僕のこと、嫌いになってよ
第125話 病室(1)
◇◇◇◇
病室のスライドドアを開き、そっと中に入る。
鼻先を掠めたのは、澄んだアルコール臭だ。
首をめぐらせて室内を眺めると、どうやら二人部屋のようだった。
向かって右側のカーテンは引かれていたけれど、左側のベッドのカーテンはタッセルで止められ、一目で使用されていないことが分かった。枕もなければ、シーツも敷かれていない。むき出しのマットレスがただ、ベッドに乗っているだけだ。
「あやめ?」
随分と懐かしい声がカーテンの向こうから聞こえてきた。
カーテンに映る影がふわりと揺れ、人影はこちらを見たようだ。
「まだいるのか? 早く帰らないとバスがなくなるよ」
ぶっきらぼうな声だったけれど、その奥には心配が滲んでいる。思わず笑み零れた。
「……あやめ?」
私が返事をしないからだろう。総君が訝る。影が揺れ動き、腕がカーテンに伸びた。私はそっと、足音を忍ばせてカーテンに近づく。
「あやめ?」
カーテンが引かれ、そこから総君が顔を覗かせた。
ベッドに坐り、上半身だけを伸ばしてカーテンを開いたらしい。総君はその、妙に腰に悪そうな姿勢でぴたりと動きを止め、こちらを見ていた。
「こんばんは」
私は鳶色の瞳を見つめ、彼に挨拶をする。
「……どうして」
だけど、返礼はなかった。目を見開き、私を凝視した後、総君はそれだけを呟いた。
「あやめさんに、教えてもらって」
答えると、総君は弾かれたように体を震わせた。
カーテンから手を離し、ベッドに手をついて怯えたようにベッドヘッドにいざった。投げ出した義足の左足は動かないが、右足を右腕で抱えるようにし、総君は薄い体を縮こませた。
「……座っていい?」
私はカーテンの中に入り、ベッドの近くに置かれたパイプイスを指さす。
総君は膝を抱え、ふわふわと揺れる前髪で顔を隠した。「座って良い」とも、「ダメだ」とも言われなかったので、勝手に座ることにする。
「これ、ご家族の皆さんとよかったら食べて」
私は手に持っていた紙袋を枕灯台に置く。
仕事場近くのケーキ屋で買ったものだ。
あやめさんの話では頻繁にお母さんが訪問しているようだけど、日持ちがした方が良いかも、とケーキではなく焼き菓子の詰め合わせにした。家族が食べなくても、病院スタッフにおすそ分けできるように、個別包装を選んでみたが、どうだろう。
「……どうして」
そんなことを考えていたら、総君がまた呟く。
私は彼に視線を向けた。
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