藍色の瞳には愛嬌を含んでおり、印象をだいぶ柔らかいものにしている。


 少女――本名はシオンだが、エネトは「シオ」とよく呼んでいる――にちらりと視線を向け、「気にするな」と念を送るが、伝わったかどうかまでは知らない。ノアはエネトへ目を戻し、「それで」と話を切り出した。


「私に御用とは?」

「うん、ちょっと聞きたいのだがな。シオが言うには、おまえはそこそこ剣が使えるそうなんだが、実のところどうなんだ?」

「ちょ……っ!?」


 頓狂な声を上げたのはシオンだった。まだ幼さの残滓がある顔を、めいっぱい引きつらせ、「なんてことをっ」とエネトに向かって怒鳴る。


「《剣聖》と称されるノア様に対して、なんて失礼なことをこの馬鹿王子! てか、その言い方だとまるでわたしがそう言ったみたいじゃないですか、誤解されちゃうじゃないですかっ!」

「喧しいぞシオ。そうキャンキャン吠えるんじゃない。あんまりうるさいと、無駄にでかいその乳を有効活用できる職に回してしまうぞ」


 途端、シオンがこの国では珍しい褐色の肌を紅潮させ、守るように胸の前で腕を組む。そのままキッとエネトを睨みやり、口を尖らせた。


「そっ、そんなセクハラに負けるわたしじゃないですよっ? 訴えますよ? 出るとこでたらこっちが勝訴ですよ!?」

「やれるならやってみろ。国王に任命される裁判長が、その息子を敗訴にすると本当に思うのならな」

「そんなの癒着じゃないですか! 政治腐敗ですっ」

「正しい独裁政治の在り方なだけだ。それでだなノア」


 急に話を振られ、我関せずにやり取りを眺めていたノアは、一テンポ遅れつつも「はい」と返事をした。


「実はな、行きたい場所があるのだが、シオだけでは少々心許なくてな。ぜひ、おまえも同行させたい」

「同行……ですか」


 今一つ話が見えず、おうむ返しに繰り返すノアに対し、シオンが「すみません」と、また深々と頭を下げる。


「殿下って、きちんとしたお願いができない人種なんです」

「いや、それは構わないのだが」


 以前からではあるのだが、この二人との会話はなにかとテンポを崩しがちだ。その中でもなんとか話の筋を見いだそうと、ノアは疑問をそのまま口にした。


「いったい、どこに行かれるおつもりなのですか?」

「それがだな。ノア、最近父上が、永遠の命が欲しいと訴えてるのを知っているか?」

 また質問と話がずらされてしまった。ノアは頭を整理しつつ、先日の国王とのやり取りを思い返した。


「確かにそんなことを仰られてはいましたが……ですが、あれは陛下流の御冗談かと」

「あぁ、ボクもそう思う。だが、国王が願えばなんだって叶えようとするのが、ごますり連中の性だ。父上もその辺りを珍しく、しくじったようだな。城下では、『延命の水』と呼ばれる水瓶が一部で法外な値で売られ始めた。もちろん嘘っぱちだが、教養のない連中には真に迫って見えるようだ」

「それは……」


 さすがに眉をひそめるノアに、何故かエネトが嬉しそうに笑う。


「良くないだろう? 馬鹿な貴族の中には、すでに引っかかってる者まで出ている。

 そこでだ、事態を収拾するために、ボクが父上の願いを叶えることにした」

「……は?」


 今度は、エネトが思いきり吹き出して笑った。


「見たか、シオ。いつも鉄面皮なノアが、今日はなかなか調子よく変顔を披露してくれるぞ」

「殿下、ノア様に失礼です。と言うより、ノア様のが正常な反応ですから」


 王位継承者に対して「馬鹿王子」などと言い放っておきながら、きりっとした顔でシオンが注意する。エネトは聞いていないのか、それともどうでも良いのか、自分の従者の言葉を無視し話を進めた。


「ノアは、ボクが最近なにかはまっているという噂を聞いていないか?」

「噂ですか」


 思い出すのは、再び先日の国王との会話だ。


「……殿下が、魔物を飼いたがっていると。その話でしょうか?」

「そうそう、そう勘違いしてる短絡的な馬鹿どもが多くてな。いや、おまえのことではないぞノア。そういう噂を父上の耳に入れるようなアホどものことだ」

「はぁ」

「実はだな、まぁそもそも父上がとち狂った冗談を言い出す前からなんだが、最近、神話を調べていてな。なかなかに面白いことに気づいた」


 やたらと目を輝かせながら、エネトが続ける。


「世界の始まりについての部分だ。混沌の主が、四柱の神と四柱の魔物を造る」

「それならば、聞いたことがあります」


 ノアが特別詳しいわけではなく、この国に――というより、この《フィアヴェルト》に住む者ならば、ほとんどの人間がなにかしらの形で聞いたことがある、極々有名な部分だ。シオンも嬉しそうに、話に加わってくる。


