第160話 ローテーブル(10)


「あの」

 そう君は母に声をかけた。


「ご覧の通り僕には、左腕と左足がありません。事故で失ってしまいました」

 総君の声は穏やかで、言葉にはよどみが無かった。母を鳶色の瞳でみつめ言葉を放つ。


「以前していた仕事も失いましたし、できる事も限られてしまいました。どんなに頑張っても、出来ないことがあります。そのことで」

 総君はちらりと私を見た。


「彼女の側から離れようと思ったときもありました。実際、離れましたし、別れを決意しました。『恋愛ごっこ』は終わったんだ、と。お母さんがおっしゃるとおり、現実を生きていくためには、この身体は少し、不自由のような気がします」


 総君は私と目を合わせて微笑んだ。

 私の手を握る右手に力を入れ、それから母を見る。


「手も足も一本ずつない僕は、他の人より出来ないことが多いでしょう。半人前に見えるでしょうし、不自由な人と思われるかもしれません。だけど」

 母を見つめて、総君は言葉を紡ぐ。


「普通の人の何倍も時間がかかるけれど、必ず彼女を幸せにします。幸せにするための頑張りや努力は絶対にやめません。そして」

 総君は鳶色の瞳でおだやかに母に宣言した。


「彼女を幸せな物語の幸せな主人公にしますから、結婚を認めていただけませんか?」

 その言葉を聞いて、私は思った。


 母のかんしゃくに似た怒声など、総君はすでに予想していたのだろう。私は無条件で両親に結婚を喜んでもらえると思っていたが、総君は違うと想定していたに違いない。予測範囲内だったのだろう。


 だからこそ。

 母に詰られても、失礼な言葉を投げつけられても怯まなかったのだ。


「できるわけないじゃない……っ」

 母が振り絞るように総君に言う。


「うちの娘を幸せになんて、できるわけないじゃない」


「やる前から、あれもできない、これもできないって言うのはやめて、と彼女に言われたので」

 私を一瞥し、総君は悪戯っぽく笑った。


「僕はやってみようと思います。僕の一生をかけて、彼女を幸せな物語の主人公にしてみせるつもりです」

 総君は母にそう言った後、それから私を見る。


「コトちゃんも、『恋愛ごっこ』が終わるまで、僕に付き合ってくれてありがとう。これからは、僕の妻として一生側にいてくれませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る