第十話 デモンストレーションは激しく
「あ、笑ってるよ」
声がする。低く、温かい声。太陽のような目に覗かれて、思わず手を伸ばすと、くすくす声が返ってくる。
「可愛いなぁ。ほら、見てよこの一生懸命な顔。君が服を繕っているときと、そっくりだ」
ふと、キラキラと青く輝く物が、視界の端で揺れた。ぐいっと引っ張ると、「あいたたた」と間の抜けた声がして、思わずもう一度笑ってしまった。
「これは大事、大事。いつか、君が大きくなったらね」
取り返されてしまったのが悲しくて泣きわめくと、「ごめんごめん」と抱き締められる。
温かい。心地よい。安心する。とろけそうになっていると、耳元で声がした。
「君が大きくなったら、あげるから。それまでは、君も君のママも、私が守ってあげるから。だから、安心して」
※※※
食堂の隅に置いてあった空の木箱――桃の絵が描かれているのに気がついたのは、後からであったが――を、広々としたホールの前方に置き。その上に載ると、リュースはじっと周囲を見渡した。
魔王城に着いた次の日の朝。朝食後にリュースがホールへ集めたのは、城の警護を担当する魔物たちであった。
リュースの隣に立つのは警護長だ。相変わらず、がっちり全身鎧をまとっている。
「全部で何人だ」
リュースが訊ねると、間髪入れず「三十九人と十二匹」と答えが返ってきた。
「三十九人は亜人タイプ、十二匹は獣タイプになる」
「ふぅん」
言われてみれば、人間と似た背格好の魔物と、獣のような魔物が入り交じっている。ちょうど半々な見た目の魔物もいるが、それはどちらにカウントされたのだろうか。しかし確かめる程のことでもあるまいと、リュースは代わりに別のことを口にした。
「魔王城の守りにしては、随分と少ないな」
リュースの言葉に、警護長が小さく首を振る。
「城の護りをゼロにはできないからな。三分の一は、警護を続けている」
「なるほど」
頷くと、警護長は変わらぬ口調でさらりと続けた。
「ちなみに貴様から受けた傷で、まだ療養中の者がもう三分の一だ」
「なるほど」
目の前に集まった魔物たちからは、正直敵意しか感じない。それでもここに集まっているのは、警護長とアレフィオスによるとこよが大きいのだろう。
「皆さん、おはようございますー」
警護長とは反対側に立ったアレフィオスが、のんびりとした調子で挨拶をする。今朝はマントを羽織り、いかにも魔王らしい出で立ちだ。どういう仕組みなのか、頭からは山羊に似た銀色の角が生え、外見だけであれば、実にどこへ出しても恥ずかしくない魔王ぶりだ。
こほん、と一つ咳払いをし。目尻の垂れた黄金色の瞳を無駄にきりっとさせ、魔物たちを見つめる。
「みなさーん! ちゃんと朝ごはんは食べましたかーっ?」
『はーいっ!』
途端に沸き起こる、返事の嵐。背の低い者などは、自身の存在をアピールしようと、手を挙げながらぴょんぴょん跳び跳ねすらしている。
「皆、良い子ですね!」
嬉しそうにアレフィオスが微笑むと、黄色い歓声が上がる。中には感極まり、ふらりとよろめいている者までいた。そんなひ弱で警護を勤められているのか、甚だ疑問ではある。
「えぇっと。今回は、皆さんの力をより高めるために、リュースさんをお招きしました。ご存知の方も多いかと思いますが、リュースさんは人間であるにもかかわらず、とても強い方です」
思いのほか、魔物たちは静かにそれを聴いていた。ただし、壇上のリュースに向けられた殺気は、むしろ大きくなった気さえする。魔王であるアレフィオスが話しているから、皆黙っているだけで、決して納得などできるわけがない。
そんな空気に気づいているのかどうか――アレフィオスは続ける。
