7章 ふたりの、初めての夜

だから、コトちゃん

第136話 スツール(1)

 玄関チャイムが鳴り、私は飛び上がった。


 比喩表現でもなんでもなく、座っていたスツールから確実に3センチは浮いたと思う。


 壁時計に視線を走らせると、一九時だ。

 約束の時間通り、そう君が来たらしい。


 私はリビングに視線を走らせ、それからキッチンを見る。無意味にぐるりとその場を一周してから、おそるおそる玄関扉に向かった。


 廊下から見ると、玄関扉だけ新品だ。


 アパートでもこの部屋だけ玄関扉が真新しいせいで、遠くからでも私の部屋だということが知れてなんとなく居心地が悪い。


 悪戯とかまたされたらどうしよう、と思うけれど、今のところ正田雅仁しょうだまさひとを超えるような人間は現れていない。ただ、DMだけが滅茶苦茶増えた。


 ドアスコープを覗くと、そこには総君が立っている。


 Tシャツとデニムのパンツ姿だ。9月の半ばとはいえ、まだ残暑が厳しい。随分とラフなその格好に、外の熱さがうかがい知れた。


 登山でも行くのかと思うような大きなリュックを背負っているのと、左袖から腕がないのを除けば、このアパートにいた頃の総君そのままだった。


 私はサムターンキーを回して開錠し、ドアチェーンを外す。甲高い金属音がやけに耳に痛い。暴れまわる心臓をなだめすかし、玄関を開ける。


 良く考えれば。

 初めて総君をこのアパートに連れて来た時は、こんなにどきどきしなかった。


「こんばんは」

 扉を開けると、総君がにっこりと笑う。


「こんばんは」

 私も応えて数歩後ろに下がった。総君を招き入れる、というより、総君から離れるために私は場所を開けたような気がする。


「入っても良い?」

 私と総君の間に空間が開き、玄関扉が開いたままだというのに、律儀に総君は私に尋ねる。


「入り浸ってたくせに」

 わざとからかうような口調で言った。「そうだね」。総君は笑い、ゆっくりと玄関に入ってきた。


「なんか懐かしい」

 総君は靴を脱ぐ前に動きを止め、それから室内をぐるりと見回す。


「どれぐらい前? 三か月?」

 総君が尋ねるから、私は頷いた。


 5月の連休前に出会って、今はもう9月だ。


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