第131話 病室(7)

「生きなきゃいけない、って思って。生きて、動かなきゃ、母さんにもあやめにもどんどん負担がかかるって、気づいて……。母さん、ようやく好きな人と結婚できたのに、寝たきりの僕の面倒なんて看させらられない。かといって、僕が死んだら母さん、悲しませるから、死ねないって思って……。だけど……」

 そう君はそこで、ぐっ、っと息を飲んだ。


「だけど」

 もう一度呟いてから、緩く長く息を吐くように続けた。


「この格好じゃ、コトちゃんに会いに行けない、とおもって」


「会いにくればいいじゃない!」

 私は思わず叫ぶ。


「会いに来てよ!」

 声を総君に投げつける。


「会おうと思ったよ!」

 総君はがばりと上半身を起こし、私を見た。


 鳶色の瞳は潤み、流れ落ちた涙は彼の頬を伝って顎を濡らしている。


「リハビリ頑張って、義足と義手付けて、実は生きてました、って会いに行こうと思ったよ!」


 総君が大声で怒鳴る。だけど。

 だけど、勢いが良かったのはそこだけだった。


「……こんな恰好で会いに行って、君に何を言えばいい?」

 私はただ、苦しげな総君の顔を無言で見つめる。


「僕は何にも持ってない。全部失くした」

 ぐぅ、と総君が喉の奥で呻く。


「腕も、足も、同僚も、後輩も、仕事も……。なんもない。君に誇れるものが僕にはなんもない」

 左腕の残った部分で上半身を支え、総君はまたうなだれた。


 私は思いだす。初めて二人でカフェに行った時だ。二人で歩きながら、総君は誇らしげに自社製品について語っていた。楽しそうに仕事の話をしていた。


 私が仕事で落ち込んだ時もそうだ。まるで私の上司のようにアドバイスをくれた。

 私に語った、それら一切の根底にある経験や、自信や、根拠をすべて失くした、と彼は思いこんでいるのだろうか。腕や足と一緒に。


「左腕と左足がない自分の姿を見て、『恋愛ごっこ』は、終わったんだ、って思った」

 総君は呟く。


「コトちゃん、優しいからきっとこんな姿の僕に『恋愛ごっこ』は終わりましたよ、なんて言えないだろうし。でも、僕からは別れなんて絶対言えない。だったら、コトちゃんに迷惑かけちゃいけない、と思って。会っちゃいけない、と思って。会っても、結局コトちゃんを困らせるだけだ、と思って」

 総君は肘に力を抜き、ぐしゃりとまたベッドにうつ伏せになる。


「それでも、諦めきれなくて、気づかれずにこっそり見るだけならいいんじゃないか、とか。アパートに行って外から眺めてみようかな、とか。玄関扉の近くまで行けば、声が聞こえるかな、とか。そんなこと思ってたら」

 うつぶせのまま、力なく笑った。


雅仁まさひとと一緒じゃん、って可笑しくなって……。あの、毎晩毎晩嫌がらせしてた、あの男と僕、同じことしようとしてる、って」


 最低ぇだよ、と総君は乾いた声で笑った。


「……総君、私のこと、嫌いになったの?」

 私はもう一度彼に尋ねる。総君はベッドに顔を伏せたまま、呟いた。


「僕のこと、嫌いになってよ」

 声はくぐもり、妙に低い。

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