「人間は日々、武器を強化し続けています。自分たちや、愛する者たちの身を守るためには、私たちもより強くならなければなりません。そのためにあえて、敵対種族でもある人間のリュースさんに、今回はご指導いただくことになりました」
語るアレフィオスの顔は、ひたすらに真摯だ。
声に。眼に。身ぶりに。一つ一つに熱を込め、次第に会場の空気を圧倒していく。大なり小なり、反感をもって聴いていたはずの魔物たちの目が、徐々に純粋なものへと変わっていく。
「リュースさんから、傷を受けた方もいらっしゃるかと思います。友人を傷つけられた方もいるでしょう。
しかし!昨日の敵を今日の友にすることで、私たちはより進歩します。より大切な未来を見据え、今は過去を恨むより、手を携えて前に進むことが肝要だと。そう、私は思うのです!」
アレフィオスが断言した、その途端。まるで、爆発が起こったかのように。会場に、歓声と拍手がこだました。
『ま・お・う! ま・お・う!』
当然のごとく始まったシュプレヒコールは、しばらく止みそうにもなかった。ぺこぺことお辞儀をしながら、アレフィオスが小さな動作で皆に手を振っている。
「魔王様……お見事でございます! 感動した……ッ」
「おまえもかよ」
感極まった声で拍手をしている警護長に、リュースはうんざりと呟いた。確かに、アレフィオスの演説は悪くなくった。しかし「愛」だの「未来」だの、魔王の言葉としていかがなものなのか。
昨晩の、アーティエとの会話が、どうにも脳裏にちらつく。まるでこの場が、宗教の宗主と狂信者たちの図に見えてきた。
「ところであの角は」
気を取り直そうと、こめかみを人差し指で引っ掻きながら、リュースは警護長に話しかけた。視線の先にいるのは、魔物たちに揉みくちゃにされはじめたアレフィオスだ。
「うん?」
意図が図りかねると、警護長が首を傾げる。リュースとしては、気になることはむしろ決まりきっていたため、「ほれ」と顎で雑に示した。
「昨日まではなかったと思うが」
「愚問だな」
それこそ決まりきっている、とばかりに、警護長は胸を張った。隙なく鎧に覆われた指など振っている。
「古今東西南北、魔王様が魔王様としてあらせられるとき、その権威の象徴として、角を有される」
「つまり?」
「着脱式だ」
あっさりと、そう認める。
「付け角かよ……」
なんだそりゃ、とリュースは呻いた。この場にいない、エリシアのことを思う。今は医務室でドクターの健診を受けているはずだが、もしこの場にいたら、きっと変に感銘を受けて、また無駄にうるさく騒ぎ立てそうだ。「着脱式の角だなんて、意味分かんなすぎて素敵! やっぱり人間も魔物も見た目が九割なのよねっ」などと。想像し、それだけで辟易する。
それにしても、と。リュースは頭を振って気を取り直すと、いつまでも騒いでいる集団を睨んだ。このままでは埒があかない。
しばし待ち、それでも収まらない歓声に、リュースは剣の鞘を、思いきり床に突き降ろした。
ゴンッ! という激しく異質な音が、ホール内に響く。それとほぼ同時に、魔物たちが静まりかえった。
「……あー。まぁ、要は魔王から説明のあった通りだ」
じりじりと焼かれるような、無数の視線にさらされながら、リュースは言葉を探した。なにも、アレフィオスのように上手いことを言う必要はない。自分がするのは演説ではなく、円滑に指導を進めるための前置きに過ぎない。
「おまえらは、俺に負けた。だから魔王は、俺を雇った。それが事実だ」
アレフィオスが優しくオブラートに包んだものを、あえて乱暴に暴きたてる。魔物たちの視線が、再び凶暴になっていくのを感じながら。
「事実が受け入れられなくて、歯向かいたいってヤツがいるならかかってこい。今ここで、相手してやる」
言って、リュースは剣を放った。会場のざわめきが大きくなる。
