6章 つなげなかった、手

人を、好きになんてならなきゃよかった、と後悔した

第107話 受付(1)

「はい」

 椅子に座って資料を読んでいたら、ペットボトルのお茶が差し出された。驚いて顔を上げると、移送ボランティアの下川しもかわさんが、にっこり笑って立っている。


「あげる」

 そう言って押し付けられる。


「え。いや……、あの」

 戸惑っていると、強引に資料の上にペットボトルを置かれ、A四用紙が大きくたわんだ。私は慌てて膝で受け止めて、隣に座る下川さんに「ありがとうございます」と礼を言う。


柳生やぎゅうさんは?」

 私は、下川さんとペアである、介助ボランティアの柳生さんを探して周囲を見回した。


 県立リハビリテーションセンターの受付前は、結構な人出だ。

 もう午後一時を回っているというのに、受付は午前の診察順の番号をコールし、会計はひっきりなしにパソコンを叩いている。混む、とは冴村さんに聞いていたので、時間つぶしにと作成資料の下書きを持ってきたのだが、本当に正解だ。


「柳生さんは移送車で昼寝してる」

 下川さんはつまらなそうにそう答えると、どっかと私の隣に座った。定年退職をして二年。体重はなんと十キロ増加した、というから恐ろしい。ポロシャツを圧迫するように膨れているお腹を撫でながら、下川さんは受付のデジタル表示番号を眺めた。


「いくらなんでも、遅いよね……。朝イチで運んだんだぜ?」

 下川さんが眉根を寄せて睨むように受付を見ている。番号はすでに三ケタだ。


「まさか、って、おれ、疑ってんだけど」

 明確に言わないが、下川さんの意図を理解して、私は笑った。


「逃げた、って言いたいんですか?」

 今日、この病院に私が下川さんたちと同行したのは、ボランティアの手伝いをするためではない。


 移送利用者が、利用料金を支払わないためだ。


 移送ボランティアは無賃金で活動をしているが、ガソリン代や駐車場代等の実費は利用者から支払ってもらい、活動に充てている。一回の送迎でだいたい千円を超えることはない。介護タクシーなどに比べれば破格の値段なのだが。


 これを、支払わない。


 しかも、支払い能力が無いわけではないので、呆れる。

 のらりくらりと支払いをごまかし、『ボランティアなのに金を払うのはおかしい』と妙なクレームまで社協に入れてくる輩もいる。それなのに、まだ移送を利用しようと予約の連絡はしてくるのだ。


 今回の瀬田せたさんもその一人だ。

 幾度督促の連絡を入れても利用料金を支払わないため、冴村さえむらさんの命を受け、直接会って利用者から取り立てる為に移送ボランティアに同行した。


 ボランティアと一緒に利用者宅に伺い、「利用料金を支払わないのであれば、移送利用を停止します」と告げたところ、「今、一万円札しかないから、診察が終わって崩れたら支払う」という意見を尊重して通院まで同行している。


 が。

 診察は終わったようなのに、瀬田さんが現れない。

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