第124話 階段(12)

 あやめさんは悪戯っぽく笑い、それから、その余韻を残したまま私を見上げる。


「よりを戻してください、なんて言えません」

 私を真っ直ぐに見据えて彼女は言う。


総一郎そういちろう、片腕と片足がなくなっちゃいましたからね。ちなみに言えば、仕事も失いました。先日依願退職しましたから」

 あやめさんは小さく肩を竦めた。


「事故の賠償金や労災によるお金は今後見込めるでしょうが、入院費用や義手義足代もかかってるし、この先定職が見つかる可能性も低いでしょう。正直、金銭的にはきつい生活だと思います。そんな総一郎に、変わらず付き合ってください、とは口が裂けてもいえません。だけど」

 私をゆるやかに見つめ、微笑む。


「挨拶だけはしてやってください。総一郎の恋に、けじめをつけてやってくれないと、多分あいつも前に進めないんです」


「……迷惑じゃないですか?」

 私はそう君に良く似た妹さんに尋ねる。託宣を告げる巫女に質問するように、彼女にすがった。


「知らない、って言われたのに。私が会いに行ったら迷惑じゃないですか?」


琴葉ことはさんのこと、迷惑なわけないじゃないですか!」

 あやめさんは、腕を伸ばし、ばちりと私の肩を叩いた。


「三一年間生きてきて、初めて出来たカノジョですよ! 迷惑な事なんてないですっ」

 あやめさんは神意を告げるように胸を張って言うものだから。


 思わず聞き逃すところだった。


「……三一年……?」

 訝しげに聞きなおす。あやめさんは目を瞬かせて頷いた。


「総一郎、三一歳です。ウォーターサーバーの会社のエリアマネージャーでした」


「……え?」

 思わず問い直すと、「ああ」とあやめさんは笑った。


「お義母さんの血筋、皆若く見えるんですよねぇ。あれ、なんか気持ち悪いぐらいですよ」

 あやめさんは腕を胸の前で組んで、うんうんと何度も頷く。


 その様子を唖然と眺めていたものの、そういえば思い当たる節がある、と気付く。


 あれだ。

 私が仕事の事で落ち込んだとき、妙に上司目線で発言していた。


 それに、私が年のことを口にすると、必ず曖昧に濁していたじゃないか。そういえば、私のことを「この子」と言ったこともある。


「あの男……っ」

 私は呟き、そして、お腹から炭酸の泡が弾くように笑いがこみ上げてきた。


「……琴葉さん?」

 不思議そうに私を見るあやめさんの前で、私は涙を流して笑い続けた。


 あの男、とんでもない。

 何が年下だ、何が『僕』だ。

 よくも私の前で年を誤魔化してくれたな。


「あやめさん……」

 お腹を抱えて笑いながら、彼女に声をかけた。「はい?」。あやめさんは軽やかに返事をする。


「総君に会いに行きます。今度の休みの日」

 会って、言ってやるんだ、と思った。


 私は手を離したくない。でも、総君はどう思ってるの、と。


 結果はどちらでもいい。

 離したいと言われたら、もう会わない。離したくないと言ったら、抱きしめてやる。


 そして言うんだ。


『なーにが、二五歳よっ! 気を遣って損したっ』

 と。


「お待ちしてます、琴葉さん」

 笑い続ける私に、あやめさんは満面の笑みを浮かべた。


「もちろん」

 立てた人差し指を自分の口元に寄せ、片目を瞑って見せた。


「総一郎には内緒にしておきますね」

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