第112話 受付(6)

「……総一郎そういちろうの、杖ですよね」

 私があまりに彼女を凝視しすぎたせいだろう。彼女は上目遣いに尋ねる。


「ごめんなさい……、どうぞ」

 慌てて彼女に杖を差し出した。


 そして。

 視線をそう君に向ける。


 ねぇ、総君。

 私は心の中で尋ねる。


 総君のことを総一郎と呼ぶ、この人、誰、と。


 総君が、あやめ、って呼び捨てる、この女の子、誰、と。


 ねぇ、総君。

 私は心の中で呼びかけた。


 声に出していないのに、無様にその声は掠れて潰れて濁っている。


 総君、あの時、どうしてこの女の子を見て、顔色を変えたの、と。


 一人っ子だって、言ってたよね。だったら、この子、きょうだいじゃないよね。

 それにしては、やけに親しげじゃない? 


 ねぇ、総君。

 この女の子、誰。


 そしてね。

 総君、どうして、ここにいるの?


 私の言葉は何一つ彼に伝わらない。

 聞こえない。

 意味をなさない。


 総君は、私に背を向けてぎゅっと手すりを握って立っていた。Tシャツ越しにも分かる薄い肩が張り、力を込めている事が一目で知れた。顔を隠すように俯き加減の彼に、私は声をかける。


「総君……?」

 だけど、総君は振り返らなかった。義足の左足を振り出すように前に出して着地させ、体重を義足側に移して、今度はゆっくりと右足を出す。だらりと垂れた左手も義手だとさっき言っていた。


「総一郎、知り合い?」

 その彼の背に、女性が声をかける。女性は私と総君を交互に見比べ、返事をしない総君を再び呼ぶ。


「ねぇ、総一郎」

 総君は、俯き加減の姿勢のまま、首を横に振った。


「知らない。知らない人」

 きっぱりとしたその物言いに。


 振り返らない背中に。

 聞いたことが無いほど無感情なその声に。




 人を、好きになんてならなきゃよかった、と後悔した。

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