ホーム(9)
「いや、だって……。妊婦さんだし」
童顔は、「きゃん」と言いたげに目を伏せ、ぼそりと呟いた。
おれは舌打ちし、奴に言う。
「妊婦なんて、病気じゃねぇだろ。お前……」
お前は、障がい者じゃないか。
そう言いかけて慌てて口をつぐんだ時だ。
「義足はめてたら、普通の人と一緒なんだろ。走ったり飛んだりするの、おれ、テレビで観たことあるぜ」
固く、ぶつけるような声におれはゆっくりと首を捩じる。
あの、男だ。
カップルの片割れだ。
「妊婦が病人じゃない、っていうんだったら、義足嵌めたそいつだって、障がい者じゃねえよ」
男はおれに睨まれ、虚勢を張るように上ずった声でそう言った。「はぁん?」。おれは顎を上げ、首をかしげる。
「じゃあ、優先座席に座るテメェはなんだよ。ああ? 妊婦の付き添いってのは、優先されるべき存在か、ごらぁ」
野太いおれの声に、男はあきらかに視線を揺らし、隣に座った女が、「やめなよ、ゆうくん」と泣きそうな声を上げたが。
同時に、おれの隣でも、童顔が、「ひぃぃ、やめてください」と情けない声を上げた。
「け、喧嘩はいけません。そうなんですよね。義足嵌めてたら、普通の人みたいに動けると思いますね。あの………。僕、もうすぐ降りますから。ね? ね?」
童顔が顔を伸ばし、わざわざおれとあの男の視界に入って来るから舌打ちする。
もともとは、お前が席なんか譲るから……っ。
そう思った時だ。
「いいんです。転んだのが僕で良かった。彼女が立ってたら、危ないところだったんですから」
童顔はそう言って、にっこりと女に笑いかける。
「見た目で障がいやしんどさが分からないことって、ありますからね。妊娠初期なんて誰も妊婦だとは思いませんし……」
童顔はちらりと優先座席を一瞥する。
「この中で、席を譲れるのは僕だけのようでしたから」
にこやかに話しかけるが、電車内は、非常に気まずい雰囲気になっていた。
なにしろ、こいつこそ、座るべきだったんだ、ということを今、知ったからだ。
なんというか。
多分。この童顔は、大学生やサラリーマンを気遣ってそう言ったんだろう。
彼らも見た目ではわからないが、なにか『優先座席に座り続けなければならない事情がある』のだろう、とでもこの童顔は思っているのかもしれない。
だから、気にすることはない。席なら自分が譲るから。
そう言いたかったのだろうけど。
視線を移動させると、大学生は明らかに寝たふりを通しているし、サラリーマンは、『音楽のせいでなにも聞こえません』に徹していた。
彼らだけじゃない。席に座っている人間がすべて、気まずく視線を床に落とした。
おれは可笑しくなって小さく噴き出す。
童顔は、彼らを庇ったつもりだろうが、盛大な嫌味になっている。
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