第114話 階段(2)

 笑顔は、基本だと最初に言われた。


 4月1日で異動し、ボランティアセンターに来たとき、業務内容の説明よりも何よりも、笑顔の作り方を冴村さえむらさんに教えられた。


 口角を上げ、目元を緩め、そして眉を下げる。


 人を虜にするような笑みを作りなさい。


 冴村さんは私にそう言った。

 ボランティア活動とは、地域の課題を地域の住民で解決することなのだ、と。そのボランティアが安心して、そして信頼して活動ができるように。迷った時、自信を無くした時、「大丈夫ですよ。貴方の活動は間違っていない」。そう言って力づけられるように。


 笑顔の作り方を、日々練習しなさい、と。


「笑え」

 三度命じられ、私は呻いた。


「笑えません」

 言った側から唇が震えた。


「何故笑えない」

 冴村さんが凍えるような瞳で私を見ている。


 震えが止まらない。

 冴村さんの視線に体が冷えたのか、それとも。

 病院で総君に背を向けられた時から、実は凍り付いていたのだろうか。


「笑えません」 

 再びそう言うと、涙が零れた。


 一粒。

 たった一粒頬を流れただけで、涙腺は崩壊した。


 ぼろぼろと頬を流れ、顎を伝い、デスクに涙が次々と落ちていく。

 拭おうと思った。


 最悪だ。

 指示された仕事は出来ないし、注意されては泣くし。


 一番嫌で面倒な女だと思った。これがもうすぐ三〇になる女のすることか、と。

 なんとか涙だけでも止めようと思い、目に力をこめる。だけど何故か喉からもれたのは嗚咽だった。


「どうした。なにがあった」


 冴村さんが静かに尋ねる。

 怒声でも、叱責でも、ましてや罵倒でもなかった。


 落ち着いて、そして、気遣いに溢れたその言葉に。

 私はもう、涙が止められない。


「どうしたらいいのか、わかりません」

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