帰ろう、家に

城崎

本編

祖父母の家から徒歩で行ける神社で行われる秋祭り。幼い柚子は、祖父母からお小遣いを貰い、母とそのお祭りへと足を運んだ。柚子の母は知り合いらしき人らを見かけると、すぐに話し始めてしまった。

「せっかくおじいちゃんたちにお小遣いもらったんだし、柚子はくじ引きでもやって来たら?」

そう言われたが、今の彼女には欲しいものがあり、お小遣いを使う気はなかった。柚子は1人、所在無さげに立ち尽くしてしまう。辺りでは、学年を問わず子どもたちが走り回っている。彼らは柚子の存在には気付いているようだったが、別段知り合いでもないため話しかけることはない。彼女は、ぼんやりとその光景を見つめていた。

「鬼だああ!」

突然の声に、柚子は思わず肩を震わせる。見れば、鬼がこちらをめがけて走って来ているではないか。彼女はそれがとても恐ろしく見え、早く逃げなければと足を動かした。ちょうど目の前には、身を隠せそうな小屋がある。彼女はその陰に隠れて、目を閉じ耳を塞ぎ、その場をやり過ごそうとした。瞬間、騒がしかった人々の声がピタリと止んだ。耳をそんなに塞いだわけではない。隠れているといっても、姿が見えないだけで空間を遮断したわけではない。幼いながらも異常だと気付いた彼女が顔を上げると、目の前には赤い鬼がいた。

「お、おにっ、やだ、こわい」

背丈はおよそ、彼女の父親ほど。赤い着物をその身に纏い、カラカラと下駄を鳴らして近づいてくる。

「ごめん、怖いよね。でも大丈夫、何もしないから」

今にも泣き出しそうな柚子に向けて、彼は出来るだけ優しい声色でそう言った。彼女の背を撫り、大丈夫だという言葉を繰り返す。やがて彼女は、ゆっくりと顔をあげた。恐ろしい鬼の面に悲鳴をあげてしまいそうになるのを、必死に堪えて問いかける。

「……ほんとうに?」

「うん、本当に」

鬼の言葉を疑いつつも、彼に促されて立ち上がった。

「君の名前は?」

『不審者に名前を名乗ってはいけない』。そう教えられてきた柚子は、一瞬躊躇った。しかし、辺りを見回しても誰もおらず、頼れるのは目の前の鬼だけという現実を認識すると、素直に口を開いた。

「坂野柚子」

「柚子ちゃんか。俺の名前はそうだな、赤って呼んでよ」

赤。繰り返す。

「赤さん」

「そう、赤さん」

「赤さん、ここはどこ?」

「ここは■■■■神社。でもちょっと、君がいる世界と違うんだよね」

「ちがう?」

「うん。本来なら君は、ここにいちゃいけないんだ。だから、帰らないといけない」

「どうやって?」

「君は、なにをしていたらここに来ちゃった?」

「鬼からにげて、そこに隠れた」

「やっぱり」

彼は、お面の向こうでため息を吐いた。その様子に肩を震わせた柚子に、ごめんごめんと言葉をかける。

「この時期、3年に1回くらいはいるんだ。君みたいな子が」

「もどれる?」

「もちろん。そのために俺がいるんだから。さて、それじゃあまずは俺の手を握って」

赤から差し出された手を、柚子は小さな手で懸命に握った。握っているのを確認すると、彼は話を続ける。

「そしてゆっくり、目を閉じて。しばらく目は開けちゃダメだよ。周りの人の声が聞こえ始めたら、目を開けてね」

言われるがままに、彼女は目を閉じた。目を開けないように、きつく目蓋に力を入れている。

「柚子ちゃんは、今日お祭りには誰と来てたの?」

「おかあさん」

「じゃあ、この手はお母さんに握ってもらってるって想像してね。お母さんの手はそうだなぁ、多分俺より小さくて綺麗だと思うんだけど、どう?」

「うん。おかあさんの手は、赤さんより小さいよ」

「そっか。なら続けるよ。お母さん、今日はどんな服を着てたか思い出せる?」

「茶色のうわぎと、黄色いのに、青いズボンだった」

「なるほど。頭の中で想像出来る?」

「……できる」

「良かった。じゃあ、次に顔を思い出してみようか」

「かお?」

「そう、お母さんの顔。どんな髪型でどんな目をしているとか、想像してね」

「……うん、そうぞうしたよ」

「なら、これが最後。お母さんは柚子ちゃんを、なんて呼んでる?」

「柚子ってよんでる」

「なら、今から俺は柚子ちゃんをそう呼ぶね。でも、俺に呼ばれてるって思うんじゃなくて、今までで想像してきたお母さんが呼んでるって思って」

柚子は、ええと不満気に声を溢した。予想通りの反応だったのか、ごめんねとまた赤は謝罪の言葉をかける。

「難しいとは思うけど、君の名前を呼ぶのは俺じゃない。お母さんだ。……いいね?」

それでも、彼の真剣な問いに、柚子は頷かざるを得なかった。

「わかった」

「じゃあいくよ。柚子」

赤の言葉はすぐに途切れたが、彼女はいつもの間延びした母からの呼びかけを頭に思い浮かべた。もうすぐ帰る時や、朝起こされるときにかかる声が、彼女にはイメージがしやすかったからだ。

「どうしたの、柚子? 帰る?」

気がつくと柚子は、母の手を握っていた。周りの人の声が聞こえ始めたので、ゆっくりと目を開ける。目の前に、赤の着物はなかった。母は、困ったようにこっちを見つめている。柚子は縦に頷くと、母の手を握りしめた。

「帰ろう、お母さん」

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帰ろう、家に 城崎 @kaito8

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