「わたしも小さい頃、人形劇で見たことがあります。その神様たちが、今いる神様たちの中でも特に偉い神様で、魔物はそれぞれ魔王になるんですよね?」

「よくその、乳に栄養が回りきった頭で覚えていたな。驚きだ。褒めてやろう」

「え? あれ? 褒められてますわたし? ほんとに褒められてます?」


 あっという間に顔を曇らせるシオンの言葉を無視し、「神と魔物が恋仲になる部分を覚えてるか?」とエネトがノアに訊いてくる。


「確か、神と魔物の争いの原因となる部分ですね」

「そうだ。恋仲の二柱が互いを殺し、それがきっかけで争いが起こる」

「えーっ、違いますよ殿下」


 すかさず、手をばたつかせて訂正に入ったのは、またもやシオンだ。


「殺し合うなんて物騒な。大喧嘩して、お互い傷ついたのを見た神と魔王たちが、それぞれ怒って戦いになるんですよ」

「減点一だな、シオ」


 つれない声で、エネトが言う。


「それは劇をする上で、矛盾のないように手を加えられた部分だ。原典では、『互いに命を絶った』とはっきり書いてある」

「えっ? そうなんですか」


 緑色の目をぱちくりとさせながら、シオは首を傾げた。


「でも、最後の方のシーンで、ちゃんと神様も魔王も四人ずついましたよ」

「減点一、合計マイナス二点だ。残り一点」

「なにが間違いですか? そしてゼロになったらなにが起こるんですかっ?」


 慌てだすシオンを、ノアが落ち着くよう背を叩いてやる。その勢いで前につんのめるシオンに、エネトはやれやれと首を振った。


「神も魔王も、数え方はにんでなくはしらだ。初等教育のレベルだぞ。ゼロになったら、乳を有効活用できる店に一晩職業体験だ」

「ぜったいイヤですーっ! 一晩とかガチじゃないですかッ」

「確かに、わたしが読んだ本にも、最後は八柱そろっていました」


 だんだんとやり取りに慣れてきたノアが言葉をはさむと、「だろう」とエネトがすかさず頷いた。


「えー? でも、死んじゃってるんですよね? しかも二人……ええっと、二柱も」

「そうだ、それが矛盾だ。その乳に免じて一点加点してやろう」

「結局また乳ですか! ちょっと先から会話が乳に頼りすぎですし、矛盾を当てたの関係ないじゃないですかっ」


 キーッと声を荒げるシオンを無視し、「つまりだ」とノアの方を向いて話しを続ける。


「死んだはずの二柱が、何事もなかったかのように生きて再登場する。ここに、不死の秘密が隠されていると思わないか?」

「はぁ……」


 生き生きとした目で断言するエネトに、そのまま全て同意するつもりにはなれず、ノアは控え目に口をはさんだ。


「さすがに、それだけではどうにも」

「そうですよ、殿下。だいたい、単なる昔話じゃないですか」


 だが、エネトは得意気な表情を崩さないまま、自説を補完する。


「昔話や神話ってのは、だいたい事実をベースに作られてるものなのだが。そこまで言うならもう一つ事例を出そう。神話でなく、実在の魔王についてだ」


 エネトが寄りかかっていた壁に、指で円を描き、更にその中に十字の線を描く素振りをした。十字の中央を先ず指し、


「《フィアヴェルト》の中心には主要四神が、そして」


次いで、十字と円の交点を四ヶ所指す。


「東西南北にはそれぞれ魔王がいる。例えば、ここから一番近いのは〈東の魔王〉だな」


 異論はなく、頷いてはみるものの、エネトがこの後なにを言い出すのか――ノアはほんの少し、眉を寄せた。


「四柱の魔王には、これまで幾度となく、王室派遣の勇者をはじめとして様々な人間が挑んでいった。その長い歴史の中には、討伐に成功したとされるものもある」

「でも、結局封印が解けちゃったりして、今も四人……じゃなくて、四柱そろってるんですよね?」

「いいぞ、シオ。言いたいのは実にそこだ。加点で一点やろう。一夜の職業体験が遠退いたぞ」


 機嫌よく、エネトが人差し指を振る。


「そうやって、女の子をもてあそぶと、あとで酷いですからね! 〈貴婦人の性的地位向上を目指す集い〉の奥様方に言いつけてやりますからっ」

「なんだその不穏な響きしかない単語の羅列は」


