ホーム(13)
思わず問い返すと、相変わらず真剣な顔でおれを見つめる。
「結婚指輪と、それから婚約指輪を買おうと思ってるんですが、彼女、『そんなのいらない』って言うんですよね」
「理由、聞いたの?」
おれは尻をずらして座り直し、ベンチのせもたれに凭れる。さすがにプラスチック製の座面は冷えていたのか、スーツを通して冷気が上ってきた。おれはマフラーを再度し直し、童顔を見る。
「仕事上、指輪はできないから、いらない、って。婚約指輪も付ける機会がないからいらない、お金勿体ないって」
童顔は、またもや「きゅうん」と言いたげな顔で眉尻を下げた。
「僕にお金が無いと思っているんでしょうか。これでも、独身時代のたくわえがありますし、先日ボーナスだって出たんですが……」
「そのこと、カノジョさんは知ってんの?」
「どのことですか?」
「あんたの給料とか、ボーナスの金額とか」
童顔はうなずき、何故かおれにその金額を告げた。年齢不詳の男ではあるが、その金額であれば、まぁ、普通よりちょっと下ぐらいで、そこまで酷い所得ではない。
「……なんだろうな」
おれは首をかしげる。記憶をたぐって夏奈とのことを思い出した。あいつは、おもいっきりおれに高い婚約指輪をねだったが。
「本当に、いらないんでしょうか?」
消え入りそうな声に、「いや、その考えは早い」。とおれは制止する。
「女ってのは、記憶操作をするんだ。自分でいらない、と言っておきながら、『あの時、買ってくれなかった』とか言いだすんだよ」
思わず熱を込めて言うと、「何か経験が」と顔を寄せられる。
「新婚旅行だ」
おれは奴の顔を見て、頷いた。
夏奈は総合職だし、おれも入社二年目でまだまだ長期休暇が取りにくい時期だった。
『別に、新婚旅行は良いよ』
夏奈がそう言うので、結婚式と披露宴だけで済ませたのだが。
数年後には、『私はやっぱり新婚旅行に行きたかった』とか言いだして、不貞腐れ始めたのだ。結局、結婚5年目にグアムに連れて行かされた。
「世間が『普通』だとおもうことは、とりあえずやっとけ。それで間違いがない」
おれの言葉に、童顔は力強く頷いた。
「そう思って、一応今日、出勤前に、指輪屋さんに行って来たんです」
童顔の言う『指輪屋さん』とやらがいかなるものか分からず、「どこに行ったんだ?」と尋ねたら、有名な海外ブランドの店名を言われた。
「お前一人で?」
思わず尋ねると、童顔は真っ赤になった顔を右手で覆い、「恥ずかしかったですっ」と小さく悲鳴を上げた。
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