壇上から降り数歩前に進むと、魔物たちが下がりそこに空間ができた。ちょうど円形で、一暴れするにはちょうど良い広さだ。
「リュース、さん?」
おそるおそる、アレフィオスが声をかけてくるが、それは無視する。リュースは手首を軽くほぐしながら「どうだ」と魔物たちを挑発した。
「俺は素手で、おまえらはなんでもありだ。
実力の差を見せつけてやるから、かかってこいよ。どうせなら、納得したいだろ?」
魔物たちの中に、怒りと困惑が生まれるのを感じる。
「なめてやがる」
そう前に出てきたのは、獣人タイプの魔物だった。身体は二メートル程。全身が硬い毛で覆われており、得物はその肉体だと言わんばかりに、筋肉とするどい爪を誇示している。
魔物たちからは一目置かれている存在らしい。歓声が上がった。
「さっき警護長から、ここにいる魔物は三十九人と十二匹だって訊いたが」
「あぁん?」
半身を引いて、軽く膝を曲げる。構えた右手でちょいちょいと手招きしながら、リュースはにやりと笑った。
「おまえは十二匹の方かな? ワンコロ」
「てめぇ……っ!」
激昂と共に、獣人の太い脚が地を蹴る。速い――獣と揶揄され怒る魔物は、しかし獣の力強さと素早さを兼ね備え、リュースのもとまで飛び込んできた。振り上げられた爪を、半身を捻り寸で避ける。爪のかすった前髪がはらりと散り、「ふっ」とリュースは笑った。
「上等……!」
リュースが避けたのは、向かって左手――獲物を捕らえ損ねた魔物の右手が、まだ空を斬っている、その側面だった。
「がら空きなんだよッ」
腹に、ブーツの硬い爪先を思いきり差し込む。鳩尾に思い一撃をくらった魔物は、身体を折り曲げて苦悶の声をあげた。
「ぐふぅう……ッ!?」
「――っ」
続けて、よろめくその後頭部に、振り抜いた肘を突き立てた。踏ん張ることもできずに、巨体が床に崩れ落ちる。
喧騒はいつの間にか止み、その場は静まり返っていた。
「次、やりたいヤツは?」
首を捻りながらリュースが訊ねるが、誰も答えない。仕方なく、「おまえやるか?」と近くにいた一人に話しかけるが、彼は小さく悲鳴を上げると、思いきり横に首を振った。
「……ま、こんなもんか」
放り投げた剣を拾い上げようと歩き出すと、静かだった魔物たちがまた少しずつざわめき始めた。リュースを見る目から感じるのは最早、敵意よりも驚きと恐怖の方が大きい。
乱暴なやり方ではあったが、数手で対戦者を圧倒するというのは、思った通りこういう場面では効果的だったようだ。
転がる剣に手を伸ばすと、魔王が向かってきた。その目はリュースではなく、倒れている魔物に向けられている。リュースも敢えて目を合わせなかった。
「あんまり……皆をいじめないでくださいね」
通りすぎ様に、囁くように声が聞こえた。振り返るが、アレフィオスは既に魔物の横に腰を降ろし、周囲にドクターを連れてくるよう、あたふたとした様子で指示している。
警護長を見ると、「やれやれ」とばかりに首を振っていた。それに、リュースは剣を背負い直しながら、皮肉に片方の口元だけで笑ってみせる。
医務室へと走ろうとする魔物に「おい」と呼びかけると、彼は「ひっ」と情けない声をあげて、動きを止めた。
「ドクターに言っとけ。これからもっと、怪我人がでるぞ、ってな」
魔物が怯えた顔で頷くのを確認し、リュースは再び壇上に上がった。身を強ばらせる集団に、声を張り上げる。
「つーわけで、てめぇらこれから訓練開始だ!」
それから少し間を置き、にやりと笑って付け加えた。
「泣き言は聞かねぇ。死なねぇよう、せいぜい祈っとけよ」
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