第111話 受付(5)

 リノリウムの廊下にお尻をつき、左足の義足を投げ出すようにして座っていたのは、ジャージ姿のそう君だ。


 私が彼の目を見つめ、彼は茫然と私の姿を捉える。

 互いに言葉をなくして見詰め合った。


 どうして。

 声にならない思いが頭を巡る。


 どうして、ここにいるのだ。

 いや。


 どうして、生きているのだ。


 どうして。

 私の前から姿を消した状態で、「この世界」に留まっているのだ。


「そ……」

 総君、ともう一度呼ぼうとしたら、私の視線から逃れるように、彼は上半身を捩じらせた。


「あやめ……っ」

 背後の通路に向かって総君が呼びかける。


「ちょっと待って、今看護師さんと……。え。総一郎そういちろう、なにしてんの」

 綺麗な高音の声が響いて来た。その声に釣り込まれるように、総君の前に回り込んで待機していた下川しもかわさんが顔を向けるのが見える。


「転んだ。起こして」

 総君が歩いてきた通路の方から、ショートカットの女性が現れる。総君は遠慮のない早口でそう言うと、ぶっきらぼうに右手を前に伸ばした。「もう、なにやってんの」。女性がため息交じりにそう言う。


 見覚えがある。その女性を見て、私はそう思った。


「お願いします、とか言えない?」

 呆れたように女性は総君を見おろしたものの、言われた通り前に回りこんだ。総君は私に背を向けたまま、下川さんに、「ありがとうございます。もう大丈夫です」と穏やかな声で告げ、右ひざを曲げた。その間に女性は総君の右腕を掴み、手馴れた様子で斜め前に引っ張る。


 総君は、曲げた右足をスクワットするようにして伸ばし、立ち上がった。左足の義足に、ゆっくりと体重移動し、廊下の壁に渡された手すりに手を伸ばす。


「杖は? ……あ」

 総君が廊下の手すりを掴むのを確認し、女性はきょろきょろと視線を周囲にさまよわせる。


 ふと。

 私と目があった。


「ありがとうございます」

 にこりと笑うその表情に、記憶がだぶった。


 あの。

 あの日の、女性だ。


 バス停を私に尋ねた女性だ。


 総君が。


 総君の表情が一変した女性だ。

 年下の、可愛らしい女性。


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