ホーム(8)

 童顔の言葉に、途端にカップルが小さく噴き出した。

 おれは腹立ちまぎれに睨みつけて黙らせると、カップルは互いに肩を寄せて、口元を手で覆う。


「怪我したのか?」

 おれが近づくと、済まなそうな顔で童顔は言った。


「義足なんです。立てなくて。あの、手を前に引っ張ってください」


 瞬間的に。

 義足なんです、という言葉がおれの頭を殴った。


 だから、『優先座席』に座ってたんだ、という思いと、こんな公衆の面前でそんなことを言わせた、という思いに、慌てて童顔の左手を掴む。


 掴んだ瞬間。


「……あっ……」

 その硬質で異質な手触りに、思わず自分で握っておいて、振り払った。


「すいません。左手も義手で……。あの、右手を」

 童顔は、本当に申し訳ない、とでも言いたげに瞳を潤ませ、おれに向かって右手を伸ばす。


「ひ、引けばいいんだな。それで立てるんだな?」

 思わず尋ねると、「わたしが後ろから支えますよ」と、声がかかった。


 顔をむけると、恰幅の良いおばさんがにっこりと笑いかけ、床に座り込む童顔の背後に回る。


「だんなの介護を昔したから。お兄さん、手を引っ張ってあげて。わたしが後ろから支えるわ」

 どうやら、車内で見かねたらしい。「ありがとうございます」。童顔が首だけ捩じっておばさんに礼を言い、おれは童顔の手を両手で握って、前に引っ張った。


 童顔は右足を自分の太ももに引きつけるようにして曲げ、おれが前にひくと同時に、スクワットの要領で体を持ち上げる。その腰をおばさんが支え、多少揺れる車内で、なんとか童顔は立ち上がった。

 おれは童顔の右手をひき、そしておばさんが支えながら、手すりの側まで奴を誘導する。


「停車駅はどこ?」

 てすりをがっちり右手で握ったのを確認し、おばさんが童顔に尋ねた。


「次で降ります。ありがとうございます」

 童顔はとろけるような笑みでおばさんに頭を下げる。おばさんは、「そう」と言いながらも、優先座席に座る六人を一瞥して、また自分が立っていた車両の奥の方に歩いて行った。


「あんた、義足で義手なのに、なんで席を譲ったんだ」

 また、転倒されては困る、とおれは童顔の側にぴたりと立ち、見ず知らずの奴に叱りつけた。

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