第130話 病室(6)
私は黙ったまま、
「怖くて……。僕がいなくなっても、普通に生活している母さんや、会社の同僚を見るのが怖くて……。お前なんかいなくても、それでも世界は普通に回るんだ、って思わされるのが怖くて……。それで」
それで、ずっと自分の生活圏には戻らず、私のアパート近辺に居続けることに拘っていたのだ、と初めて気づく。
『私がいない間、どうしてるの?』
以前私が尋ねたら、小学校を見学している、と答えていた。教員免許を持っているから、とかなんとか言っていたが。
あのとき、もう少し深く考えるべきだったのだ。
何故、以前お世話になった人や家族に会いに行かないのか、と。
気にはならないのか、と。
デートコースを考えるふりをして。小学校を回る振りをして。
総君は。
自分の生活していたところから目を反らし続けていたのだ。考えないようにしていたのだ。
自分だけが切り取られた世界を。
「だけど……」
私は総君に声をかける。
「だけど、こうやって総君のお母さんもあやめさんも、総君の世話をしてくれてたじゃない。意識混濁の時から、事故直後から。愛情が無いなんてことないよ」
総君は小さく「うん」と答えて、言葉を続けた。
「だから、死のう、って思ったんだ」
はっきりとそう言った。
「母さん、仕事終わりに毎日病室に来てるし、あやめだって、社会人になりたてなのに、僕とお母さんの世話に追われてるし……。大事に、愛されてたのはわかったから。だから、もう十分だから、死のう、って。迷惑かけられない、って思って」
そう言う総君の声は本当に渇ききっていた。
「どこに行けばいいのかは分からなかったのに、自分の体を前にしたら、不思議と死に方と魂の戻し方はわかったんだ。変な話、死んだら、今まで通り幽霊として、ずっとコトちゃんの側に入られるんじゃないかとは思ってた。今まで通り、幽霊になって、ずっとコトちゃんの側に居よう。それが一番だ、って思って。コトちゃんのこと、その頃にはもう……」
忘れられなくなってたし。総君は力なく呟いた。
「それに、だいたい、手も足もない体に戻ったって……」
総君は横向きに寝そべったまま気だるげに言う。
不意に思い出す。
『いきたくない』
総君が別れ際に言ったあの言葉は、『生きたくない』だったんだ。
「今まで、死んだと思ってたんだから、それでいいや、って。そんな風に簡単に思ってたら、ちょうど担当のソーシャルワーカーが来て母さんに説明してたんだ。回復の見込みとか、自宅での介護は難しいから施設を探した方が良い、とか。その場合の費用負担は、とか、とにかく金の話」
総君はかさついた声で笑った。
「生きてるだけで、金、結構かかるんだよ」
そう言った後、「母さんが、言うんだ」、と総君は平坦な声で呟いた。
「あんな事故に遭って、一度は死にかけたのに、この子は死ななかった。親より先に死ななかった。こんな孝行息子はいない。だから私がずっと、手元で世話をする、って」
総君の言葉に、私はただただ、じっと彼を見る。
長袖Tシャツ越しにもわかる、薄い背だ。その背が大きく上下する。
「死ねない、って思った」
総君が呟く。
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