5章 君が、いなくなる

もう、行かなきゃ

第101話 ベッド(1)

         ◇◇◇◇


「コトちゃん」

 名前を呼ばれ、体を震わせて首をもたげた。


「ごめん。驚かせた?」

 宥めるように掛布団が押され、私はお布団越しに伝わる冷えた空気に、そう君がいるのだと気づいた。


「どしたの」

 目を薄く開くと、やっぱりすぐ側には総君がいた。


 両膝をついて、ベッドで横たわる私の顔を覗きこんでいるらしい。掛布団越しに微かに冷気を感じるので、私を落ち着かせるように撫でていることが知れた。


「ちょっと、お話がしたかったんだ」

 総君が、うっすらとほほ笑む。


「今、何時?」

 尋ねながら、手で目を擦る。なんだか、総君の姿が変に見えたからだ。

 コラージュのように。背景から浮き上がるように見えるのはいつものことだったけれど。


 なんだか。

 ……けるのだ。


「もうすぐ朝の四時かな。ごめんね。こんな時間に」

 総君が済まなそうに言う。


 寝ぼけた頭で、変だな、とは思った。

 総君が私の断りもなしに寝室に入ってきたこととか、こんな時間に話しかけてくることとか。


 唐突に頭に浮かんだのは、あの一か月前の出来事だ。


「誰か来た!?」


 雅仁まさひとが来たのだろうか。

 逮捕後、留置所に拘置され、まだ出てきていないと聞いているが、違うのだろうか。飛び起きようとして、「大丈夫だよ」と宥めるように布団越しに体を撫でられる。


「誰も来ないよ。あの男は警察に捕まったし、玄関扉もきちんと修理してもらったじゃないか」

 総君が穏やかに告げる。


 そうだ。

 私は再び枕に頭を埋め、詰めていた息を吐いた。


 正田雅仁は、逮捕されたんだ。


 あの後、新聞にも掲載され、局長はマスコミの対応に追われて大変そうだった。


 結局、私の帰宅後に郵便受けを開閉したり、ドアノブを叩いて騒音を立てていたのは、雅仁だった。だいたいの私の帰宅時間を予測し、ご足労な事だが、毎晩嫌がらせにやって来ていたそうだ。


 彼が警察官に語ったその動機は、『あいつが、俺の金を奪ったから』だったらしい。聞いた途端、私は噴出した。それは、正田えい子さんのお金であって、彼のお金ではない。何度もそう言っているのに。


 だけど。

 彼はそこをいまだに勘違いしているのだろう。


 私が邪魔だと思い、また、腹を立て、嫌がらせをして仕事を辞めさせようとしたようだ。

 正田さんに言い含めて、デイサービス職員に『菅原すがわらさんに、とっても世話になっているから、お礼がしたい。彼女はどこに住んでいるんだろう』と何度も尋ねさせたそうだ。職員は当然答えなかったのだが、正田さんが、『以前、菅原さんから年賀状をもらった。紛失してしまい、住所がわからない。暑中見舞いを出そうと思うのだが』と言い直したらしい。


 職員の一人が私と正田さんの関係性を考え併せ、ひょっとしたら、そんな個人的やり取りがあったのかも、と思って正田さんに私の住所を教えたのだそうだ。


 そうやって、雅仁は私の住所を知り得た。

 この話を警察官に確認されて、私の住所を教えた職員は真っ青になった。その職員からは土下座されんばかりに謝罪され、お詫びとして一人では食べきれないほどのワッフルを頂いた。


 今回のことを、現在の担当である山下さんを通じて知った正田えい子さんは、泣きながら私に詫びたのだそうだ。彼女は「私に会わせる顔が無い」ということで、別施設のデイサービス利用を希望した。


 多分もう、正田さんと私が会うことはないだろう。

 

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