 さすがに嫌そうに顔をしかめ、エネトは首を左右に振った。


「見ろ、今のインパクトでなんの話だったか忘れてしまった。そもそもおまえ、なんでそんな怪しい集いに関心を。性的な悩みでもあるのか」

「怪しくないですフェミニズムです。四六時中上司がセクハラしてくるような勤め先なので」

「セクハラではなくコミュニケーションだろ。若い女はなんでもそうやって被害者ぶる」

「そもそもその考えが間違いなんですよ! コミュニケーションっていうのは関係を円滑にするものであって、一方的で相手の立場や感情を考慮しないものは」

「完全に受け売りじゃないか。それを別の言葉で説明できるか? 聞いた題目そのまま唱えてるだけじゃ、そんなの理解とは――」

「四柱が今でもそろっている、ということの、なにが引っかかるのですか?」


 いつまでも〈貴婦人の性的地位向上を目指す集い〉の話から離れない二人を、ノアが

無理矢理軌道修正する。エネトはさも、今までその話をしていたかのように「あぁ」と頷いてみせた。


「そもそも、封印とはなんだ? 大抵、大昔にどこそこの魔王を退治したという冒険譚が語り継がれ、その後に、倒したはずの魔王が現れると、『どうやら封印が解けたらしい』と言われる。つまりだな、封印云々というのは、後世によるに過ぎないということだ」

「後づけ、ですか」


 ノアが唸るように呟く。


「確かに、過去の話を紐解くと、我が国に限らずそのあたりは、曖昧に語り継がれてきた部分ではあるかもしれません。なにせ、魔王の形姿ですら、『月の瞳に天を衝く角、その姿は闇夜の如し』と、具体性に欠けますし」

「その通りだ。封印などと言うよりは、魔王は死なぬ――いや、殺してもいずれ復活すると考えた方が、理にかなっている」


 藍色の瞳を輝かせ、エネトが断言する。ノアにはエネトが、ひどく楽しんでいるように見えた。


「そもそも、魔王とは神と同列に語られるものなのだ。人に神が殺せぬとされているように、魔王も殺せぬのが通りなのではと、ボクは思うわけだ」

「つまり……永遠の命の鍵が、魔王にあると?」

「あーっ! だからこの間から急に、瘴気の森に行くなんて言い出したんですね?」


 突然大声を上げたのはシオンだった。エネトが「ようやく分かったか、トロいな」と呆れ声で言うが、ノアはさすがに聞き咎めた。


「〈東の魔王〉の元に行くつもりですか」

「そう怖い顔をするな、ノア。だからおまえを誘ってるんだ。シオもそれなりに戦えるはずなんだが、無理だ無理だとぬかすのでな。挙げ句の果てに、おまえでないと駄目だと言い出しおって」


 責めるように言われたシオンは口を尖らせ、うつむいた。


「だって無理ですよ、瘴気の森ですよ? 人を狂わせる森だって言うんですから。それこそ、ノア様みたいなしっかりした勇者様じゃないと」

「いや……私も、恥ずかしながら瘴気の森に行ったことはないんだ」


 少しばかり目を伏せ、ノアが告げる。そもそもノアが王室派遣勇者と任命されたのは、その剣技によるところが大きく、一種の勲章のようなものだった。勇者としての仕事は、外交の際の飾りと、人々への模範的な在り方の提示に止まっている。


「今は開拓期のように、魔王退治に躍起になっているわけではないからな」


 気のない様子で、エネトがそれに頷いた。


「だがまぁ、役に立たぬこともないだろう」

「しかし、行ってなにを」

「そんなのは」


 にやりと、エネトが笑う。


「行ってみないと、分からんさ。噂通り、魔物を生け捕って飼っても良いがな。魔王を飼い慣らせるならばだが」


 「立つのは三日後だ」と、エネトは先よりは毒の抜けた表情で告げた。


「それまでに、出発の準備をしておけ」


 そう一方的に話を終わらせると、エネトはさっさと来た道を戻っていった。その後ろを、「殿下!」と慌ててシオンが追いかける。


 その後ろ姿を呆然と見送り、ノアはそっと、胸の記章を親指で撫でた。角の生えた獣が、ひんやりと鈍い冷たさを感じさせた。

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