ホーム(2)

 昔からそうだったが。

 弟とおれとは、気が合わなかった。


 どちらかというと、すぐ下の妹である琴葉ことはとおれは、相性が良かった。


 料理の好みから、好きな映画の類まで、琴葉とはいくら話していても飽きなかったし、家を出てからは、実家に帰る理由と言えば、『琴葉に会うため』と言っても過言じゃなかった。


 結婚前は、夏奈なつなから、『シスコン』と笑われたが、そうじゃない。あの家族の中で、誰と話が通じるか、というと琴葉しかいないのだ。


 ちなみに、夏奈も結婚してからそれを思い知った。


 とにかく無口で、自分の都合が悪くなれば、あからさまに不貞腐れる父。

 自分の世間体が第一で、こどもの評価が自分の評価だと思い込んでいる母。

 自分が成功するよりも、他人が失敗することが大好きな弟。


 おれの中では、結構幼いころから両親と弟はそうカテゴライズされていた。

 だから、あっさりと見切り、「会話が通じる」琴葉だけを家族だと思って過ごしていたのだけど。


 生来。

 琴葉は優しすぎた。


 きっと自分が悪いのだ、きっと自分が至らないのだ、きっと自分の言い方が足りなかったのだ、と両親の機嫌を伺い、弟と話を合わせ、それなりにあの「家庭」の中で上手くやっていこうとした。


 早々に夏奈と結婚して家を出たおれは、置いていった琴葉のことがそれなりに心配ではあったけれど、彼女もつい数か月前に一人暮らしを始めた、と聞いてほっとしたのだ。

 三〇を目前に、ようやく自立したな、と。あとは、良い男をみつけて結婚すればいい、と今度声でもかけてやろうとおもったのだけれど。


 ……電話、どうするかな。


 迷っていたら、どん、と背中に何かが当たった。

 振り返ると、若い私服姿の男がおれに背を向けて立っている。


 どうやらおれに当たったことに気づいていないらしい。

 向かいの恋人らしい女にしきりに「辛くないか?」、「しんどかったら、いつでも言えよ」と話しかけている。女も女で、じろりとおれが見たにもかかわらず、素知らぬ顔で、「ありがとう、ゆうくん」などと甘えた声を出し、胸の下あたりを撫でた。


 ふと。

 その女が肩にかけているバックについた、キーホルダーが目に入った。


 ピンクの丸い、ソフトプラスチック製のキーホルダーだ。

 ハート形で、お団子頭の女性がこどもを抱いたアニメチックな絵柄の、いわゆる『マタニティマーク』。


 おれは舌打ちしたい気分で視線を背後の二人からもぎ取り、前を向く。

 まだ電車の到着していないホームは、夜闇の中、レールだけを黒く浮かび上がらせていた。


――― いい加減、こどもを作りなさい。夏奈さんだって、若くないのよ


 思いだしたくもない母の言葉と、その場ではにこにこ笑っていたのに、家に帰るなりトイレに飛び込んで泣いていた夏奈を思い出した。


 その頭に浮かんだ映像を。

 かき消すためだけに、おれは琴葉からの電話をとる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る